【画像】奥田瑛二の家系図がすごい!妻との出会いは衝撃!現在は何してる?

俳優・奥田瑛二さんは1979年、映画『もっとしなやかに もっとしたたかに』で初主演を果たすと、1984年NHK新大型時代劇『宮本武蔵』、1986年TBSドラマ『男女7人夏物語』などで注目を集め、実力派俳優として広く知られるようになりました。

また、2001年には映画監督としてもデビューし、2006年の『長い散歩』では世界的なモントリオール世界映画祭でグランプリを受賞するなど、多彩な才能を発揮しています。

今回はそんな奥田瑛二さんの華麗なキャリアとともに、“知性あふれる家系”にも注目。その華麗なルーツを深掘りしていきます。ぜひ最後までご覧ください!

目次

【画像】奥田瑛二の家系図がすごい!

筆者作成

俳優・奥田瑛二さんは、1950年3月18日、愛知県で生まれ、2025年6月現在75歳です。

当時、市議会議員だった父・安藤豊さんの影響もあり、奥田瑛二さんは明治学院大学法学部に在学中、父の紹介で衆議院議員・丹羽兵助さんの秘書を務めることになり、住み込みで書生として働きながら政治の世界に触れる貴重な経験を積んだといいます。

その後、俳優の道へと進んだ奥田瑛二さんは、エッセイストとしてテレビや雑誌でも活躍する安藤和津さんと出会い、結婚します。安藤和津さんは、第29代内閣総理大臣・犬養毅さんを祖父に持つ、由緒ある家系に生まれました。

さらに、長女の安藤桃子さんは映画監督として独自の世界観を発信し、二女の安藤サクラさんは映画やドラマで確かな演技力を見せる実力派女優として知られています。そして、安藤サクラさんの夫は、名優・柄本明さんを父に持つ俳優・柄本佑さん。まさに、表現の才能が脈々と受け継がれている一家といえるでしょう。

今回は、そんな奥田瑛二さんの華麗なる“血筋”ともいえる家族構成をじっくり紐解いていきます。

奥田瑛二の<家族構成・家系図>

義祖父:第29代 内閣総理大臣 犬養毅(いぬかい つよし)

引用元:ウィキペディア

第29代 内閣総理大臣 犬養毅(いぬかい つよし)さんは1855年6月4日生まれ、1932年5月15日に76歳でご逝去されました。奥田瑛二さんの義理の祖父にあたります。

奥田瑛二さんの妻、エッセイストの安藤和津さんは、第29代内閣総理大臣・犬養毅さんの孫にあたり、奥田瑛二さんは、その義理の孫にあたります。生家は現在も岡山県岡山市に残り、隣接する犬養木堂記念館ではその功績を偲ぶことができます。

犬養毅さんは、現在の岡山市北区川入の名家、犬飼源左衛門の次男として生まれ、13歳で父を亡くすという困難に見舞われながらも、慶應義塾に進学。まだ学生だった1877年3月には、『郵便報知新聞』、のちの『報知新聞』の記者として西南戦争に従軍し、『戦地直報』という記事で脚光を浴びます。

その後、ジャーナリストとして活動を広げ、やがて政界へ進出。立憲国民党総理や革新倶楽部代表者などの政党に関わり、文部大臣、逓信大臣(ていしん だいじん)、外務大臣、内務大臣など数々の閣僚を歴任。昭和6年には第29代内閣総理大臣に就任しました。

さらに、犬養毅さんの名が広く知られるようになったのは、昭和7年の五・一五事件。海軍の青年将校に襲撃された際、「話せばわかる」と語った犬養毅さんは、今なお「暴力ではなく対話による解決」として語り継がれています。残念ながらこの事件で命を落とすことになりますが、この言葉は日本の政治史における名言のひとつとして知られています。

犬養毅さんの信念を受け継ぐ安藤和津さんが奥田瑛二さんと結婚。社会や家族、心の問題に向き合う安藤和津さんのエッセイには、犬養毅さんが大切にした“言葉の力”しっかりと受け継がれています。

妻:安藤 和津

引用元:VERY

エッセンスト・タレント・安藤和津さんは1948年3月6日生まれ、2025年6月現在77歳です。奥田瑛二さんのにあたります。

安藤和津さんは、第29代内閣総理大臣・犬養毅の孫という由緒ある家系に生まれました。幼少期は学習院初等科から学習院女子中・高等科を経て、上智大学文学部独文科に進学。その後中退し、イギリスに2年間留学。1979年には俳優・奥田瑛二さんと同棲を経て結婚し、二人の娘に恵まれました。

しかし、奥田瑛二さんとの夫婦生活は順調とはいかず、奥田瑛二さんの浮気や奔放な行動に悩まされる日々が続き、結婚から20年を経て離婚も考えるほどの距離が生じた時期もあったといいます。

そんな夫妻に転機をもたらしたのが“孫”の存在です。奥田瑛二さんは孫が生まれてからというもの「凄くいいじいじ」に変貌。以前は飲みに出かけると電話に出ないことも多かったそうで、そんな夫の変化について、安藤和津さんはこんなことを明かしていました。

「だけど最近は出るよね。孫の声聞きたさに」

「即答、かけたら。激変だね、そう考えたら。凄くいいじいじで。本当に優しいし、愛情深いし。元々愛情は深いんだけど、もうちゃんと連絡取れる人になった」

引用元:スポニチ Sponichi Annex

安藤和津さんは、「飲みに行くと電話に出なかった人が、今では“孫の声が聞きたい”とすぐに電話に出るようになった」「2人の孫のおかげで更生出来て良かった」と感慨深く語っています。

そんな波乱に満ちた夫婦生活も、家族の絆によって穏やかに実を結び、母の在宅介護を経て看取った後、13年間にわたりうつ病を患いましたが、現在は完治。自身の体験をつづった著書『“介護後"うつ 「透明な箱」脱出までの13年間~』は台湾でも出版され、大きな反響を呼びました。

また、夫・奥田瑛二さんと共作した絵本『月うさぎ』をはじめ、レシピ本やエッセイ集など多数出版。現在も講演会やメディア出演を通じて、介護やメンタルヘルス、家族との向き合い方について積極的に発信を続けています。

安藤和津さんが乗り越えた経験を率直に語る姿は、多くの人に勇気を与えており、「人生は何度でもやり直せる」と希望を与える存在として、多くの共感と支持を集めています。波乱の人生を包み隠さず語るその姿は、誠実で人間味にあふれ、多くの人の心に深く響いているのではないでしょうか。

長女:安藤 桃子

引用元:The NewYorkTimesStyleMagazine:Japan

映画監督・安藤桃子さんは1982年3月19日生まれ、2025年6月現在43歳です。奥田瑛二さんの長女にあたります。

安藤桃子さんは、2010年に映画『カケラ』で監督・脚本デビューを果たしました。翌年には初の小説『0.5ミリ』を出版し、作家としても活動をスタート。さらに2014年には、自ら監督を務めて同作を映画化し、主演には妹の安藤サクラさんを起用したことでも大きな話題となりました。

さらに、俳優・映画監督として長年現場を率いてきた奥田瑛二さんは、娘・安藤桃子さんの才能に深い信頼を寄せています。映画『0.5ミリ』で高い評価を受けた後も、高知県を拠点に映画文化の発信を続ける安藤桃子さんに対し、奥田瑛二さんはこう語っています。

彼女はこれからも映画に果敢にチャレンジして、すごいことをやるんじゃないかと思っています。僕も何か尋ねられたら、惜しげもなく意見を言って、見守っていきたいという想いがどんどん強くなっています

引用元:クランクイン

と、父として表現者としての温かなまなざしを向けています。

安藤桃子さんは現在、高知県に移住し、一児の母として子育てをしながら、地域に根ざした映画文化の発信を続けています。

さらに、高知のミニシアター『キネマミュージアム』の代表を務めるほか、子どもたちに映画鑑賞を通じた学びを提供する教育プログラム『KINEMA SPEACE GATHERING』もスタート。世界各国のショートフィルムを無料で1年間楽しめるこのプログラムは、次世代への豊かな文化体験の場として注目を集めています。

そんな精力的に次の世代へと紡ぎ続けている安藤桃子さん。地域社会と向き合いながら、映画を通して新たなチャレンジを生み出す安藤桃子さんの姿勢は、まさに“つなぐ表現者”そのもの。自身の感性と映画を通して人と人、そして社会と未来をつなぎ続けていくことでしょう。その挑戦が次にどんな物語を描いてくれるのか今後も目が離せません。

次女:安藤サクラ

引用元:クランクイン

女優・安藤サクラさんは1986年2月18日生まれ、2025年6月現在39歳です。奥田瑛二さんの次女にあたります。

安藤サクラさんは、唯一無二の存在感で日本映画界をけん引する実力派女優です。5歳のときに父・奥田瑛二さんの舞台を観て女優を志すも、芸能一家であることへの葛藤から一度はその夢を封印します。その後、学生時代にさまざまなアルバイトの経験を経て、高校生のときに女優の道へ進みました。

また、2007年には、父・奥田瑛二さんが監督を務めた映画『風の外側』で、クランクイン直前に降板した主演女優の代役として急きょ出演し、映画デビューを果たします。その後は『愛のむきだし』『かぞくのくに』『0.5ミリ』『百円の恋』など数々の話題作に出演し、確かな演技力で多くの評価を集めています。

そんな奥田瑛二さんにとって娘・安藤サクラさんの活躍は何よりの誇りだったといいます。映画『0.5ミリ』では、長女の安藤桃子さんと安藤サクラさんがそれぞれ賞を受賞し、姉妹そろっての快挙となりました。その際、娘たちが映画界で躍進していることについて、奥田瑛二さんは次のように語っています。

「やっぱりそれは喜びですよ。言わずもがなで」

引用元:クランクイン

と照れ笑い。知り合いに「奥田さん、鳶が鷹を生みましたね」と声をかけられたことを明かし、「なるほどと思ってうれしかった」と照れ笑いを浮かべていたといわれていました。

さらに、2018年にはリリー・フランキーさんとW主演した映画『万引き家族』は、第71回カンヌ国際映画祭でコンペティション部門で最高賞のパルムドールを受賞。同年、NHK連続テレビ小説『まんぷく』では育児と主演の両立に挑み、多くの共感と支持を集めました。

女優として、母として、一人の女性として挑戦を続ける安藤サクラさん。その芯の強さと柔軟さが、彼女の演技に深みと魅力をもたらしているのではないでしょうか。

娘婿:柄本佑

引用元:ウィキペディア

俳優・柄本佑さんは1986年12月16日生まれ、2025年6月現在38歳です。2012年に次女の安藤サクラさんと結婚し、奥田瑛二さんの娘婿にあたります。

柄本佑さんは、名優・柄本明さんと女優・角替和枝さんの長男として生まれ、弟には俳優の柄本時生さんがいます。そんな華麗なる俳優一家の中で育ちながらも、“親の七光り”に頼ることなく自らの実力で着実にキャリアを築いてきました。

高校在学中に映画『美しい夏キリシマ』のオーディションに合格し、2003年に主人公・康夫役で俳優デビューを果たします。翌年には、同作で『第77回 キネマ旬報ベスト・テン』新人男優賞や『第13回 日本映画批評家大賞』新人賞を受賞し、その演技力が高く評価されました。

さらに、2018年には主演映画『きみの鳥はうたえる』での演技が高く評価され、『第73回毎日映画コンクール』および『第92回キネマ旬報ベスト・テン』にて主演男優賞を受賞しました。同年、妻の安藤サクラさんも映画『万引き家族』で、同じくこの二つのコンクールにて主演女優賞を受賞し、夫婦そろってのW受賞という快挙を成し遂げました。

また、義父である奥田瑛二さんとの関係も良好で、TBS系テレビ番組『A‑Studio+』では、柄本佑さんが奥田瑛二さんのことを「パピー」と呼んでいることが明かされ、番組内でその理由について次のように語っていました。

「ほんとに奥田さんかわいらしい方何ですよ」「だから酔っ払って…“パピー”と呼びたくなったんでしょうね〜」

引用元:クランクイン

と笑いながら応えていたといいます。

そのやり取りからは、義父・奥田瑛二さんとの温かな関係性がにじみ出ており、家族の絆の深さを感じさせます。俳優として互いに刺激を与え合いながら、家族という支えを大切にしている姿は、多くの人々の共感を呼んでいます。柄本佑さんは日本の映像界において注目を集める存在であり続けることでしょう。

奥田瑛二 学歴・経歴

奥田瑛二さんは、幼少期には夜尿症(おねしょ)に悩まされ、中学の入学式前日までおねしょをしていたというエピソードがあります。

当時は体格の小ささにもコンプレックスを抱いており、体を鍛えるために中学では野球部、高校ではラグビー部に所属しました。その努力もあって、高校卒業時には身長が152センチから173センチへと大きく成長したといわれています。

  • 高校: 東邦高等学校
  • 大学: 明治学院大学法学部・中退

また、高校3年生の時、奥田瑛二さんは俳優になる夢を叶えるため、東京の大学に進学したいと父・安藤豊さんに打ち明けます。当時、市議会議員だった父・安藤豊さんは猛反対しました。

しかし奥田瑛二さんは、「政治家になるために東京に出て勉学に励み地元に戻って来る」と説得し、ようやく許しを得ます。その条件として提示されたのが、衆議院議員の先生の家に住み込みで書生として働くことでした。

その後、奥田瑛二さんは衆議院議員の丹羽兵助さん秘書として生活していましたが、次第に自らの進むべき道に葛藤を抱くようになり、21歳のときその家を飛び出す決意をしたというエピソードが残っています。

その後、奥田瑛二さんは俳優として本格的に活動を始め、以下のような経歴を重ねながら数々の賞を受賞しています。

  • 『もっとしなやかにもっとしたたかに』で初主演(1979年)
  • 『海と毒薬』で第41回毎日映画コンクール男優主演賞(1986年)
  • 『千利休 本覺坊遺文』でベネチア映画祭銀獅子賞(1989年)
  • 『式部物語』モントリオール映画祭芸術貢献賞(1990年)
  • 『棒の哀しみ』でブルーリボン賞(1993年)

奥田瑛二さんは俳優としてだけでなく、映画監督やプロデューサーとしても活躍の幅を広げてきました。独自の感性と表現力を活かし、家族や人間の内面に迫る作品を数多く手がけています。これまでに多数の賞を受賞し、その演技力と作品づくりの実力は業界内外から高く評価されています。

ギモンくん

奥田瑛二さんの芸名の由来は?

カイケツさん

当時の師匠だった天知茂さんが占い師に頼んで決めてもらったらしいよ。候補は「奥田英二」と「伊吹佳高」の2つがあったみたい。天知茂さんが「君は現代劇向きだから」って「奥田」のほうを勧めてくれて、本人もすでに「奥田」って名前を気に入ってたからそれに決まったみたいよ!占いで決めるって面白いよね!

【画像】奥田瑛二と妻との出会いは衝撃!現在は何してる?

奥田瑛二と妻との出会いは衝撃!

引用元:WEB ザテレビジョン映画ナタリー

エッセイスト・タレント・安藤和津さんは1948年3月6日生まれ、2025年6月現在77歳です。奥田瑛二さんのにあたります。

奥田瑛二さんと安藤和津さんの出会いは、まさに“運命のいたずら”と呼ぶにふさわしい、ドラマチックのような展開でだと言われています。出会ってわずか8ヶ月で夫婦となったその背景には、偶然と絆が生んだ奇跡的なエピソードが詰まっています。

1976年、奥田瑛二さんは特撮ドラマ『円盤戦争バンキッド』で主演を果たし、俳優として順風満帆かと思われました。しかし、その後は仕事に恵まれず、オーディションに落ち続け、家賃を2年分滞納。アパートを追い出され、公園で寝泊まりする生活にまで追い込まれてしまいます。

そんな奥田瑛二さんの人生が大きく動いたのは、1978年、友人に誘われて行った六本木のクラブでのパーティー。そこで出会ったのが、のちの妻・安藤和津さん。大雨の帰り道、「僕は恵比寿だから、そこまで乗せて行ってくれない?」と奥田瑛二さんが声をかけたのがきっかけで、毎日会うことになり二人の関係は徐々に深まっていったと言われています。

やがて、奥田瑛二さんの困窮した状況を知った安藤和津さんは、自宅に招いて食事をふるまうようになりました。そんなある日、奥田瑛二さんは激しい歯の痛みに襲われて倒れ、命に関わるほどの危機的な状態に。麻酔なしで奥歯を抜くという壮絶な処置を受けた後、1ヶ月間にわたって安藤和津さんの家で療養することになったのです。

そのとき、安藤和津さんの母親が「うちの娘が男のパンツを洗うなんて初めて見た。あなたたち結婚しなさい」と言われ結婚を決意したといいます。

奥田瑛二さんの人生どん底から始まったエピソードは、偶然の出会いと安藤和津さんの献身によって二人の絆が次第に深まり、やがて確かな信頼へと結実したのではないでしょうか。まさに、運命のいたずらが生んだ〝愛の奇跡〟と呼ぶにふさわしいエピソードです。

奥田瑛二は現在は何してる?

引用元:週刊女性PRIME

俳優としてのキャリアはもちろん、映画監督や画家としてもマルチに才能を発揮してきた奥田瑛二さん。そんな彼は、現在75歳にしてなお、現役の俳優として第一線で活躍し続けています。その存在感はますます円熟味を増し、作品に深みを与える“重鎮”として今も多くの視聴者を魅了しています。

2024年6月30日に放送されたテレビ朝日系ドラマ『ブラック・ジャック』では、物語の鍵を握る法務大臣・古川正文役を演じ、迫真の演技で視聴者を魅了しました。手塚治虫の名作を原作としたこの実写版は、平均視聴率10.3%を記録し、大きな話題を呼びました。

続く2025年1月スタートのTBS火曜ドラマ『まどか26歳、研修医やってます!』では、主人公・若月まどか(芳根京子さん)の先輩医師・角田茂司役を演じ、奥田瑛二さんの成熟した演技力が、役に深みと説得力を与えています。

また、奥田瑛二さんは俳優としての活動にとどまらず、富山県で毎月開催されている演劇集団『奥田塾』の主宰としても精力的に活動。地域の芸術・文化の発展や、富山県の魅力発信にも力を注いでいます。

キャリア50年を超えて今なお、自らの表現を追求し続ける奥田瑛二さんは、日本の映像文化を語る上で欠かせない存在となっています。今後も多彩な分野で挑戦を続ける奥田さん。その動向にこれからも目が離せません。

奥田瑛二のプロフィール・SNS

引用元:女性自身

プロフィール

  • 名前:奥田 瑛二(おくだ えいじ)
  • 本名: 安藤 豊明(あんどう とよあき)
  • 生年月日:1950年3月18日
  • 年齢:75歳(2025年6月現在)
  • 出身地:愛知県 春日井市
  • 血液型:AB型
  • 趣味:「艶俳句(つやはいく)」と称したエロ俳句・ギター・囲碁・野球観戦・サッカー観戦・プロレス観戦
  • 特技:料理・ハーモニカ・絵画・モノマネ・写真・空手
  • 所属事務所:株式会社 ゼロ・ピクチュアズ

SNS

ギモンくん

強面の奥田瑛二さんだけど、面白いエピソードってあるのかな?

カイケツさん

「死ぬ間際までショートケーキは食べない」と豪語していたけど、孫が生まれて一口もらったのがきっかけで美味しさを知り、隠れて食べていたのが家族にばれたことがあるんだって!お茶目な一面もあるんだね!

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