【画像】石原良純の家系図がすごい!妻稲田幸子との馴れ初めは?勤務病院はどこ?

俳優としても気象予報士としても幅広く活躍している石原良純さん。

歯に衣着せぬ発言とユーモアあふれるキャラクターで、バラエティ番組や情報番組に欠かせない存在となり、独自のポジションを確立してきました。

今回は石原良純さんの家系図について確認しながら、深堀りをしていきたいと思います!

最後までお付き合いください!

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目次

【画像】石原良純の家系図がすごい!

筆者作成

石原良純さんは1962年、神奈川県逗子市にて父・石原慎太郎さん、母・典子さんの三男として生まれました。父は作家であり政治家としても著名で、叔父には俳優の石原裕次郎さんがいます。

兄弟には政治家の石原伸晃さんや石原宏高さんがおり、画家の石原延啓さんがいます。芸能と政界の両分野で活躍する一家のもと、注目される環境で成長しました。

石原良純さんの家庭環境について確認していきたいと思います!

石原良純の家族構成

父:石原慎太郎

引用元:週刊金曜日オンライン

石原慎太郎さんは1932年に兵庫県神戸市で生まれ、神奈川県逗子市や鎌倉市で育ちました。一橋大学在学中に執筆した『太陽の季節』で1956年に芥川賞を受賞し、作家として一躍注目を集めました。

弟・石原裕次郎さん主演で映画化されたことでも話題となり、時代の象徴的存在となりました。1968年に参議院議員として政界入りし、1972年からは衆議院議員としても活躍しました。

文部政務次官や運輸大臣などを歴任し、歯に衣着せぬ発言で存在感を示しました。1999年に東京都知事に初当選し、ディーゼル車の排ガス規制や東京マラソン創設、築地市場の移転問題などに取り組みました。

都知事として約13年半にわたり都政をけん引しました(4期目途中で辞任)。2014年に政界を引退した後も執筆を続け、最後まで言論人として活動されました。

2022年に89歳で逝去され、その多彩な功績は今も語り継がれています。

また、1999年の東京都知事選出馬の際には、俳優として活動していた次男石原良純さんにも注目が集まり、メディアから父の動向について質問されることが増え、公人を父に持つ重みを改めて感じたといいます。

上の画像は2012年に南京事件について会見で語っている時のものです。

母:石原典子

引用元:スポーツ報知

石原典子さんは、石原慎太郎さんの妻であり、4人の子どもを育てた母として、家庭を支え続けた女性です。旧姓は石田で、裕福な家庭に育ちました。父親は元陸軍軍人で戦後は実業家として成功し、典子さん自身も良家の令嬢として育てられたといわれています。

1955年、芥川賞作家として注目を集めていた石原慎太郎さんと結婚しました。夫・慎太郎さんがその後、作家から政治家へと転身し多忙な日々を送るなか、典子さんは表には出ず、子育てと家庭に専念しました。

長男・伸晃さんをはじめ、良純さん、宏高さん、延啓さんの4人の息子たちはそれぞれ政治や芸能、学問の分野で活躍しており、その背景には典子さんのしっかりとした教育方針と支えがあったとされています。

公の場に出ることは多くありませんが、石原家の精神的な柱として長年家族を見守ってきた存在です。特に慎太郎さんが東京都知事を務めていた時期は、家庭を守る姿勢に対して多くの敬意が寄せられていました。

石原良純さんは、テレビなどでたびたび家族について語ることがありますが、なかでも母・典子さんに関する話には、母親への尊敬や感謝の気持ちがにじんでいます。

また、良純さんが芸能界に進むことを決めた際も、父は反対していましたが、母・典子さんは陰ながら見守ってくれていたといいます。「何も言わないけれど、ちゃんと理解してくれている。そういう人だった」と語る姿からは、母への深い信頼がうかがえます。

上の画像は2006年2月にスポーツ報知のインタビューに笑顔を見せている時のものです。

兄(長男):石原伸晃

引用元:jiji.com

石原伸晃さんは、石原慎太郎さんの長男であり、政治家として長年にわたり国政の第一線で活躍してきた人物です。1961年4月19日生まれ、神奈川県逗子市出身です。慶應義塾高等学校を経て、慶應義塾大学文学部社会学科を卒業しました。その後、日本テレビに入社し、報道局に勤務しました。

メディアでの経験を経て、1990年に父・慎太郎さんの議席を継ぐ形で衆議院議員選挙に出馬し、初当選を果たします。以後、通算9回の当選を重ね、経済財政政策担当大臣や環境大臣、自民党政調会長など、政府・党内の要職を歴任しました。

政策においては、経済や環境分野に強く、特に地球温暖化対策や都市の再生などに力を入れて取り組んできました。また、穏やかな語り口と理論的な説明には定評があり、テレビの政治番組などにもたびたび出演していました。

2021年の衆院選で落選するものの、その後も内閣官房参与として再び政権を支える役割を担い、政治の現場に携わっています。石原家の長男として、家族への責任感と共に、信念を持って政治活動を続けてきた人物です。

良純さんが2002年に皮膚科医の幸子さんと結婚した際、その出会いのきっかけは伸晃さんだったそうです。幸子さんによると、伸晃さんが「良純のために良い人を探している」と紹介したのが最初だったといい、初対面の良純さんは緊張してお酒ものどを通らなかったそうです。その後わずか1ヶ月でプロポーズし、電撃結婚となりました。

上の画像は2021年の自民党幹事長時代の時のものです。

弟(三男):石原広高

引用元:自民党

石原宏高さんは、石原慎太郎さんと典子さんの三男で、1964年6月19日に神奈川県逗子市出身です。幼少期はテレビや書籍で知られる家族とともに、賑やかで教育熱心な環境で育ちました。

学歴は地元・慶應幼稚舎から慶應高校まで進学し、慶應義塾大学経済学部に進学されました。大学卒業後は日本興業銀行に入行し、金融・経済分野で実務経験を積まれました。

2003年頃には政治の道へ進む意思を固められ、39歳のときに衆議院議員選挙に初挑戦しました。結果としては当選を逃しましたが、その2年後に行われた選挙で見事初当選されました。

政治家としては、環境副大臣や内閣府副大臣などを歴任し、国の環境政策や地域振興など幅広い分野に携わってこられました。政治家としての一面だけでなく、幼少期からの家族との関係や、学生時代の挑戦経験など、多くの側面を持つ人物です。

温厚で落ち着いた性格ともいわれ、家庭では兄弟の中でも調整役としての役割を果たしてきたようです。

2023年5月、日本テレビ「人生が変わる1分間の深イイ話3時間SP」で、良純さん・伸晃さん・宏高さんの三兄弟がテレビで初共演しました。東武鉄道南栗橋車両管区の訓練線で電車の運転体験に挑みました。特急スカイツリーラインやSLも見学し、各自の個性が光る和気あいあいのロケだったそうです。

良純さんは宏高さんを「自然より夜の街が好き」といじり、さらに家族の中で“コント状態”のやり取りが繰り広げられました。

上の画像は2024年に今年1月、甚大な被害を受けた令和6年能登半島地震の現状を踏まえて半島振興法改正にどう向き合っていくのかを取材された時のものです。

弟(四男):石原延啓

引用元:NOBUHIRO ISHIHARA公式ウェブサイト

石原延啓さんは、石原慎太郎さんと典子さんの四男で、1966年8月22日生まれ、神奈川県逗子市出身の画家・美術家です。慶應義塾幼稚舎から始まり、慶應義塾大学経済学部を卒業後、1991年にニューヨークのスクール・オブ・ビジュアル・アーツ・ファインアート科を修了しています。

延啓さんの作品は、水彩やコラージュを用いた抽象画からスタートし、近年はアクリル画やウォールペイントで神話的・民俗的モチーフをテーマに制作されています。

個展や国際的なグループ展にも多数参加しており、代表的なものには2008年ニューヨーク、2009年東京(「deer man」)、2012年・2013年には越後妻有トリエンナーレ(新潟)やミコノス・ビエンナーレ(ギリシャ)、サンパウロでの展覧会などがあります。

また、作品活動だけでなく、「トーキョーワンダーサイト」のアドバイザリーボード委員やキュレーティングアーティストも務め、2012年のダボス会議で都が主催した「東京ナイト」の舞台背景制作にも携わるなど文化行政にも関わっています。

2022年ごろには神奈川県横須賀市での滞在制作を含むVRを活用した展覧会を開催し、伝統行事の継承と新しい祭祀表現というテーマに取り組んでいます。

2022年末、阿川佐和子さんとの対談記事に良純さんと延啓さんが出演しました。「親父は政治家ではなくアーティストだった」という共通認識のもと、家族として、クリエイターとしての慎太郎像を語り合っていました。

上の画像は2009年に個展「deer man」を開催した時のものです。

妻:幸子

引用元:ORICON NEWS

石原幸子さん(旧姓・稲田)さんは、石原良純さんの妻で、皮膚科の医師として活躍されている方です。

慶應義塾大学医学部を卒業後、皮膚科専門医として都内の病院に勤務し、医療の現場で多くの患者さんに寄り添ってこられました。専門知識と穏やかな人柄で信頼されるドクターとして知られています。

お二人の出会いのきっかけは伸晃さんだったといわれています。出会った当初、良純さんはテレビ番組などで多忙を極めていましたが、幸子さんの落ち着いた雰囲気と知的な会話に惹かれ、交際がスタートしました。

2002年に結婚し、世間でも話題となりました。結婚後も、幸子さんは医師としての仕事を続けながら家庭を支えており、良純さんはテレビ出演などで家族の話題に触れることもあります。特に印象的なのは、「妻は僕よりはるかにしっかりしていて、頭が上がらない」といった発言です。

この言葉からは、夫婦のバランスの取れた関係性と、幸子さんへの尊敬の念が感じられます。また、子どもが生まれてからも夫婦で協力しながら育児を行い、石原家らしいにぎやかで温かい家庭を築いているそうです。

良純さんは、家では“普通の夫・父”として過ごしており、家庭の中では妻のほうが主導権を握っているとも語っています。

上の画像は2023年5月にテレビ番組『証言者バラエティ アンタウォッチマン!』にテレビ初登場したの時のものです。

叔父:石原裕次郎

引用元:石原音楽出版社

石原裕次郎さんは、昭和を代表する俳優・歌手として知られる国民的スターであり、石原良純さんにとっては父・石原慎太郎さんの実の弟、つまり叔父にあたります。良純さんにとって裕次郎さんは、芸能界の大先輩であり、憧れの存在でもありました。

裕次郎さんは1934年に神戸で生まれ、1956年に映画『狂った果実』で俳優デビューを果たしました。その後は『嵐を呼ぶ男』『赤いハンカチ』など数々のヒット作に出演し、俳優として不動の地位を築きます。

さらに、テレビドラマ『西部警察』シリーズでは主演を務め、自身が1963年に設立した「石原プロモーション」を通じて、多くの若手俳優を育成しました。

そんな裕次郎さんと良純さんのエピソードとしてよく知られているのが、良純さんの俳優デビューを裕次郎さんが強く後押ししたという話です。1984年、石原良純さんは石原プロ制作の映画『凶弾』で俳優デビューを果たしますが、この配役を決めたのが、まさに裕次郎さんでした。

当時はまだ大学生だった良純さんにとっては、まさかの大抜擢だったそうです。裕次郎さんは、良純さんの素質を見抜き、「お前は現場で育てればいい」と語ったと伝えられています。

良純さんは後に、「あのとき裕次郎さんが背中を押してくれなかったら、芸能界に入っていなかったかもしれない」と振り返っており、叔父としてだけでなく、人生の転機を与えてくれた存在として裕次郎さんへの深い感謝の思いを語っています。

上の画像は公式サイトにあるもので、石原裕次郎さんを象徴するものになっています。

石原良純の学歴・経歴

石原良純さんの幼少期は、父・石原慎太郎さんが作家や政治家として活躍する家庭で育ち、厳しくも個性的な教育方針の中で過ごした日々でした。

兄弟4人の中でも、特に自由な発想を大切にされていたと言われ、自然や芸術に触れる機会も多く、好奇心旺盛な少年だったそうです。

家族旅行ではスケッチブックを持たされ、見た風景を絵に描くよう促されるなど、感性を育てるユニークな環境が整っていました。その後、慶應義塾高等学校を経て、慶應義塾大学経済学部を卒業されています。

  • 小学:慶應義塾幼稚舎(小学校)
  • 中学:慶應義塾普通部
  • 高校:慶應義塾高等学校
  • 大学:慶應義塾大学経済学部

石原良純さんは、慶應義塾高校時代に「石原慎太郎の息子」として注目される一方で、自分自身を見てほしいという思いから、あまり目立たず自然体で過ごしていました。

高校では陸上部に所属し、真面目に練習に取り組む日々を送っていたそうです。著名な家庭で育ちながらも、仲間との普通の学生生活を大切にしていたのが印象的でした。

またその後の経歴は

  • 「石原プロモーション」に所属し、映画「凶弾」でデビュー(1984年)
  • テレビドラマ『西部警察 PART‑III』にレギュラー出演(1983〜1984年)
  • 「石原プロモーション」を退社、バラエティ進出(1989年)
  • 気象予報士資格取得とウェザーキャスター転身(1997年)

となり、俳優と気象予報士という異色の経歴の特徴を生かし、幅広いジャンルで活躍できる状況になったようですね!

ギモンくん

石原良純さんは、どうして叔父の裕次郎さんとあれだけ深い関係だったのかな?

カイケツさん

芸能界デビューのきっかけが叔父・裕次郎さんの後押しだったという理由から、石原プロモーションで主演を務めるようになったからみたいよ!

【画像】石原良純と妻稲田幸子との馴れ初めは?勤務病院はどこ?

石原良純と妻稲田幸子との馴れ初めは?

引用元:テレビ朝日「おしどり写真館」

石原良純さんは、2002年(当時40歳)で12歳年下の医者の幸子さんと結婚をしました。出会いのきっかけは、石原良純さんの兄・石原伸晃さんの紹介によるもので短期間で結婚に至りました。

この時石原良純さんは、「もう40歳になって、自分ひとりの人生じゃないと思うようになった」とお話しされており、仕事では順調に活動していた一方で、家庭を持つことへの意識が高まり、「そろそろ腰を据えて生き方を変えないと」と感じていたことが確認できます。

幸子さんは初対面時、良純さんの緊張や真剣さを目の当たりにし、「居心地がよく、自分が素直になれる相手」と感じ、一目で好印象を持ったと話されました。

また、結婚への決断について、「嫌な気はしなかったし、不安よりも『なんとかなるかな』という気持ちだった」と語るなど、自然体で信頼関係を築いている様子が伝わります。

石原良純の妻稲田幸子の勤務病院はどこ?

引用元:ORICON NEWS

石原良純さんの妻、稲田幸子さん(結婚後は石原幸子さん)は、2025年7月現在、皮膚科の非常勤医師として、国立病院機構・東京医療センター(目黒区)に勤務されています。

2023年5月にはテレビ番組『証言者バラエティ アンタウォッチマン!』にご本人がテレビ初登場した際に、石原良純さんとの出会いから結婚に至る過程をご自身の言葉で包み隠さず語り、周囲に安心感や信頼を与える人柄を印象づけました。

石原良純のプロフィール・SNS

引用元:スポーツ報知

プロフィール

  • 名前:石原 良純(いしはら よしずみ)
  • 生年月日:1962年1月15日
  • 年齢:63歳(2025年7月現在)
  • 出身地:神奈川県
  • 血液型:A型
  • 趣味:城、ダム、地図の愛好家
  • 特技:テニス、ゴルフ、スキューバダイビング、ボーリング、卓球
  • 所属事務所:湘南ブラザース

SNS

ギモンくん

石原良純さんの気象予報士試験を受けようと思ったきっかけって何なのかな?

カイケツさん

神奈川県の葉山・鐙摺漁港で撮影ロケをしていた際、西から東へ流れる雲の列や風向きの変化に「海辺の広い空と移ろいゆく景色が楽しい」と感じたからみたいだね!

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