音楽家としてポップスからクラシック、テクノ、映画音楽、そして社会活動まで幅広いジャンルで活躍を続けている坂本龍一さん。
テクノやエレクトロニカで世界を驚かせたかと思えば、クラシックや現代音楽の要素を取り入れ、さらには映画音楽で繊細かつ壮大な旋律を生み出します。
その一方で、環境問題や社会課題にも真摯に向き合い、音楽を超えて「未来のために行動するアーティスト」としても大きな影響を与えてきました。
今回は坂本龍一さんの家系図について確認しながら、深堀りをしていきたいと思います!
最後までお付き合いください!
【画像】坂本龍一の家系図がすごい!
筆者作成
坂本龍一さんは1952年(昭和27年)、東京都中野区で父親・坂本一亀(さかもと かずき)さん、母親・敬子(けいこ)さんの一人息子として生を受けました。
父・は河出書房の文芸編集者、母は帽子デザイナーという文化や芸術に深く関わる家庭環境の中で育ちました。
坂本龍一さんの家族環境について確認していきたいと思います!
坂本龍一の家族構成
父:坂本一亀
引用元:Wikipedia
坂本一亀さんは、坂本龍一さんの父にあたります。
坂本一亀さんは、戦後日本の文学界を支えた伝説的な編集者として知られています。
福岡県甘木市(現・朝倉市)に生まれ、旧制朝倉中学校卒業後、東京の日本大学法文学部国文学科に進学しました。1943年には、学徒出陣によって繰り上げ卒業・入隊しています。
終戦後の1947年、河出書房に入社すると、間もなくして「書き下ろし長篇小説」シリーズの復活を提案。編集者としては文芸評論の分野にも携わり、三島由紀夫の『仮面の告白』、野間宏の『真空地帯』、椎名麟三の『赤い孤独者』といった、戦後文学を代表する数々の作品に関わりました。こうして、多くの新進作家を世に送り出す立役者となったのです。
1962〜1964年には文芸誌『文藝』の編集長を務め、その後、綜合企画研究室長や取締役として出版社の中核を担うようになりました。
1978年に河出書房新社を退社し、構想社を設立。出版・編集活動に携わり続けました。
2002年9月28日に80歳で逝去。出版文化に大きな功績を残しました。
坂本一亀さんは文芸界の名編集者として知られていますが、家庭では一人息子・龍一さんの成長を温かく見守る父親でした。
編集者として多忙を極めながらも、家では芸術や文学に囲まれた環境を自然に作り出しており、その影響は龍一さんの音楽性にも大きく関わったと言われています。
龍一さんは後年、「父は文学の人で、僕が音楽の道に進んだのも、家の中に常に文化の香りがあったからだと思う」と語っており、家庭に流れる芸術的な空気が自身の創造力を育んだと振り返っています。
上の画像は1967年頃のものです。
元妻:矢野顕子
引用元:美ST
矢野顕子さんは、坂本龍一さんとは、1982年に結婚した妻であり、共に音楽活動を行ったパートナーでした。
二人は音楽家同士として深い理解を持ちながら創作を重ね、坂本さんが矢野さんのアルバム制作に関わるなど、公私にわたって影響を与え合う関係でした。
矢野顕子さんは、1955年2月13日、青森県生まれのシンガーソングライター、ピアニストです。幼少期からクラシックピアノを学びつつ、10代の頃にはジャズやロックにも親しみ、幅広い音楽的素養を身につけました。
1976年、アルバム『JAPANESE GIRL』でソロデビューを果たし、その独創的な作曲センス、伸びやかな歌声、自由なピアノ演奏で一躍注目を集めます。
代表曲には「春咲小紅」「ごはんができたよ」などがあり、ユーモアと温かさ、そして高い音楽性を兼ね備えた作品群は、多くのファンに愛されています。
1980年代には世界的音楽家である坂本龍一さんと結婚し、夫婦としても音楽的な交流を深めました。娘の坂本美雨さんもシンガーとして活動しており、母から子へと音楽の系譜が受け継がれています。
その後はニューヨークを拠点に国際的な活動を展開し、ジャズ界の名手や海外アーティストとも共演しました。ジャンルを超えたコラボレーションやライブ活動を通じて、独自の音楽世界を広げ続けています。
現在も精力的に創作と演奏を行い、日本を代表する女性アーティストの一人として国内外で高く評価されています。矢野顕子さんと坂本龍一さんは、夫婦としてだけでなく、音楽家としてのコラボレーションも数多く残しました。
例えば、坂本さんが矢野さんのアルバム『ごはんができたよ』や『GRANOLA』の制作に関わったこともあり、坂本さんは「彼女の音楽は僕には絶対にできないことばかり。驚きと学びが常にあった」と語っています。
子:坂本美雨
引用元:VERY NaVY
坂本美雨(みう)さんは、坂本龍一さんと、矢野顕子さんの間に生まれた娘です。
坂本龍一さんとは、親子としての温かいつながりに加えて、同じ「音楽家」として互いに影響し合う特別なものでした。
坂本美雨さんは1980年5月1日、東京都で生まれました。9歳で家族と共にニューヨークに移住しそこで育ちました。
1997年、父・坂本龍一さんのプロジェクト「Ryuichi Sakamoto featuring Sister M」として「The Other Side of Love」を歌い、音楽デビューを果たします。1999年より本格的に歌手活動を始め、アルバムやシングルを発表しました。
独特の透明感ある歌声で、ポップスからエレクトロニカまで幅広いジャンルに挑戦してきました。また、ラジオパーソナリティやエッセイの執筆など活動の幅を広げ、独自の表現者として歩みを続けています。
父・坂本龍一さんとは共演の機会もあり、美雨さんは父の姿勢から「音楽に真摯であること」「社会や自然環境への意識を持つこと」を学んだと語っています。
一方で、坂本龍一さんにとっても、美雨さんは自らの活動を支えてくれる存在であり、家族としてだけでなく、表現者同士としての強い絆がありました。
子:空音央
引用元:WWD
空音央(そら・ねお)さんは、坂本龍一さんと、当時事実婚関係にあった空里香さんとの間に生まれた息子です。
空音央さんは1991年にアメリカ・ニューヨークで生まれ、幼少期からニューヨークと東京の両方で育ちました。教育面では、米国コネチカット州のウェズリアン大学に進学し、映画と哲学を専攻して卒業しました。
その後は映像作家、映画監督、アーティスト、翻訳家として、ニューヨークと東京を拠点に幅広く活動を展開しています。キャリアの出発点となったのは、2015年に制作したドキュメンタリー作品『Ainu Neno An Ainu』でした。
北海道二風谷に暮らす現代のアイヌ民族を取り上げ、恵比寿映像祭などで上映されるなど注目を集めます。その後はアーティスト集団「Zakkubalan」としても活動し、写真と映像を組み合わせたインスタレーション作品を、ワタリウム美術館やシンガポール・ビエンナーレ、リボーンアートフェスティバルなど国内外で発表しています。
映画監督としての評価を高めたのは、2020年の短編映画『The Chicken』です。志賀直哉の短編小説を原案としたこの作品は、ロカルノ国際映画祭でワールドプレミア上映されたのち、ニューヨーク映画祭やAFI Festなどでも上映され、高い評価を得ました。
また、この功績によりアメリカの映画誌『Filmmaker Magazine』が選ぶ「インディペンデント映画界の注目すべき新しい25人」にも名を連ねています。
さらに2023年には、父・坂本龍一さんの最後の演奏を収めたコンサート映画『Ryuichi Sakamoto: Opus』の監督を務めます。ヴェネチア国際映画祭で初上映され、世界各地の映画祭でも注目を集めました。
そして2024年には、長編映画『Happyend』で監督デビューを果たします。この作品は近未来の日本を舞台にした青春ディストピアで、ヴェネチア国際映画祭オリゾンティ部門でプレミア上映されたほか、日本映画監督協会新人賞を受賞するなど、国際的に高い評価を得ています。
上の画像は2024年に初めての長編劇映画「HAPPYEND」が公開されるにあたり、取材を受けた時のものです。
坂本龍一の学歴・経歴
坂本龍一さんの幼少期は、東京都中野区で過ごされました。父は編集者、母は帽子デザイナーという家庭に育ち、幼い頃から芸術や文学に触れる機会が多かったといわれています。
特に音楽との出会いは早く、幼稚園の頃からピアノを習い始め、作曲に興味を持つようになりました。また、小学生の頃にはクラシック音楽や映画音楽に夢中になり、ベートーヴェンやバッハ、さらにフランスの作曲家ドビュッシーなどに強く影響を受けたと語っています。
その後、音楽の道を志すようになり、東京都立新宿高校を経て、東京芸術大学音楽学部作曲科に進学しました。さらに大学院に進み、東京芸術大学大学院音楽研究科修士課程を修了されました!
- 小学:世田谷区立 祖師谷小学校
- 中学:世田谷区立千歳中学校
- 高校: 東京都立新宿高等学校
- 大学: 東京藝術大学音楽学部作曲科卒業→東京藝術大学院修士課程修了
坂本龍一さんは学生時代、東京藝術大学で作曲を学んでいた頃からすでにクラシックだけでなくジャズや現代音楽、さらにはポップスにも強い関心を持ち、授業の合間に仲間と自由にセッションを楽しんでいたといいます。
特に、同級生や先輩たちと音楽談義に熱中しながら夜通しピアノを弾き続けることもあり、その探究心と好奇心が後の幅広い音楽活動の原点になったと語られています。
またその後の経歴は
- YMOを細野晴臣、高橋幸宏とともに結成結成(1978年)
- 映画『戦場のメリークリスマス』出演・音楽担当(1983年)
- アカデミー賞作曲賞受賞(映画『ラストエンペラー』)(1988年)
- ピアノソロを中心とした『playing the piano』ワールドツアー開始(2009年)
- 最後のアルバム『12』を発表(2023年)
となり、クラシックと現代音楽を融合させた独自の表現力の特徴を生かし、国際的に高い評価を受ける状況になったようですね!

坂本龍一さんは、恋多き人だったみたいだけど、どうして矢野顕子さんと籍を入れたのかな?

それは、互いに音楽家として強く惹かれ合ったことに加えて、当時すでに娘の坂本美雨さんが生まれていたことが大きく影響しているみたいよ!
【画像】坂本龍一と妻の馴れ初めや結婚歴は?娘は現在何してる?
坂本龍一と妻の馴れ初めや結婚歴は?
引用元:grape
坂本龍一さんは、これまでに二度の結婚を経験しています。最初の結婚は1972年、音楽大学在学中に出会った一般女性とのものでした。しかし若い頃の結婚だったこともあり、価値観の違いなどから数年で離婚しています。
その後、1979年から矢野さんと親密になり、1980年には娘の坂本美雨さんが誕生しました。結婚前から事実婚状態で、入籍したのは1982年になります。
二人は音楽活動を通じて公私ともに強く結びつき、共演作も多く残しています。しかし、世界的な活動に邁進する坂本さんと、ニューヨークを拠点に音楽活動を続ける矢野さんとの生活はすれ違いも多く、やがて別居に至り、最終的に離婚となりました。
その後、坂本さんには事実婚のパートナー空里香(そら・のりか)さんが存在しました。矢野さんとの離婚後、長年にわたり事実婚関係を続けており、晩年の闘病生活においても彼女がそばで支えていたと報じられています。
公式に再婚したわけではありませんが、事実婚のパートナーは生活面・精神面ともに坂本さんを支える大切な存在であり、家族同然の関係を築いていました。
坂本龍一の娘は現在何してる?
引用元:LEE
坂本美雨さんは、2025年9月現在、ヒラタインターナショナルに業務提携で所属しており、歌手・女優・ラジオパーソナリティとして活動を続けるほか、「おお雨(おおはた雄一 + 坂本美雨)」というユニットでライブ出演やコラボレーションを行うなど、多方面で表現活動に従事している状況となります。
最近の代表曲には「タベタイNO!」「いにしえの子守歌」「かぞくのうた」などがあり、これらは配信限定で発表されたものも含めて、親しみやすい楽曲としてリスナーに支持されています。
また、ラジオ番組では、TOKYO FM / JFN38局ネットの音楽トーク番組「ディア・フレンズ」のパーソナリティを2011年から務めており、月〜木の11:00〜11:30に放送されています。
それに加えて、村上春樹さんがDJを担当する番組「村上RADIO」にアシスタントとして出演するなど、情報発信・トーク活動も継続中です。
坂本龍一のプロフィール・SNS
引用元:ARBAN
プロフィール
- 名前:坂本 龍一(さかもと りゅういち)
- 生年月日:1952年1月17日
- 年齢:享年71歳(2023年3月28日逝去)
- 出身地:東京都
- 血液型:B型
- 趣味:読書、美術鑑賞、環境問題に関する研究
- 特技:ピアノ演奏、作曲、編曲、映画音楽制作
- 所属事務所:kab株式会社(個人事務所/音楽活動やマネジメントを行っていた)
SNS
- X(旧Twitter) URL:https://x.com/ryuichisakamoto?s=21&t=bb7PbRqIHU9RSDbKE5wesg
sakamotocommon OSAKA
— ryuichi sakamoto (@ryuichisakamoto) August 31, 2025
スペシャルトークプログラム開催!
ーーーー
2025年9月7日(日)
sakamotocommon OSAKA 1970/2025/大阪/坂本龍一
スペシャルトークプログラム
「坂本龍一とバシェの音響彫刻 OSAKA/1970/2025」
岡田加津子×川崎弘二×畠中実
▼チケット発売中▼https://t.co/2wKxZcTUEj…
@ryuicisakamoto On December 11, 2022, Ryuichi Sakamoto’s solo piano concert will be streamed to the world.
♬ original sound - 坂本龍一
- オフィシャルサイト URL:https://www.sitesakamoto.com/home


坂本龍一さんの趣味の読書のきっかけって何なのかな?

小さい頃から読書は好きだったみたいで、学生時代は常に学校図書館の貸出ランキング10位以内に入っていたみたいだよ!