俳優や歌舞伎役者として活躍を続けている中村隼人さん。
端正かつ芯の強さを感じさせる風貌で、観客を惹きつけています。
今回は中村隼人さんの家系図について確認しながら、深堀りをしていきたいと思います!
最後までお付き合いください!
【画像】中村隼人の家系図がすごい!
筆者作成
中村隼人さんは1993年、鹿児島県で父親、二代目中村錦之助さんの長男として生を受けました。
代々続く歌舞伎の名家に生まれ、映画スターとしても知られる萬屋錦之介や、ドラマなどで活躍した俳優・中村嘉葎雄さんを大叔父に持つなど、歌舞伎や芝居が常に身近にある環境で育ちました。
中村隼人さんの豪華な家族構成について確認していきたいと思います!
中村隼人の<家族構成・家系図>
父:二代目 中村 錦之助(なかむら きんのすけ)
引用元:歌舞伎美人、二代目中村錦之助公式ホームページ
中村隼人さんの父・二代目中村錦之助さんは、1959年5月29日に東京都で生まれました。2025年7月現在65歳です。本名は、小川信次郎(おがわ しんじろう)です。
父・錦之助さんは、1964年7月、5歳で歌舞伎座『宮島のだんまり』において、中村信二郎の名で初舞台を踏みました。端正な顔立ちとスマートな体格を活かし、二枚目役を得意とする存在として注目されていました。
三代目市川猿之助門下で経験を積み、1997年からは五代目中村富十郎のもとで古典歌舞伎を中心に研鑽を積んできました。
平成時代の歌舞伎界では、立役を得意とするベテラン世代とその子世代が厚みを見せる中で、中堅の二枚目俳優として貴重な存在とされていました。
中村隼人さんは、父・錦之助さんに対して「すごく僕からすると怖い父でした。でもそれがあって今があるというか。この業界では僕と父の関係は良好な方だと思います」と語っていました。
父・錦之助さんは、中村隼人さんとの関係について「やはり『老いては子に従え』という言葉があるように、もう一人前になってきたら自主性を尊重してる。その代わり(中村隼人さんが)若い時は基礎を仕込むためにいろいろ言いました」と回想していました。
親子としての関係はもちろん、歌舞伎界を背負う役者同士としても良い関係が築かれていることが分かりますね!
姉:中村千晴子(なかむら ちはるこ)
引用元:日刊スポーツ
中村隼人さんの姉・中村千晴子さんとは、1992年2月28日に東京都で生まれました。2025年7月現在33歳です。本名は、小川千晴子(おがわ ちはるこ)です。
幼少期から中村隼人さんと一緒に、日本舞踊や長唄の稽古を受けていたそうですが、「女優への憧れよりも、ファッション誌『JJ』『美人百科』『ViVi』のモデルになりたかった」と当時の思いを語っていました。
姉・千晴子さんは高校入学と同時に芸能界入りし、モデルとして着物雑誌の表紙などを飾っています。2010年には、NHK連続ドラマ『とめはねっ!鈴里高校書道部』で女優デビューも果たしています。
姉・千晴子さんは、20歳で結婚し長女を出産したことを機に芸能活動を一時休止していましたが、2016年に離婚しています。離婚後も長女を中心とした生活を続け、芸能活動からは離れていましたが、2020年、長女の小学校入学を機に芸能界に復帰しています。
現在は、父である中村錦之助さんも育児をサポートしており、「歌舞伎の公演がない期間は『預かります』とすぐに電話が来た」と語るなど、家族の支えを受けながら新たな一歩を踏み出しています。
祖父:四代目 中村 時蔵(なかむら ときぞう)
引用元:歌舞伎俳優名鑑
中村隼人さんの祖父・四代目中村時蔵さんは、1927年12月1日に東京府(現在の東京都)で生まれました。本名は、小川 茂雄(おがわ しげお)です。
1936年11月、東京歌舞伎座にて二代目中村梅枝を名乗り初舞台を踏み、1953年には六代目中村芝雀(京屋)を襲名されました。これは、当時後継者のいなかった名跡「中村雀右衛門」襲名を視野に入れてのものだったようです。
しかし、兄である中村歌昇さんが病により舞台を早期に退いたこともあり、家を継ぐ立場となります。
父である三代目中村時蔵さんの死後、1960年4月、東京歌舞伎座『八重桐廓噺』『妹背山婦女庭訓』『盛綱陣屋』の三演目で、四代目中村時蔵を襲名しました。
清楚な芸風と美貌を備えた若手女方として高く評価され、特に叔父である十七代目中村勘三郎の相方としてたびたび共演していました。
将来を嘱望されていましたが、人気と引き換えに舞台出演が過密になり、疲労とともに睡眠薬への依存が高まっていったようです。そして、1962年1月、睡眠薬事故により34歳の若さで急逝しました。
中村隼人さんと祖父・時蔵さんが対面することはありませんでしたが、中村隼人さんは祖父の生前の映像を見て感銘を受け、歌舞伎役者を本格的に目指すようになったと語っていることから、大きな影響を与えた存在ということが分かりますね!
従叔父:二代目 中村 獅童(なかむら しどう)
引用元:中日新聞、ORICON NEWS
中村隼人さんの従叔父・二代目中村獅童さんは、1972年9月14日、東京都で生まれました。2025年7月現在52歳です。本名は、小川 幹弘(おがわ みきひろ)です。
祖父は三代目中村時蔵さん、父は初代中村獅童さんです。二代目獅童さんの父・初代中村獅童さんと、中村隼人さんの祖父・四代目中村時蔵さんが兄弟ということですね!
二代目獅童さんは、1981年、8歳の時に歌舞伎座『妹背山婦女庭訓』で初舞台を踏みました。同時に、二代目中村獅童を襲名しています。
歌舞伎俳優として子役・立役として古典から新作まで幅広く活躍され、最近では、ICT融合の「超歌舞伎」などの新機軸にも挑戦されています。
2002年、30歳で映画デビュー作『ピンポン』のドラゴン役で注目を浴び、歌舞伎俳優としてだけではなくテレビドラマや映画でも活躍しています。2003年には、日本アカデミー賞新人俳優賞など5冠を受賞しました。
中村隼人さんは、歌舞伎公演「坂東玉三郎特別舞踊公演」や、NHK Eテレ「古典芸能への招待」で、二代目獅童さんと共演しています。中村隼人さんにとっては、とても頼れる存在であり、舞台の心得など二代目獅童さんから教わったそうです。
中村隼人さんと二代目獅童さんは、単なる親戚としてではなく、舞台上での共演を通じて深い関係を築いていることが分かりますね!
従兄弟:六代目 中村 時蔵(なかむら ときぞう)
引用元:婦人画報、InRed web
中村隼人さんの従兄弟・六代目中村時蔵さんは、1987年11月22日、東京都で生まれました。2025年7月現在37歳です。本名は、小川 義晴(おがわ よしはる)です。
1991年6月、4歳の時に歌舞伎座『人情裏長屋』にて初お目見えをし、1994年6月、7歳の時に歌舞伎座『幡随長兵衛』の倅長松と『道行旅路の嫁入』の旅の若者で四代目中村梅枝を襲名し、初舞台を踏みました。
2018年12月には、五代目坂東玉三郎の指名を受けて、六代目中村児太郎とともに名作『壇浦兜軍記』の阿古屋を演じました。この配役は、芸の継承を象徴する大きな節目となったそうです。
同年には、重要無形文化財に認定され、伝統歌舞伎保存会員にもなりました。
最近では、2023年にはスーパー歌舞伎『FFX』ファイナルファンタジーXのルールー役を演じ、話題になりました。そして、2024年に歌舞伎座『妹背山婦女庭訓』お三輪役で六代目中村時蔵を襲名しています。2024年6月の歌舞伎座『妹背山婦女庭訓』の襲名披露では、中村隼人さんを含む小川家が総出で出演し、晴れ舞台を飾りました。
中村隼人さんの公式Instagramには、六代目時蔵さんの長男・大晴さんが中村隼人さんの楽屋を訪れた投稿があったりと、良い関係を築いていることが伺えます!
五代目 坂東 玉三郎(ばんどう たまさぶろう)
引用元:総合美、歌舞伎俳優名鑑
五代目坂東玉三郎さんは、1950年4月25日、東京都で生まれました。2025年7月現在75歳です。本名は、守田伸一(もりた しんいち)です。
五代目玉三郎さんは、1956年、小児麻痺の後遺症のリハビリをきっかけに日本舞踊を学び始め、6歳で十四代目守田勘弥に弟子入りしました。
その後、才能が認められ、1964年、十四代目守田勘弥の養子に入り、歌舞伎座で五代目坂東玉三郎を襲名しています。1970年代から『桜姫東文章』『鳴神』『伽羅先代萩』『壇浦兜軍記』などで、立女方としての地位を確立していきました。
中村隼人さんは、五代目玉三郎さんのことを「人生を変えた人物」と語っています。隼人さんも女方の家系に生まれ、はじめは女方として舞台に立っていましたが、身長が高かったため、腰を落として演じる必要があり、女方としての難しさを感じていたそうです。
そんな高校時代、五代目玉三郎さんが共演の相手役として中村隼人さんを抜擢しました。その際、五代目玉三郎さんから「あなたは立ち役でいきなさい」と声をかけられたことがきっかけで、中村隼人さんは立役としての道を歩み始めることになりました。
中村隼人さんは、「玉三郎さんが基本的な道を示してくださった」と語っています。
また、中村隼人さんが7歳で初舞台を踏んだ時も、五代目玉三郎さんの子供役として、五代目玉三郎さんと手をつないでの出演でした。血縁はなくても、五代目玉三郎さんが中村隼人さんの歌舞伎人生に大きな影響を与えたことがよく分かりますね。
四代目 市川 猿之助(いちかわ えんのすけ)
引用元:文化放送、中日新聞
四代目市川猿之助さんは、1975年11月26日、東京都で生まれました。2025年7月現在49歳です。本名は、喜熨斗孝彦(きのし たかひこ)です。
1980年7月、5歳で歌舞伎座『義経千本桜』の安徳帝で初お目見えとなりました。その後1983年、二代目市川亀治郎として初舞台を踏んでいます。
2012年、「スーパー歌舞伎Ⅱ」『義経千本桜』などで活躍し、正式に四代目市川猿之助を襲名されています。スーパー歌舞伎の牽引し、伝統演目から新作歌舞伎まで、女方と立役の両方をこなす多才な俳優として注目されています。
歌舞伎の舞台だけでなく、大河ドラマ・映画に多く出演されていることから、幅広いジャンルで活躍されていることがわかります。
中村隼人さんは、四代目市川猿之助さんが主演を務めながらも、深夜まで稽古を重ね、関係各所への気配りも欠かさない姿を見て、「主演としての在り方」を学んだと語っています。
また、四代目猿之助さんは新作舞台の創作において、マイクを手放さずに演出や舞台監督の仕事までこなすこともあり、その熱意あふれる姿に対し、中村隼人さんは「だから人がついてくるんでしょうね」と敬意を込めて話しています。
2023年5月、四代目猿之助さんが明治座で体調を崩し、夜の部の公演が急きょ中止となる中、中村隼人さんは主演を務める予定だった同公演で、急遽、四代目猿之助さんが演じていた源頼光の役を引き継ぎました。
その対応力と責任感には大きな反響があり、観客からは「涙が出た」「男気を見た」といった称賛の声が多く寄せられました。
四代目猿之助さんもまた、中村隼人さんを若手の中でも特に目にかけており、その姿勢からは、大きな期待と深い信頼が感じられます。
中村隼人さんは、スーパー歌舞伎『ワンピース』に出演する以前から、四代目猿之助さんに可愛がられていたと語っており、舞台の内外で築かれた兄弟子的な絆と、互いを高め合う信頼関係が伝わってきます。
中村隼人の学歴・経歴
中村隼人さんは、代々歌舞伎を継承してきた家系に生まれましたが、意外にも「歌舞伎をやれ」と強制されることはなく、比較的のびのびと育てられたそうです。
その後、清明学園初等科に進学し、7歳のときに古典歌舞伎『菅原伝授手習鑑 寺子屋』で初舞台を踏みました。以降は、学業と舞台活動を両立する日々を送り、堀越高校を卒業しています。
- 小学:清明学園初等学校
- 中学:清明学園中学校
- 高校: 堀越高校
- 大学: 進学せず
中村隼人さんは、自身の幼少期について「生意気な子どもだった」と振り返っています。歌舞伎座では、大先輩が舞台に立っている最中にも、舞台裏で同世代の俳優たちとキャッチボールをしていたという、驚きのエピソードもあります。
一方で、当時の先輩俳優たちも、かつては楽屋を遊び場にしていた時期があり、さらに上の世代から礼儀や常識を学びながら育ってきたといいます。
また、中村さんの家系では女方(おんながた)が中心で、立役(たちやく)の芸があまり受け継がれていなかったことから、「歌舞伎をやれ」と強制されることもなく、のびのびと成長できたと語っています。
しかしその一方で、宿命的な“家の役”を持たないことに対して、後ろめたさや悔しさを感じた時期もあり、葛藤を抱えていたようです。
さらに、中村さんは学生時代にバスケットボールに打ち込み、勉強では国語が得意だったそうです。特に古文には強く、周囲が苦戦する中でも「すらすら読めた」と話しています。
またその後の経歴は、
- 歌舞伎座『寺子屋』の松王丸一子小太郎役で、初代中村隼人を名乗り初舞台(2002年2月)
- 『堀部彌兵衛』の彌兵衛娘さちで、国立劇場特別賞 受賞(2007年12月)
- 「歌舞伎のみかた」の解説と『身替座禅』の腰元小枝で、国立劇場奨励賞(2010年7月)
- 「歌舞伎のみかた」の解説と『義経千本桜』四の切の駿河次郎で、国立劇場奨励賞(2011年6月)
- 『隅田川花御所染』の吉田松若丸で、国立劇場奨励賞(2013年3月)
- 『菅原伝授手習鑑』車引の桜丸で、国立劇場奨励賞(2014年3月)
- 浅草公会堂『仮名手本忠臣蔵』五・六段目の千崎弥五郎ほかで、名題昇進(2015年1月)
- スーパー歌舞伎Ⅱ『ワンピース』にてサンジ役を演じる(2015年11月)
- 「歌舞伎のみかた」の解説と『毛抜』の秦秀太郎で、国立劇場奨励賞(2017年6月)
- スーパー歌舞伎『NARUTO』にてうちはサスケ役でW主演(2018年4月)
端正な風貌の特徴を生かし、アニメの実写版歌舞伎でも重要な役を担っているようですね!
初舞台の記憶についても印象的なエピソードを語っていました。
7歳のある朝、父・二代目中村錦之助さんに「隼人、着物着ろ」と言われ、黒紋付を着て家を出ると、黒光りする見たことのない車で劇場へ向かい、当時の先輩たちに挨拶をして回ったそうです。
坂東玉三郎さんの子ども役として花道を歩いた初舞台は、緊張のあまり「永遠に終わらない道のように感じた」と振り返っています。
自身の家が特別な家系だと肌感覚で実感したのは、高校を卒業した頃だったようです。
女方の家系として名優たちの相手役を長年務めてきたことや、祖父である四代目中村時蔵さんの生前の映像を見て、「こんなことをしていたんだ」と意識するようになり、本格的に歌舞伎役者の道を志すようになったといいます。

中村隼人さんは何で堀越高校に進学したんだろう?

それは、歌舞伎と学業を両立したいという理由から、芸能活動をしながら学べる環境が整っている堀越高校に進学を決めたみたいよ!同級生だった俳優・神木隆之介さんとは、今でも仲が良いみたいだよ!
【画像】中村隼人の結婚相手は誰?三田寛子との関係は?
中村隼人の結婚相手は誰?
引用元:デイリー
中村隼人さんは、2025年7月現在、結婚していません。また、結婚歴もありません。
しかし、端正で美しい風貌の持ち主であるがためか、恋愛の噂はいくつかあるようです。過去には、元宝塚歌劇団雪組トップの娘役であった咲妃みゆさんや、トリンドル玲奈さんとの熱愛の噂がありました。
咲妃みゆさんとは、結婚説まで噂されていましたが、中村隼人さんが2018年3月に「現在、交際相手はいない」と発言したことで、交際説は否定されました。
中村隼人と三田寛子の関係は?
引用元:ENCOUNT
中村隼人さんと、三田寛子さん(本名:中村敦子)は、「中村姓」ではあるものの、系統も家紋も異なる別系統であり、血縁関係も親戚関係もありません。
中村隼人さんは、「萬屋」の出身で、父が二代目中村錦之助、祖父が四代目中村時蔵という歌舞伎の名門・中村時蔵家の出身です。
一方、三田寛子さんは、歌舞伎俳優・八代目中村芝翫さんの妻であり、中村歌右衛門家「成駒屋」の家系です。
同じ「中村姓」であることや、顔が似ている?というネットの声もあり、血縁関係があるのではないか?と思われる方も多いようですが、家系図をたどっても接点はない別系譜です。
中村隼人のプロフィール・SNS
引用元:Yahoo!ニュース
プロフィール
- 名前:中村隼人(なかむら はやと)
- 本名: 小川隼人(おがわ はやと)
- 生年月日:1993年11月30日
- 年齢:31歳(2025年7月現在)
- 出身地:東京都(鹿児島県生まれ)
- 血液型:A型
- 趣味:日本画、バスケットボール・料理
- 特技:日本舞踊
- 所属事務所:松竹エンタテイメント
SNS
- Instagram URL:https://www.instagram.com/1130_nakamurahayato/
- オフィシャルサイト URL:https://fan.pia.jp/nakamurahayato-fc/


中村隼人さんは料理が趣味みただけどきっかけって何なのかな?

自分が好きなものを作って食べることが息抜きになるって言ってたよ!共演者の人から作り方を聞いて作ったりもしているみたい!料理の番組も持ってたこともあるみたいだね!