【画像】松田優作の家系図がすごい!結婚歴や妻との馴れ初めは?出演した映画ランキング!

俳優・歌手として1970年代から1980年代末まで第一線で活躍し、日本の映画・テレビドラマ史に残るカリスマ的存在の松田優作さん。

昭和から平成へと時代を駆け抜けた孤高の俳優であり、今もなおその存在感は、日本映画・ドラマ界に強い影響を残しています。

今回は松田優作さんの家系図について確認しながら、深堀りをしていきたいと思います!

最後までお付き合いください!

目次

【画像】松田優作の家系図がすごい!

筆者作成

松田優作さんは、1949年9月21日、山口県下関市で、父親は長崎出身の保護司で、母親は当時下関で質屋を営んでいた在日韓国人のかね子さんです。2人のもとで非嫡出子として生まれました。

戸籍上の誕生日は届け出の関係で1950年9月21日となっています。母親には以前の夫との子供もいましたが、松田さんの父親は誕生後に長崎へ戻り、母と異父兄2人とともに育てられました。

優作さんは、生い立ちは日本と韓国という2つのルーツを背負い、下関という港町で多様な文化環境の中で育ちました。

松田さんの家系は、日本芸能界でも屈指の「芸能一家」として知られています。子供の龍平さん・翔太さん・ゆう姫さんはいずれも芸能界で活躍中で、奥さんで女優である美由紀さんも芸能・創作の世界に強い家系で、姉は女優の熊谷真実さんです。

大型の芸能家系の中心人物である松田優作さんの家族環境について確認していきたいと思います!

松田優作の家族構成・家系図

妻:松田美由紀

引用元:スポニチ 

松田美由紀さんは、松田優作さんの妻で、1983年に結婚し、長男・松田龍平さん、次男・松田翔太さん、長女・松田ゆう姫さんの3人の子供をもうけました。

松田優作さんにとって2度目の結婚で、1979年のドラマ『探偵物語』での共演をきっかけに交際を始めました。

松田美由紀さんは映画、テレビドラマ、舞台と幅広いジャンルで活躍し、個性派女優として高い評価を得ています。特に、彼女の代表作としては以下のものが挙げられます。

映画では、『金田一耕助の冒険』(1979年)が彼女のスクリーンデビュー作であり、この作品で新人賞を獲得しました。また、地方では『蘇える金狼』と2本立て公開され、このキャンペーンで美由紀さんは松田優作さんと初めて会ったと言われています。

その他、『新・天までとどけ』シリーズ『湯けむりスナイパー』シリーズ『北の国から』など、多数のドラマに出演し幅広い役柄をこなしています。舞台でも『三文オペラ』などで実力を発揮しています。

上の画像は 2021年9月にテレビ朝日『徹子の部屋』にゲスト出演した時のもの。夫の松田優作さんへの思いを涙ぐみながら語りました。松田優作さんは家族にとってかけがえのない大切な存在として、心の中にずっと生き続けていくのでしょう。

長男:松田龍平

引用元:クランクイン

松田龍平さんは、松田優作さんと美由紀さんの長男です。1983年5月9日に東京都で生まれ、龍平さんが6歳の時に優作さんが40歳で他界しました。

中学3年生のときに大島渚監督の映画『御法度』(1999年)で主演を務めて俳優デビューし、その演技は高く評価され、日本アカデミー賞をはじめとする主要な新人賞を総なめにしました。

その後も映画『青い春』(2002年)、『恋の門』(2004年)、『舟を編む』(2013年)など数多くの話題作に出演し、2013年には『舟を編む』日本アカデミー賞最優秀主演男優賞を受賞。ドラマ『あまちゃん』『カルテット』などでも高評価を得ています。

学生時代はサッカー選手を目指していたこともあり、中学時代はジュニアユースに所属し、イタリアのセリエAのジュニアチームにも短期間参加していましたが、映画出演の話が来てから俳優に進む道を選びました。

私生活では、2009年1月にモデルの太田莉菜さんと結婚しましたが、2017年12月に離婚。その後、モデルのモーガン茉愛羅さんと2021年10月20日に結婚しました。

松田龍平さんは父である優作さんを「超怖い存在」と語り、自転車ごと投げられたエピソードなどもある厳しい父親像を持っています。

上の画像は2014年3月7日、『舟を編む』で「第37回日本アカデミー賞」最優秀主演男優賞を受賞した時のものです。

龍平さんは父・松田優作さんが生前に残した作品や出演作を研究し、俳優としての表現に深みを持たせるよう努めていることが複数のインタビューで語られています。父と同じく個性的な演技を磨き、現代の日本映画界で重要な俳優の一人として活躍しています。

次男:松田翔太

引用元:チケットぴあ X

松田翔太さんは、松田優作さんと美由紀さんの次男です。1985年9月10日に東京都で生まれました。翔太さんが4歳の時に、優作さんを亡くしています。

2005年にスペシャルドラマ『ヤンキー母校に帰る〜旅立ちの時 不良少年の夢』で俳優デビュー。同年、ドラマ『花より男子』の西門総二郎役で注目を集めます。

2007年にはドラマ『LIAR GAME』で連続ドラマ初主演を務め、映画『ワルボロ』で映画初主演も果たしました。NHK大河ドラマ『篤姫』(2008年)や『平清盛』(2012年)などにも出演し、俳優として活躍を続けました。

2018年4月に、モデルで横綱の千代の富士貢さんの娘である秋元梢さんと結婚。私生活も充実しています。2023年にはテレビ東京のドラマ『THE TRUTH』で主演と企画を担当し、俳優業だけでなく多方面でマルチな才能を発揮しています。

父・松田優作さんの死後、母や兄との厳しいしつけのもと育ち、食事のマナーやテレビ視聴の制限もあったそうです。父への尊敬は深く、俳優としての道を歩むにあたり、父・松田優作さんの作品や精神を大切にしていることをインタビューなどで語っています。

上の画像の1枚目は、2009年8月に行われたTVドラマ『LIAR GAME』の続編と映画版の製作報告会見の時のものです。2枚目は、2019年頃、妹の松田ゆう姫さんが『今夜くらべてみました』(日本テレビ系)へ出演し、兄の龍平さん・翔太さんとの家族エピソードを語った時のものだと思われます。

松田翔太さんは俳優として有名な父と兄を持ち、プレッシャーを感じつつも、独自の演技スタイルを貫き、俳優として確固たる地位を築きました。

松田翔太さんは、家族からの重圧だけでなく、俳優としての現場での「緊張感」や「プレッシャー」なども演技に生かすよう意識して、自身の個性でも輝きを放ち続けています。

長女:松田ゆう姫

引用元:オリコン 

松田ゆう姫さんは、松田優作さんと美由紀さんの長女です。1987年11月30日に生まれ、兄に松田龍平さん、松田翔太さんを持つ芸能一家芸能一家の末っ子としても有名です。

音楽ユニット「Young Juvenile Youth」のボーカルとして活動し、独自のアートセンスや自由奔放な発言で知られています。エピソードや恋愛観をバラエティ番組で語ることも多く、時に率直すぎる発言で話題になることがありました。

家族の父・松田優作さんはゆう姫さんが1歳の時に亡くなっており、直接の記憶は「全くない」とインタビューで語っています。それでも伝説的俳優である父について「一ファンとして会ってみたかったし、父親としても話を聞いてみたかった」と心情を明かしています。

優作さんの入院中、兄たちは「男は弱いところを見せてはならない」という父の方針で病室に入れなかったが、ゆう姫さんだけは入室が許されたと家族が語っています。

上の画像は2018年9月都内で行われた『フェンディピーカブー ~世代を超えて受け継がれるアイコン~』展のトークセッションに参加した時のものです。家族との関係について「父のいない家庭だったので、それだけ4人の絆が深くて、歳を重ねるごとにもっと仲良くなっていきました」とかみしめるように語ったそうです。

松田ゆう姫さんは、父・松田優作さんとの直接的な思い出は乏しいものの、松田家らしい独自で印象的なエピソードや個性を発揮し続けています。

義姉:熊谷真実

引用元:きものとスポニチ

女優の熊谷真実さんは、松田美由紀さんの実姉で、松田優作さんとは「義理の姉弟」という深い関係にあります。

家族の仲は大変良く、3姉妹(一般人の長女、熊谷真実さん、松田美由紀さん)で母親の命日に集まるなど、絆が強いことが紹介されています。

熊谷真実さんは松田優作さんとの直接的な共演などはありませんが、義弟の松田優作さんや、姪となる松田ゆう姫さんらと、ときに番組やSNSで共演し家族の温かい話題を発信しています。

1978年にロックオペラ『サロメ』で舞台デビュー、その後1979年にテレビドラマ『十字路 第二部』でドラマデビュー、同年NHK連続テレビ小説『マー姉ちゃん』で主演し注目を集めました。1980年にはエランドール賞新人賞を受賞しています。

上の画像の1枚目は、2025年7月に熊谷さんが住む静岡でインタビューを受けたときもの。2枚目は、同年6月に松田美由紀さんのインスタグラムで公開されたツーショットです。

「松田家」において熊谷真実さんは親しみ深い存在であり、強い絆を持ち続けていることが伝えられています。

松田優作の学歴・経歴

松田優作さんは山口県下関市今浦町(当時)に生まれ、幼少期は下関市で過ごされました。優作さんは非嫡出子として生まれ、父親は妻子がいたため、優作さんが生まれると長崎に戻り、母親に育てられました。

小学校ではクラスのガキ大将として知られました。その後、高校在学中、母の勧めでアメリカに渡り、カリフォルニア州のシーサイド高校に通いましたが、学校を中退して帰国しています。

帰国後は東京都内の夜間高校に編入し、1970年に関東学院大学文学部に入学しましたが、大学在学中に文学座の研究生となり、俳優を志して活動を始めました

こうした波乱に富んだ生い立ちは、彼の後の俳優としての独特の個性や存在感につながっているといわれています。

  • 小学:下関市立神田小学校
  • 中学:文洋中学校
  • 高校: 山口県立下関第一高等学校(在学中、渡米し、シーサイド高校へ。その後中退)
  • 高校:豊南高校夜間部(東京都)に編入
  • 大学: 関東学院大学文学部

松田優作さんは、大学に入学後、黒澤明監督の自宅を訪れ、三日間座り込んで弟子入りを迫ったそうです。結局、監督に会うことは叶わなかったものの、それが彼の俳優魂に火を点けたそうです。「俺は一生かかっても必ず有名になってみせる。だが、有名になっても黒澤監督の映画にだけは決してでんからな。」と仲間に語った話は有名です。

またその後の経歴は、

  • ドラマ「太陽にほえろ!」でジーパン刑事(柴田純)役として鮮烈なデビューを果たす(1973年)
  • 映画「狼の紋章」で映画デビュー(1973年)
  • 時代劇「竜馬暗殺」に出演(1974年)
  • ドラマ「俺たちの勲章」出演(1976年)
  • 映画「人間の証明」で主演を務め話題に(1977年)
  • ドラマ「大都会PARTII」出演(1978年)
  • 映画「蘇える金狼」で任侠アクションスターとして確立(1979年)
  • ドラマ「探偵物語」で主演・工藤俊作役で大ブレイク(1979年から1980年)
  • 映画「野獣死すべし」に主演(1980年)
  • 映画「陽炎座」(鈴木清順監督)で日本アカデミー賞最優秀助演男優賞を受賞(1981年)
  • 映画「家族ゲーム」で主演、数々の主演男優賞を受賞(1983年)
  • 松本清張原作ドラマ「断線」に出演(1983年)
  • 映画「ア・ホーマンス」を自ら監督・主演(1986年)
  • ドラマ「ヨコハマBJブルース」で主演(1989年)
  • ハリウッド映画「ブラック・レイン」(リドリー・スコット監督)に出演し海外進出(1989年)

松田優作さんは、日本の芸能界で唯一無二の存在感と多彩な演技力を持ち、1980年代を代表する伝説的俳優として永く語り継がれています。

ギモンくん

松田優作さんと美由紀さんはドラマ「探偵物語」がきっかけで親密になったようだけど、どんな感じで惹かれていったのだろう。

カイケツさん

当時17歳だった松田美由紀さんが新人女優として緊張していたところ、松田優作さんが気遣い「深呼吸してごらん」とハグしたエピソードが非常に有名で、これが2人の距離を一気に縮めたみたい。優作さんも美由紀さんの個性に強く惹かれ、恋愛関係に進展したらしいわ。

【画像】松田優作の結婚歴や妻との馴れ初めは?出演した映画ランキング!

松田優作の結婚歴や妻との馴れ初めは?

引用元:Xシネマトゥディ

松田優作さんは、2回結婚をしています。最初の結婚は1975年9月21日で、同じ劇団の仲間であった作家の松田美智子さんと結婚しました。2人は約4年の同棲期間を経て入籍し、翌1976年には長女が誕生しました。

優作さんの出自(非嫡出子で韓国籍であることや実家の問題など)が美智子さんの家族に知られ、さまざまな困難に直面しながらも結婚生活を続けていました。

その後、1979年に松田優作さんはテレビドラマ『探偵物語』新人女優の熊谷美由紀さん(後の松田美由紀さん)と出会い、強く惹かれました。優作さんは彼女の自由奔放でエキセントリックな個性に魅了され、深い関係を築いていきます。

これがきっかけで、優作さんと美智子さんの結婚生活には亀裂が入り、1981年12月24日に離婚となりました。美智子さんは、離婚後、シナリオライターやノンフィクション作家として活動しています。

美智子さんは2008年に『越境者 松田優作』というノンフィクションを出版し、夫としての松田優作さんの姿を公に描いたことで話題になりました。

美智子さんとの離婚成立後、松田優作さんは美由紀さんと暮らし始め、1983年に長男の松田龍平さんが誕生したことを契機に、2人は正式に結婚しました。続いて1985年には次男の松田翔太さん、1987年には長女の松田ゆう姫さんが生まれ、松田家の3人の子どもたちが誕生しました。

松田優作さんの結婚生活は波乱に満ちていましたが、最後には美由紀さんとの家庭を築き、彼らの子どもたちもそれぞれ俳優やアーティストとして活躍しています。この家族の歴史は日本の映画界における松田優作さんの遺産として現在も語り継がれています。

松田優作の出演した映画ランキング!

引用元:映画.com映画.com
引用元:Amazon映画.com
引用元:Amazon映画.com
引用元:Amazon映画.com
引用元:Amazon映画.com
  • 蘇る金狼(1979年)
  • 人間の証明(1977年)
  • 家族ゲーム(1983年)
  • 野獣死すべし(1980年)
  • ブラック・レイン(1989年)

以上5作は、松田優作さんの多彩な演技が光る代表作として特に評価が高く、彼の俳優としての魅力を余すところなく堪能できる作品群です。

総じて、松田優作さんの作品は日本の映画史に新風を吹き込み、多くの俳優・監督・作家に影響を与え、今もなお色褪せない伝説として語り継がれています。

松田優作のプロフィール・SNS

引用元:DIAMOND

プロフィール

  • 名前:松田 優作(まつだゆうさく)
  • 本名: 金 優作(キム・ウジャク)
  • 生年月日:1949年9月21日
  • 年齢:享年40歳(1989年11月6日逝去)
  • 出身地:山口県
  • 血液型:A型
  • 趣味:料理、サウナ、麻雀
  • 特技:空手、格闘技
  • 所属事務所:有限会社オフィス作(オフィスさく)

SNS

ギモンくん

松田優作さんのInstagramは2019年9月21日の生誕70年の日に開設されたんだね!投稿はどんな内容なんだろう?

カイケツさん

主に、松田さんの作品の特別上映情報や展示情報、書籍の発売情報が投稿されているわ。2025年8月26日に『生きている松田優作』が発売された投稿に、ファンから喜びのコメントが上がっていたわ。

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