【画像】三船敏郎の家系図がすごい!死因は何?喜多川美佳と別れた理由は?

日本の俳優・映画監督・映画プロデューサーとして活躍をした三船敏郎さん。

第二次世界大戦後の日本映画を代表する名優のひとりで、国際的にも知名度が高く、1960年代以降は日本国外の映画にも出演してきました。

今回は三船敏郎さんの家系図について確認しながら、深堀りをしていきたいと思います!

最後までお付き合いください!

目次

【画像】三船敏郎の家系図がすごい!

筆者作成

三船敏郎さんは 1920年4月1日、中国・山東省青島(当時は日本租借地)で、父・三船徳造、母・センの長男として生を受けました。

父・徳造は秋田県由利郡川内村小川(現在の秋田県由利本荘市鳥海町小川)の出身で、貿易商および写真業を営んでおり、青島や営口で写真館を構えていました。

母・センは新潟県の旗本の家柄の出身とされます。敏郎さんは、弟・芳郎と、妹・君子の兄として育ちました。

三船敏郎さんの家族環境について確認していきたいと思います!

三船敏郎の家族構成

妻:吉峰幸子

引用元:X

吉峰幸子さんは、三船敏郎さんとは、夫婦の関係でした。

幸子さんは、1928年に誕生しました。後に東宝の「第1期ニューフェイス」の試験を受けて合格し、一員となりました。家が医者で厳格な中、内緒でニューフェイス試験を受けており、結局女優としてデビューはしていません。

半年の訓練は最後まで受けたのですが、父親にばれ、東宝と本契約を交わす際に女優の道を諦めたというエピソードが残っています。

第一期ニューフェイスたちは、男女の区別なく仲は良かったそうです。同期だった三船敏郎さんと吉峰幸子さんは、1950年に結婚し、長男・三船史郎さん、さらに次男・三船武志さんにも恵まれました。

専業主婦として、家庭を支えることに尽力しました。しかし、1970年代に入ると夫婦関係には亀裂が生じ、三船敏郎さんの酒癖や女性問題などから、吉峰さんは1972年に離婚調停を申し立てます。

結果的に離婚は成立せず、その後は別居状態が続いたとされています。それでも吉峰さんは妻の立場を守り続け、1995年にすい臓がんのため67歳でこの世を去るまで、三船敏郎さんの正妻としてその生涯を全うしました。

息子:三船史郎

引用元:映画ナタリー

三船史郎さんは、三船敏郎さんの長男にあたります。

三船史郎さんは、1950年11月27日に東京都世田谷区で生まれました。成城大学経済学部に進学し、在学中の1970年に出目昌伸監督の映画『その人は女教師』で俳優デビューを果たしました。翌年には『二人だけの朝』にも出演しましたが、大学卒業後は一時的に俳優活動を離れ、実業の道へと進みます。

1981年には父が設立した「三船プロダクション」に入社し、俳優の育成を目的とした「三船芸術学院」の開校に携わるなど、裏方としても活動を広げていきます。現在は同プロダクションの代表取締役社長を務め、経営面から父の築いた遺産を守り続けています。

俳優としては、2000年公開の『ホーク/B計画』や黒澤明監督遺稿を映画化した『雨あがる』、さらに『バルトの楽園』(2006年)、『蜩ノ記』(2014年)などに出演しました。

2018年には父の軌跡を追ったドキュメンタリー映画『MIFUNE: THE LAST SAMURAI』にも登場し、家族としての視点を交えて父・敏郎さんを語っています。また、1984年の『海燕ジョーの奇跡』など、映画の企画にも関わるなど多彩な活動を展開しています。

上の画像は2017年の「『世界のミフネと呼ばれた男』 三船敏郎 映画デビュー70周年記念展」の記者発表会の時のものです。

内縁の妻:喜多川美佳

引用元:テレ朝POST

喜多川美佳さんは、三船敏郎さんとは、内縁の妻という関係でした。

喜多川美佳さんは、1948年に東京都品川区で生まれた女優です。幼少期に父を亡くし、二人の兄と共に育ちました。

学生時代からバレエやダンスに親しみ、中学では陸上部、高校ではダンス部に所属し部長を務めるなど、早くから芸能の素養を身につけていました。

高校3年の時に、先輩が応募した東宝ニューフェイスの書類がきっかけとなり、CMモデルのオーディションに合格。学校に秘密でタレント活動を始め、1967年頃から本格的に女優として歩み始めました。

当初は「北川美佳」の芸名を用い、テレビドラマ『平四郎危機一発』などに出演しました。1969年には、三船プロダクション製作の映画『赤毛』に出演し、映画女優としてのキャリアをスタートしました。

その後もテレビや映画で活躍し、1999年には高橋ジョージ監督の『ラッキーロードストーン』に28年ぶりに出演するなど、長きにわたり芸能活動を続けてきました。

私生活では、世界的俳優・三船敏郎さんと内縁関係にあり、1982年には一人娘・三船美佳さんを出産しました。敏郎さんは生前、表立って認知はしていませんでしたが、亡くなる際の遺言によって美佳さんが認知されたといわれています。

娘の美佳さんも女優・タレントとして活躍し、2018年には母娘で『ダウンタウンDX』に出演し、初の親子共演を果たしました。

娘:三船美佳

引用元:ORICON NEWS

三船美佳さんは、1982年9月12日に東京都で生まれた女優・タレントで、三船敏郎さんと内縁の妻との間に生まれた娘です。名前の「美佳」は、母の芸名から取られたものです。

幼少期から芸能界に近い環境で育ち、国際的な教育を受けるため横浜インターナショナルスクールに通い、卒業しました。

1997年、NHK大河ドラマ『毛利元就』に出演したことをきっかけに女優デビューを果たしました。その後は、ドラマやバラエティ番組、さらには情報番組や舞台など幅広い分野で活躍し、明るく飾らないキャラクターで親しまれてきました。

芸能界では、父・三船敏郎さんの娘という注目だけでなく、本人のタレント性や柔らかな雰囲気が評価され、独自の存在感を確立しています。

私生活では、1998年に当時16歳で、歌手の高橋ジョージさん(THE 虎舞竜のボーカル)と結婚しました。年齢差が大きい結婚は大きな話題を呼び、その後一女をもうけます。夫婦でバラエティ番組に出演するなど「おしどり夫婦」として知られる時期もありましたが、2016年に離婚が成立しました。

現在は、母親としての経験を生かし、子育てや家庭生活に関する話題でメディアに登場することも多く、同世代の女性からの共感を得ています。

三船敏郎の学歴・経歴

三船敏郎さんの幼少期は父は「スター写真館」を開業、町の商店街にあったその写真館で敏郎は幼少の頃から写真館の仕事を手伝うこともありました。

父が病のため入院することが多くなったこともあって、敏郎は家業の写真館を手伝ったり、その環境下で遊びや映画を見る時間も多く持つ少年時代を送りました。

その後、1940年に満州国の陸軍航空隊に入隊(徴兵)し、写真館での実務経験を買われて、航空隊の写真部に配属されます。

終戦を迎えた後、東宝撮影所で助カメラマンあるいはカメラ助手のような立場を希望しますが、“俳優志望者”として取り扱われてしまいます。

結果的に、東宝の第1回「ニューフェース」募集を通じて俳優として採用され、映画界入りを果たすことになります。

  • 小学:伏見小学校→聖徳小学校→朝日小学校
  • 中学:大連中学校

三船敏郎さんは学生時代から背が高く体格も良かったため、スポーツにも親しみ、クラスメートの中でも存在感を放っていたそうです。

またその後の経歴は

  • 陸軍航空隊入隊(1940年)
  • 戦後、東宝撮影所のカメラマン助手の採用試験を受けるが不合格。俳優養成所を勧められ入所し、同年『銀嶺の果て』で俳優デビュー(1947年)
  • 主演映画『用心棒』でヴェネツィア国際映画祭男優賞を受賞。国際的スターとしての地位を確立(1961年)

となり、映像や構図に対する鋭い感覚の特徴を生かし、俳優デビュー後はカメラに映る自分の姿を的確に理解し、黒澤明監督作品で唯一無二の存在感を発揮する状況になったようですね!

ギモンくん

三船敏郎さんと吉峰幸子さんの離婚はなんで成立しなかったのかな?

カイケツさん

それは、幸子さんが三船さんの酒癖の悪さと、女性問題を理由に裁判所に離婚の調停を申請し、以後5年間にわたる泥沼の離婚裁判が続いたそうだよ。だけど、三船さんが離婚調停を取り下げ、最後まで離婚に応じなかったみたいだよ。

【画像】三船敏郎の死因は何?喜多川美佳と別れた理由は?

三船敏郎の死因は何?

引用元:MOVIE WALKER

三船敏郎さんは1997年12月に、東京都三鷹市内の病院で長男の史郎さんに見守られながら77歳で亡くなりました。晩年は心臓の冠動脈が2本詰まっており、内臓のほとんどが機能しておらず、死因は多臓器不全と報じられています。

晩年は闘病生活を送っており、1992年に心筋梗塞、同時期にアルツハイマー型認知症が進行したと報じられています。この頃から公の場にほとんど姿を見せなくなり、体力的な衰えが隠せない状態だったとされています。

病気が進行するなかでも、親しい関係者に向かって「映画をやっている間は幸せだった」と漏らしたと伝えられています。

三船敏郎が喜多川美佳と別れた理由は?

引用元:Instagram

三船敏郎さんは吉峰幸子さんとの婚姻生活中に、共演した女優の喜多川美佳さんと恋愛関係を持つようになりました。1974年にはアメリカ訪問時に晩餐会で喜多川さんを「妻として」同伴しました。

三船さんは、1980年代に入ると体調に変調が生じ、1992年10月に三船敏郎さんが心筋梗塞で倒れました。その後は軽度の認知症を患っていたそうです。

退院後まもなく喜多川美佳さんは三船敏郎さんを施設に預け、娘・美佳さんを連れて家を出ていったそうです。その後は、離婚調停をしていた本妻の吉峰幸子さんが三船敏郎さんを引き取りって介護をしたそうです。

詳しい真相は三船敏郎さんと喜多川美佳さんにしか分からないのかもしれません。

三船敏郎のプロフィール・SNS

引用元:公式サイト

プロフィール

  • 名前:三船 敏郎(みふね としろう)
  • 生年月日:1920年4月1日
  • 没年月日:1997年12月24日(満77歳没)
  • 出身地:中華民国・山東省青島市(日本人居留地として生まれ、のちに日本・満州大連へ移住)
  • 血液型:A型
  • 趣味:写真撮影、飛行機操縦、読書
  • 特技:写真技術(もともと写真技師志望)、乗馬、アクション演技
  • 所属事務所:三船プロダクション(自身が設立した会社)

SNS

ギモンくん

三船敏郎さんの趣味の写真撮影のきっかけって何なのかな?

カイケツさん

父の経営するスター写真館の仕事を手伝うようになった事がきっかけみたいだね!

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