テニスやスポーツ解説、さらには幅広いジャンルのメディア出演で活躍を続けている松岡修造さん。情熱的でエネルギッシュな姿勢で多くの人々を励ましてきました。
今回は松岡修造さんの家系図について確認しながら、深堀りをしていきたいと思います!
最後までお付き合いください!
【画像】松岡修造の家系図がすごい!
筆者作成
松岡修造さんは1967年、東京都で父親は元テニス選手で実業家の松岡功さん、母親は元宝塚歌劇団所属男役スターの千波静さんの三人姉弟の末っ子として生を受けました。
祖父には宝塚歌劇団を創設した小林一三さんなど、芸術や文化に深く関わる家系に生まれました。家族や親族の多くが演劇や映画、実業の分野で活躍しており、幼い頃から華やかな世界を身近に感じながら成長しました。
その一方で、兄と姉はそれぞれ実業界で活躍し、家族全体が多方面に影響力を持つという恵まれた環境で育ちました。
松岡修造さんの家族環境について確認していきたいと思います!
松岡修造の家族構成
曽祖父:小林 一三
引用元:学校法人関西学院
小林一三(こばやし いちぞう)さんと松岡修造さんは 曽祖父と曾孫 の関係にあたります。小林一三さんは、1873年1月に山梨県に生まれた実業家・政治家です。慶應義塾を卒業後、1893年に三井銀行へ入行しました。
のちに同行を退職し、1907年に箕面有馬電気軌道(現・阪急電鉄の一部)の創立に参画、沿線開発や住宅販売を鉄道と結びつける独創的なビジネスで事業を拡大しました。
文化・流通分野にも乗り出し、1913年に宝塚唱歌隊(のちの宝塚歌劇団)を立ち上げ、1929年には梅田駅直結の「阪急百貨店」を開業して“世界初のターミナルデパート”のモデルを築きました。
東宝や東京宝塚劇場の設立・運営、プロ野球・阪急ブレーブスの創設など、多角展開で都市生活文化を総合的にデザインしました。
政界では、第2次近衛内閣の商工大臣(1940–41)を務め、戦後は幣原内閣の国務大臣(戦災復興院総裁)として復興行政にあたりました。その後、公職追放を経て解除後は東宝社長など要職を歴任しています。
2025年8月18日に放送されたNHK「ファミリーヒストリー」に出演した松岡修造さんは番組内で、一三さんの開拓者精神を知った松岡さんは、「帰っていいですか。息苦しい。こんなの初めてですね。僕に関係ない人だったらすごいなって」と、思わず漏らすような率直な感想を語りました。
父:松岡 功
引用元:Number web
松岡功(まつおか いさお)さんは、松岡修造さんとは、親子の関係です。松岡功さんは、1934年12月に兵庫県生まれの日本の実業家で、映画会社東宝株式会社の社長・会長を務めた人物です。
甲南大学経済学部を卒業後、東宝に入社しました。取締役や専務などを歴任し、1977年に42歳の若さで東宝社長に就任しました。その後も映画・演劇事業の発展に尽力し、1995年には会長に就任しています。
宝塚歌劇団の理事長を直接務めたという公式記録はありませんが、親会社である東宝のトップとして歌劇団の運営に深く関わり、その発展を支えました。
また、松岡家は阪急電鉄や宝塚歌劇団、東宝を創設した 小林一三の流れを汲む家系にあたり、功さんもその理念を受け継いで経営を担いました。
さらに、全日本テニス協会副会長を務めるなど、文化とスポーツの両面で幅広い社会貢献を行いました。
2013年7月4日に逝去。享年78歳。日本の映画界・演劇界、そしてスポーツ界においても功績を残した経営者でした。
修造さんがプロ選手として苦しい時期、両膝を負傷し不振にあえいでいた時に、功さんが夕食時に「大丈夫やで!」とそっと声をかけてくれ、トイレで涙をこぼしたという事があったそうです。
上の画像は1986年の頃のものです。
母:千波 静
引用元:日本経済新聞
千波静さんは、松岡修造さんとは、親子の関係です。本名は松岡葆子(まつおか ほうこ)さんです。千波静(ちなみ しずか)さんは、宝塚歌劇団44期生として入団し、雪組をはじめ花組や星組でも活躍した元男役スターです。
静岡市清水区の山本家に生まれ、高校を中退して宝塚音楽学校に進学しました。舞台では凛々しい男役として人気を集め、多くの観客を魅了しました。
千波さんのご家族も宝塚と深い縁があり、姉の千波淳(じゅん)さん、妹の千波薫(かおる)さんもタカラジェンヌとして舞台に立ちました。
三姉妹がそろって宝塚の舞台で活躍したことから、「宝塚一家」として注目を集める存在でした。
その後、元テニス日本代表であり、のちに東宝の社長・会長を務めた松岡功さんと結婚します。松岡家は阪急電鉄・東宝の創業家系にあたり、曽祖父は阪急・東宝グループを築いた実業家・小林一三さんという名家です。
千波静さんは、宝塚出身の華やかな経歴とともに、実業界と芸能界を結びつける“橋渡し的存在”としても評価されています。
松岡修造さんは、自身の笑顔を“宝塚スマイル”と呼び、「このテクニックが僕の血に引き継がれているかもしれません」と語っています。幼い頃に母の姿から「笑顔の切り替え方を学んだ」と話しており、その表情豊かで印象的な笑顔には、まさに母から受け継いだ“宝塚スマイル”が感じられますね。
上の画像は、1970年代後半から1980年代前半ごろのものです。
兄:松岡 宏泰
引用元:日本経済新聞
松岡宏泰(まつおか ひろやす)さんは、松岡修造さんは兄弟関係(兄と弟) にあります。
松岡宏泰さんは、1966年4月18日にイタリア・ローマで誕生しました。父は元テニス日本代表で東宝の社長・会長を務めた松岡功さん、母は宝塚歌劇団出身の千波静さんという家庭に育ちました。
学歴は慶應義塾大学法学部を卒業後、アメリカに渡り、オルブライト大学経営学科、さらにピッツバーグ大学経営大学院を修了しました。
1992年にはハリウッドの大手エージェンシー「インターナショナル・クリエイティブ・マネージメント(ICM)」に入社し、映画業界の実務を経験しました。
1994年に帰国後は東宝東和に入社し、1998年に取締役、2001年に常務取締役、2008年には代表取締役社長に就任しました。
その後、2015年に代表取締役会長を務めるなど、着実に経営の要職を歴任しました。さらに東宝本体でも2014年に取締役となり、2018年に常務取締役、2021年には取締役常務執行役員を経て、2022年5月26日、東宝株式会社の代表取締役社長兼社長執行役員に就任しました。
宏泰さんは現在、創業100周年を見据えた長期ビジョン「TOHO VISION 2032」を掲げ、アニメ事業の強化やM&Aによる事業拡大を進めています。その戦略は成果を上げ、東宝は過去最高の売上・利益を記録するなど、業界をリードする存在として成長を続けています。
このように、松岡宏泰さんは国際的な視野と確かな経営手腕を備え、日本を代表する映画会社・東宝を牽引する実業家として活躍しています。
修造さんがプロテニス選手を目指して海外に挑戦していた頃、宏泰さんはすでにビジネスの道を歩んでおり、弟の挑戦を冷静に見守りながらも「修造には修造にしかできないことがある」と背中を押していたと伝えられています。
また、修造さんが持ち前の明るさで家族を盛り上げる存在であるのに対し、宏泰さんはその場をまとめ、兄として安定感を与える役割を果たしていたそうです。
妻:田口 恵美子
引用元:zakzak、デイリースポーツ
田口恵美子さんは、松岡修造さんの妻にあたります。田口恵美子さんは、1966年に東京都で生まれ、日本女子大学を卒業しました。1991年には、テレビ東京の報道局経済報道部に記者として入社しました。
その後、アナウンサーとして「ワールドビジネスサテライト」などのニュース番組で活躍しました。知的で落ち着いた語り口と丁寧な報道姿勢で視聴者から親しまれました。
さらに、田口さんはハーバード大学大学院修士課程(メディア専攻)を修了しており、国際的な視野と報道・メディアに関する高度な知識を身につけています。
1998年にプロテニス選手として活躍していた松岡修造さんと結婚したことを機にテレビ東京を退社し、以後は家庭を中心に生活しています。
結婚後は、夫を支えながら家庭を守る存在として活躍しています。夫妻の間には三人の子どもがおり、長女の恵さんは、宝塚歌劇団星組の男役として舞台で活動しています。
田口さんは公の場に出ることは少ないものの、修造さんが「妻の支えがあってこそ自分は全力で活動できる」と語るように、家庭内で精神的な支えとなる重要な存在です。
上の画像は、2018年に行われた長女・恵さんの宝塚音楽学校の入学式に出席した時のものです。
松岡修造の学歴・経歴
松岡修造さんの幼少期は、元東宝社長の父と、宝塚歌劇団出身の母を持つ名門家庭で育ち、非常に恵まれた環境にありました。
家族は、姉の敏子さん、兄の宏泰さん、そして修造さんの三人きょうだいで構成されており、家庭内では教育や礼儀が重んじられる雰囲気の中で成長しました。
幼少期の修造さんは活発で好奇心旺盛な性格で、スポーツに強い関心を示していたといわれています。
特に父・功さんの影響でテニスに親しみ、小さな頃から兄や友人たちと庭や学校のコートでラリーを楽しむ姿が目撃されていました。
また、母・千波静さんからは礼儀作法や舞台芸術に触れる教育を受け、感受性や表現力も養われたとされています。
このように、スポーツと文化の両面で豊かな環境の中で育ったことが、後の情熱的な人間性や舞台での表現力に大きく影響しています。
その後、修造さんはテニスの道を本格的に志すようになり、学業とスポーツを両立しながら成長しました。最終的には パーマー・アカデミー・ハイスクールを卒業され、在学中も国内外の大会に出場するなど、テニス選手としての基盤を築きました。
- 小学:慶応義塾幼稚舎
- 中学:慶応義塾中等部
- 高校: 慶応義塾高校→柳川高校→パーマー・アカデミー・ハイスクール
松岡修造さんは、子どもの頃からテニスに夢中で、中学時代からは練習漬けの日々を送っていました。勉強よりもテニスに時間を費やしてしまい、成績が下がることもあったそうです。
本人もその頃を振り返り、「僕は勉強よりもテニス!ってタイプでした。授業中でも頭の中ではラリーをしていて、先生に怒られることもしょっちゅうでしたね」と語っていました。
またその後の経歴は
- 渡米しプロを目指す(1986年)
- プロテニス選手として本格デビュー(1988年)
- バルセロナ五輪に出場(1992年)
- ウィンブルドンでベスト8進出(1995年)
- 現役引退後、解説者・指導者として活動開始(1998年)
となり、持ち前の強いメンタルと情熱的な性格の特徴を生かし、ウィンブルドンベスト8という日本男子テニス界で歴史的な快挙を成し遂げる状況 になったようですね!

松岡修造さんは、どうしてお兄さんの宏泰さんとの思い出が特別なエピソードとして語られるのかな?

それは、修造さんがプロテニスの夢を追っていた頃、宏泰さんがアメリカ留学の休みを利用してツアーに同行し、試合前に緊張している弟を安心させるために、試合中に食べるバナナを20本も持ち歩いて支えたからで、その姿が兄弟の強い絆を物語っているみたいよ!
【画像】松岡修造の娘は宝塚!現在はなにしてる?
松岡修造の娘は宝塚!
引用元:スポーツ報知
松岡修造さんの長女・恵さんは、2019年(当時18歳)で宝塚歌劇団に入団を果たしました。稀惺かずと(きしょう かずと)という名前で活躍されています。
恵さんの祖先には、宝塚唱歌隊(のちの宝塚歌劇団)を創設した小林一三がおり、祖母は宝塚歌劇団で星組の男役スターとして活躍した千波静です。
父・松岡修造さんがスポーツ界で熱い情熱を示し続けてきた一方で、母や祖母は芸能や舞台の世界に縁を持っており、その血筋を受け継ぐように娘さんも宝塚という華やかな舞台に立つこととなりました。
まさに家族それぞれの歩んだ道が繋がり、新しい世代で花開いた瞬間だったといえるでしょう。
この時、松岡修造さんは、「娘が舞台に立つという決断をする姿を見て、改めて芸術の力の大きさを感じました」とお話しされており、家族としての思いと同時に、娘の努力に対する感謝の気持ちも感じていたことが確認できます。
松岡修造は現在はなにしてる?
引用元:中日スポーツ
松岡修造さんは、2025年8月現在、ヒーローズマネジメント株式会社に所属しており、テレビ番組の出演、講演活動、スポーツ指導など幅広い分野で活躍しています。
特に、若者やアスリート向けのモチベーションアップに力を入れ、情熱的なメッセージで多くの人々に影響を与え続けています。
松岡修造さんは、「修造チャレンジ」にも力を入れています。「修造チャレンジ」とは、公式サイトで以下のように説明されています。
テニスを子供から大人、高齢者まで家族みんなで楽しむことのできるレジャースポーツとして全国に普及していき、家族のより良いコミュニケーションの場を提供するとともに、テニスの普及・活性化を通じて全国的なスポーツ文化の定着に寄与していきたく発足いたしました。
引用元:松岡修造公式サイト
このプロジェクトの一環として、全国の学校やスポーツ団体を訪れ、子どもたちや若者たちに向けた、情熱の授業を行っています。この授業では、モチベーションを高める講演を通して、次世代を担うリーダーやアスリートたちに「心を育てることの大切さ」を伝えています。
このように、テレビや講演活動を通じて、修造さんはその情熱を社会全体に広め続け、今もなお多くの人々に刺激を与え続けています!
松岡修造のプロフィール・SNS
引用元:スポニチ
プロフィール
- 名前:松岡 修造(まつおか しゅうぞう)
- 生年月日:1967年11月6日
- 年齢:57歳(2025年8月現在)
- 出身地:東京都
- 血液型:B型
- 趣味:食べること、映画鑑賞、ミュージカル鑑賞、麻雀
- 特技:テニス、モチベーションアップ(エネルギッシュな指導や講演)
- 所属事務所:ヒーローズマネジメント株式会社
SNS

松岡修造さんの麻雀のきっかけって何なのかな?

麻雀にハマったのは高校1年のころで、麻雀漫画に夢中になって、頭の中は牌だらけだったみたいだよ。でもその経験がテニスに活きて、「耐える力」や「相手を読む力」を身につけられたみたいだよ!