フィギュアスケート選手、タレントとして活躍を続けている織田信成さん。
スケート選手として国内外で活躍、華やかな経歴を持ちながら、明るいキャラクターでテレビ出演・MCで引っ張りだこの織田さん。実は織田信長の末裔であることを公表しています。
今回は織田信成さんの家系図について確認しながら、深堀りをしていきたいと思います!
最後までお付き合いください!
【画像】織田信成の家系図がすごい!
筆者作成
織田信成さんは1987年、大阪府高槻市で父親・信義さん、母親・憲子さんの3人兄弟の末っ子として生を受け、スケート一家の中で育ちました。
父の信義さんは「大阪通菅工業所」という会社を経営していた元社長で、母の憲子さんは元フィギュアスケート選手。「親子二人三脚」で世界に羽ばたく選手へと信成さんを導き、父親は経済面でサポートするという、スケートに専念できる環境で育ちました。
また、信成さんの父方の家系が「織田信長の七男・織田信高」の系統に連なるとされ、自ら「信長の16代目の子孫」と公表していることも有名です。
織田信成さんの家系図や奥さんとの馴れ初めなどを確認していきたいと思います!
織田信成の家系図
祖先:織田 信長
引用元:nippon.com
織田信長は、戦国時代から安土桃山時代に活躍した武将で、天下統一の先駆けをなしたことで非常に有名です。信成さんとは、家系図上で信長の直系子孫とされる説があり、信長の七男・織田信高が先祖だと公表しています。
織田信長は1534年生まれで、尾張国(現:愛知県)の武将です。父・織田信秀の跡を継ぎ、桶狭間の戦いで今川義元を討ち取った後、一気に勢力を拡大しました。
足利義昭を将軍として上洛し、一時は室町幕府の再興を図るも、後に義昭を追放し、独自の中央政権を築きました。
主要な出来事として「桶狭間の戦い」「楽市・楽座」「比叡山焼き討ち」「長篠の戦い」「本能寺の変」などがあります。
初めは近畿地方中心の制圧(京や周辺の「畿内」支配)を目指していましたが、やがて全国規模の統一(天下布武)をめざすようになります。この「天下布武」というスローガンの下、武力や新しい政策、経済の活性化を通じて戦乱のない日本社会を目指しました。
鉄砲などの新技術や海外貿易の積極導入も特徴で、日本の発展や国際競争力強化も視野に入れていたと考えられています。
1582年、明智光秀の謀反で本能寺で自害し、最期を迎えました。信長自身による「日本全国統一」は未完に終わりましたが、その遺志は豊臣秀吉、徳川家康といった後継者たちに受け継がれました。
現世でも映画やドラマ、小説になるほど人気がある歴史上の人物です。2023年の大河ドラマ『どうする家康』では岡田准一さんがカリスマ性のある信長を演じたことで話題になりましたね。また、人気ゲーム『信長の野望』は40年以上にわたるロングセラーとなるほど、大人気の武将です。
上の肖像画は信長の一周忌、亡くなった翌年1583年に、家臣の余語正勝が報恩のために寺へ納めたもので、作者は狩野派の狩野元秀です。「紙本著色」という技法で描かれ、現在も国の重要文化財として保存されています。
日本の歴史教科書にもよく掲載されているほど有名な肖像画ですが、信長の存在感や家臣の尊敬、戦国の動乱の時代に生きたリーダーとしての重みを伝えるシンボルとなっています。
祖先:織田 信高
引用元:Xさらっとまとめましたー!🫡
— mk (@you13002) May 18, 2025
世界史で受験、専攻が日本史の二刀流です⚔️
長男→信忠(本能寺の変で横死)
織田信成さんは七男の信高さんの子孫と言われています😊
豊田市!旧挙母市ですね🤔
松平家の本拠地みたいな街!
博物館行ってみたいです✨
(また行きたい犬山城) pic.twitter.com/zLJMbqfQUt
織田信高は、安土桃山時代の武将で、織田信長の七男として知られています。織田信成さんが、自身の先祖だと公表していることでも有名です。
1576年に生まれ、母は於鍋の方(興雲院)です。 父・信長の死後は、兄・信秀の仲介で豊臣秀吉に仕えました。
1591年に近江神崎郡山上内に1060石を領し、羽柴姓(豊臣秀吉の旧姓)を与えられ、羽柴藤十郎を名乗りました。
1595年には愛知郡の領地も加増されています。
1600年の関ヶ原の戦いでは東軍を支持し、弟・信貞と共に参戦しましたが、その後の動向についての詳細は不明です。1603年に28歳で亡くなりましたが、具体的な死因については資料に明確な記述がなく、自然死や病死であった可能性が高いと考えられています。
信高は信長の多くの子の中でも比較的歴史資料に記録されており、豊臣家や徳川家に仕えた武将としての経歴を持つ人物です。子孫は徳川幕府で高家旗本として存続しました。
織田信高の肖像画に関しては歴史的な資料や画像が少なく、信長のように有名な肖像画は残っていません。信長の肖像画が多数残されているのに対し、信高の肖像に関する具体的な画像は確認されていないのが現状です。
祖父:織田 重治
引用元:大阪通管工業所
織田信成さんの祖父は、織田重治さんです。大阪通管工業所の創業者であり、アマチュアの古代史研究家として知られています。1917年に生まれ、1995年に78歳で亡くなりましたが、生前は家系の調査も行い、織田信長の直系の子孫であるという証明に尽力した人物です。
1966年、大阪市浪速区桜川で家庭用下水配管の洗浄業を個人経営として創業しました。1968年4月には、家庭用下水配管の洗浄業を「有限会社大阪通管工業所」に改組して新発足しました。今も排水業と貯水槽清掃で大阪市民の生活を支えています。
信成さん自身も「子どものころから『織田信長の子孫やぞ』っておじいちゃんに言われていた」とテレビ番組で語っています。母の憲子さんが技術や練習を支えたのに対し、重治さんは精神面で大きな支えになっていたといわれています。
信成さんはとても泣き虫な性格で、スケートの練習でも失敗するとすぐに泣いてしまタイプ。そんな時に、重治さんから教わった『織田信長の子孫』であるということに誇りを持ち、強く前進出来たのでしょうね。
スケートの演技中に見せる堂々とした表情や、引退後も明るく真っすぐなキャラクターは、お祖父さんの影響も大きいようです。
ただし、織田信成さんの家系図に空白や不明瞭な部分もあり、一部の歴史家や織田家の本家からは系譜についての異論や否定的な声があることもあります。
重治さんの写真については、公開されている情報の中には確認できませんでした。上の画像は、大阪通管工業所の創始者略です。信成さんにとって、「誇りと勇気を与えてくれる存在」 として今も心に生き続けてることでしょう。
母:織田 憲子
引用元:子供の習い事、スポーツナビ
織田信成さんの母親は元フィギュアスケート選手の織田憲子さんです。憲子さんは自身も選手として活躍し、その後コーチとなって織田信成さんの指導にもあたりました。
憲子さんは1947年に大阪府で生まれました。3歳からバレエを始め、子どものころはバレリーナになるのが夢だったと言われています。
スケートを始めたのは、小学校5年生の頃。バレエから次第にフィギュアスケートに転向し、大阪女学院高校時代にはインターハイに出場するなど活躍しました。追手門学院大学を卒業後はバレエ講師を務めました。
結婚後はスケートクラブのコーチに就任し、信成さんのコーチとしても長年指導にあたっています。関西大学アイススケート部のコーチや日本スケート連盟の特別強化選手コーチとしても活動しており、2025年現在もスケート界に貢献中です。
幼少期の信成さんは「泣き虫」で有名。失敗しては泣き、悔しくて泣き、勝っても泣く子でした。お母さんは『泣いてもいい、でも逃げないこと』と言い聞かせ、失敗しても再挑戦させました。厳しいだけでなく、『信成ならできる』『スケートは楽しむもの』という言葉を常にかけてくれていたそうです。
信成さんが思春期になると反抗されることもありましたが、常に「選手としての信成」を最優先に考えての行動を貫きました。料理も工夫し、バランスの良い食事で信長さんの体調管理をサポートし続けたと語られています。
憲子さんの徹底的なサポートで、信成さんは世界へ羽ばたく選手に成長し、世界ジュニアフィギュアスケート選手権(カナダ・キッチナー開催)で優勝したときも『お母さんのおかげです』と真っ先に感謝を口にしています。
母親として、またコーチとしての経験と愛情が信成さんの競技生活を支え、家族ぐるみでスケートに関わる環境を作ってきたことが知られています。
上の画像1枚目は、信成さんが中学生の頃、当時コーチだった憲子さんと自宅前で撮影した時のもの、2枚目は2013年のGPシリーズNHK杯男子フリーの頃の写真だと予想されます。この写真は、当時複数の報道で使用され、2人が笑顔で抱き合う場面が感動を呼びました。
憲子さんは「厳しいコーチ」と「優しい母」という二つの顔で信成さんを支え続けました。泣き虫な少年がオリンピック選手になれた背景には、景子さんの徹底した愛情と指導があったんですね。
織田信成の学歴・経歴
織田信成さんの幼少期は大阪府高槻市で育ち、元スケート選手の憲子さんのサポートのもとでリンクに通い始めました。
小学校1年生のとき、母親の影響でフィギュアスケートを始め、小学生時代は練習を休みたくなることもあったものの、家族のサポートで競技を続けました。
幼少期から涙もろく、感動や悔しさでよく泣く子どもだったことも知られています。
小学生時代は毎日スケート漬けの生活を送ったものの、最初はスケートを「やらされている」という意識が強かったそうですが、練習を続ける中で、強い精神力や自己管理する力が培われ、後の活躍に繋がったようです。
- 小学:不明
- 中学:高槻市立第二中学校
- 高校:阿武野高校
- 大学:関西大学文学部
織田信成さんは高校2年生の時(2003年頃)にインターハイで初優勝し、以降もフィギュアスケートに熱心に取り組み、高校3年生の時にカナダへ留学。技術や競技力を大きく伸ばしました。
高校卒業後は関西大学文学部英語英文学専修にスポーツ推薦での入学。フィギュアスケート界のトップ選手として活躍。高橋大輔選手らとともにリーダー的存在でした。
2010年4月には関西大学学長表彰を受けるなど、学業と競技両面で評価されています。
信成さんの主な経歴は
- 2005年 世界ジュニアフィギュアスケート選手権優勝(日本男子としては2人目)
- 2006年 四大陸選手権優勝
- 2006年 世界選手権4位入賞
- 2008年 全日本フィギュアスケート選手権優勝
- 2009年・2010年 グランプリファイナル2位
- 2010年 バンクーバー冬季オリンピック7位入賞
- 2013年12月 全日本選手権を最後に一度現役引退
- 2015年 関西大学大学院修了、プロスケーター、スポーツ解説者、テレビタレントとして活動
- 2017年4月 関西大学スケート部監督就任(2019年退任)
- 2022年 競技復帰、2024年まで競技続行
- 2023年10月 西日本選手権優勝
- 2024年近畿選手権で表彰台に立つなど、現役として活躍中
持ち前の明るく社交的な性格から、イベントや番組での解説者・タレントの活躍が増えたんですね!

織田信成と元スケート選手のお母さんとの関係は、非常に深く支え合う「親子二人三脚」だったと言われているけど、どんな感じだったのだろう?

織田さんは、幼少期から「ほぼ毎日」、お母さんと夜遅くまで練習したと語っているわ。妊娠中も氷の上に立っていたほどスケート熱心で、「お腹の中で滑ってた」と冗談交じりで話していたほど。試合会場のリンクサイドではお母さんが涙し、織田さんも試合前に涙ぐむシーンは話題になったよね。コーチとしても親としても厳しくも愛情深く見守り続けて、織田さんのスケート人生を支えてきた、かけがえのない存在だわ。
【画像】織田信成の奥さんの職業・年齢は?現在の活動は?
織田信成の奥さんの職業・年齢は?
引用元:chant、Abematimes
織田信成の妻は茉由(まゆ)さんで、2人は中学時代の同級生で織田さんの初恋の相手です。茉由さんは専門学校を卒業後、保育士として勤務していましたが、結婚を機に退職しています。
2人の交際は約5年にわたり、何度も別れたり再会したりを繰り返しましたが、愛が実り、授かり婚で2010年に結婚しました。現在は4人の子どもがいることも公表されています。
茉由さんとは中学1年生の頃に出会い、初めて隣の席になったことがきっかけで織田さんが一目惚れしたというエピソードをインタビューで語っています。
「中学時代は好きって一言も言えなかった。それで高校もバラバラになっちゃった」
「世界ジュニア優勝した時もメッセージ来て、そこで思い切って自分からデートに誘った。高校3年の最後くらい。それがきっかけで付き合い始めた」
引用元:スポニチ
結婚後も夫婦で仲が良く、メディアでのエピソードやSNSでの報告も多いです。
織田さん夫婦は、学生時代からの縁を大切に育み、今も子育てを協力しながら支え合っています。そんな素敵お2人をこれからも温かく見守っていきたいですね。
織田信成の現在の活動は?
引用元:ナタリー、映画とわたし
織田信成さんは、2025年1月の『国民スポーツ大会(国スポ)』に出場し、成年男子ショートプログラムで2位発進、29日のフリー演技を最後に2度目の現役引退を迎えました。
2度目の現役引退後、初のアイスショー出演として『プリンスアイスワールド2024-2025』に参加し、新曲を披露しました。新たなプログラムはユーモアと表現力を兼ね備えており、スケートへの情熱を新たに強めたと語っています。
また、2025年3月に、ミュージカル・エンターテインメント作品『BETTER MAN/ベター・マン』の大阪での試写会トークイベントにゲストとして登壇、以前と変わらずバラエティ番組にも積極的に出演しています。
多才な活動を展開しており、ますます目が離せませんね!
織田信成のプロフィール・SNS
引用元:PR TIMES
プロフィール
- 名前:織田信成(おだのぶなり)
- 生年月日:1987年3月25日
- 年齢:38歳(2025年8月現在)
- 出身地:大阪府
- 血液型:A型
- 趣味:音楽鑑賞、映画観賞、読書
- 特技:フィギュアスケート、トーク、英語
- 所属事務所:株式会社オールラウンド
SNS
- X(旧Twitter) URL:https://x.com/nobutaro1001
羽生結弦半端ないって!
— 織田信成 nobunari oda (@nobutaro1001) June 26, 2018
アイツ半端ないって!
66年ぶりにオリンピック2連覇するねんもん…そんなんできひんやん、普通。
そんなんできる⁉︎
言うといてや、できるんやったら…。
またまたまたまた金メダルやし。#FaOI2018 pic.twitter.com/uIYiArGmqH
- Instagram URL:https://www.instagram.com/nobunari0325?utm_source=ig_web_button_share_sheet&igsh=ZDNlZDc0MzIxNw==
- YouTube URL:https://www.youtube.com/@nobunariod0325/videos
- オフィシャルサイト URL:https://www.allrd.co.jp/belongs/view/652


織田信長さんのYouTubeチャンネルのタイトル、『織田信成の“滑るけどスベらない”チャンネル』って面白いよね!スベらずに滑っている動画が人気なのかな?

一番再生回数が多いのが、『浅田真央さんのソチ五輪フリーを4時間で完コピした動画』で、200万回以上再生されているわ!尊敬の想いを込めて精一杯滑る姿が視聴者の心を打ち、『感動した』『元気が出る』などのコメントがずらりと投稿されてるよ。
羽生選手の再現動画も人気で、織田さんのスケートを観たいという視聴者が今でも多いことが分かるわ。