歌舞伎界で活躍を続けている市川海老蔵さん。
舞台上での立ち居振る舞いや演技において、圧倒的な存在感を表してきました。
今回は市川海老蔵さんの家系図について確認しながら、深堀りをしていきたいと思います!
最後までお付き合いください!
【画像】市川海老蔵(團十郎)の家系図がすごい!
筆者作成
市川海老蔵さんは1977年12月6日、東京都にて父・十二代目市川團十郎さん、母・希実子さんの長男として生を受けました。市川團十郎家は「歌舞伎界の宗家」と言われるほど格の高い家であり、歌舞伎の稽古を始め、とても厳しい環境で育ちました。
市川海老蔵さんの伝統ある家系図について確認していきたいと思います!
市川海老蔵の<家族構成・家系図>
父:十二代目 市川團十郎(いちかわ だんじゅうろう)
引用元:成田屋、歌舞伎俳優名鑑
市川海老蔵さんの父である十二代目市川團十郎さんは、1946年8月6日に東京都で生まれ、本名は堀越夏雄(ほりこし なつお)さんです。
幼少期は扁桃腺が弱く、風邪を引きやすい体質で、性格も内向的だったといいます。青山学院高校の3年生の時、体育教師に勧められてラグビー部に入部し、ひ弱だった体が丈夫に変化しました。自他ともに認めるおっとりとした性格で、友人からは「おっとり君」「のんびり閣下」と呼ばれていたようです。
しかし、歌舞伎の世界では、早く出世した父・十一代目市川團十郎さんとは異なり、彼自身の努力で芸を磨き、骨格の大きな骨太な芸風で重厚な存在感を放ち、独特の愛嬌も備えていました。
1953年10月歌舞伎座にて上演された『大徳寺』の三法師公で市川夏雄を名乗り、初舞台を踏みました。1958年には『風薫鞍馬彩』の牛若丸で六代目市川新之助を襲名しました。1985年4月から6月にかけて歌舞伎座で行われた襲名披露興行では、『勧進帳』の弁慶や『助六』の助六などを演じ、十二代目市川團十郎を襲名しました。
息子の市川海老蔵さんに対しては、熱血的な歌舞伎指導を行い、海老蔵さん自身も当時の厳しい稽古により「心身ともに疲労困憊だった」と語っています。
友人からはのんびり屋と言われていた団十郎さんですが、歌舞伎となると人が変わるほどの熱量を持っていたことが分かります。
1986年1月に日本俳優協会の理事に、そして1999年4月には伝統歌舞伎保存会の理事に就任し、歌舞伎の復興や保存に大きく貢献しました。
2004年5月、息子・市川新之助さん(後の海老蔵さん)の襲名を発表する前後に白血病が発覚し、治療に専念することになりました。
その後、約半年後の10月には歌舞伎に復帰を果たしましたが、2006年6月には再発。自家末梢血幹細胞移植や継続的輸血などを受けながら壮絶な闘病生活に挑みました。その後、骨髄移植も経て、2008年には再度復帰しています。
2010年10月27・28日には、浄土宗総本山知恩院で催された「法然上人800年大遠忌記念 総本山知恩院奉納歌舞伎」にて、新作『黒谷』を「三升屋白治(みますや はくじ)」の名で上演しました。
2013年、肺炎のため東京都港区の病院で逝去されましたが、生前の功績により、没日である2月3日付で日本政府から正五位および旭日中綬章が追贈されることが閣議決定されています。
母:市川希実子(いちかわ きみこ)
引用元:スポニチ、総合美
市川海老蔵さんの母、堀越希実子さんは1952年9月10日に東京都で生まれ、2025年6月現在、70歳です。
学習院大学文学部仏文学科を卒業後、1976年に当時十代目市川海老蔵(のちの十二代目市川團十郎)さんと結婚されました。日常で培われたセンスを生かし、成田屋に由来するきものブランド「茶屋ごろも」のデザインと監修を担当しています。
ネット上には海老蔵さんと母・希実子さんの不仲や確執をうかがわせる噂がありますが、発端や具体的な根拠は確認できませんでした。
海老蔵さんが過去の不祥事などで家族や成田屋にも影響を及ぼしたことから、その噂が広がった可能性があります。しかし、2021年6月9日に海老蔵さんはSNSで希実子さんとの不仲説を明確に否定しています。
また、同SNSでは「私の母は優しく純粋な人です」「とても大切な私の母です」といった言葉も発信されています。
妹:四代目 市川翠扇(いちかわ すいせん)
引用元:総合美、家庭画報.com
市川海老蔵さんの妹である四代目市川翠扇さんは、1979年5月26日に東京都で生まれ、2025年6月現在、46歳です。本名は、堀越智英子(ほりこし ちえこ)さんです。現在は女優や舞踊家として活躍されています。
2006年8月、日本舞踊・市川流で三代目「市川ぼたん」を襲名。同月22日・23日、東京・国立劇場で開催された「市川流舞踊会」で襲名披露されました。
父である十二代目市川團十郎さんとともに、『鏡獅子』や『京人形』を共演したこともあります。女優としては2008年、草彅剛さん主演の舞台『瞼の母』でデビューしました。
2023年5月1日、「十二世市川團十郎十年祭 特別展」のオープニングテープカットに海老蔵さんと翠扇さんが共に出席した際、展示されていた陶器製の重箱をめぐり、兄弟のほほえましいやり取りがありました。
陶器を使用したことが無いと主張する海老蔵さんに対し、翠扇さんは「父が亡くなってからは使ってないんですけど、あれは父が海老蔵時代に絵付けをしたものなので」と説明し、時々母・希実子さんが料理をよそって使用していたと語りました。
すると、市川海老蔵さんは「昔ね。私の中では昔ですから。彼女(翠扇さん)の中では最近なの。昔の話でしょ? “最近使ってません”を否定しないでください。少なからず10年は見てないよ、やめてください(笑)」と応じました。
このやり取りは、歌舞伎役者としてではなく、普通の兄妹としての自然な関係性が垣間見える、心温まる一幕ですね。
妻:小林麻央(こばやし まお)
引用元:セントフォース、BBC
市川海老蔵さんの妻である小林麻央さんは、1982年7月21日に新潟県小千谷市で生まれ、東京都で育ちました。高校は國學院高等学校、大学は上智大学文学部心理学科を卒業しています。
上智大学在学中、姉の小林麻耶さんに勧められ、日本テレビ系恋愛トーク番組『恋のから騒ぎ』に出演。注目を集めたことが、芸能界入りへのきっかけになったようです。
市川海老蔵さんとは2010年3月に結婚し、一男一女に恵まれました。結婚前はフリーアナウンサーやタレントとして活躍しており、将来は鈴木京香さんのような女優を目指していたようです。
2014年2月の人間ドックで乳房にしこりが見つかり、当初複数の医師により癌は否定されました。しかし同年10月に再検査を受けたところ、腋窩リンパ節にも浸潤する乳癌であると診断されました。
2016年6月9日に乳癌であることを公表し、同年9月1日にはブログ『KOKORO.』を開設。主に闘病生活を綴り、2017年6月20日(死去の約3日前)までに352回更新されました。
ブログの読者数は250万人を超え、病状を積極的に発信した姿が評価され、2016年11月には英国放送協会(BBC)の「今年の100人の女性」に日本人として初めて選出されました。
妻・麻央さんの闘病中、劇場でのサポートは海老蔵さんの母・希実子さんや妹・四代目市川翠扇さんが、自宅でのサポートは麻央さんの母や姉・小林麻耶さんが担っていたそうです。
病床にあっても「できることはないか」と考え、2017年1月9日放送の海老蔵さんの出演のドキュメンタリー番組『市川海老蔵にござりまする』(日本テレビ系)に、入院中にもかかわらずインタビュー出演。これが妻・麻央さんが公の場に登壇された最後となりました。
2017年6月22日の夜、自宅にて海老蔵さんや子どもたち、姉・小林麻耶さん、両親に看取られながら、34歳で永眠されました。遺された最後の言葉は「愛してる」だったと伝えられています。
海老蔵さんは妻・麻央さんについて「私のどんな部分も愛してくれていた人」「愛してくれていたことは分かっていたんですけど、最後の最後まで愛してくれていたことは…なんとも言えませんね」「私が役者として成長してく姿を見ていてもらいたかった存在」「僕を変えた奥さん」と語っていました。
海老蔵さんと妻・麻央さんが、深い絆と愛情で結ばれていたことがよく伝わってきますね。
長女:四代目市川ぼたん(いちかわ ぼたん)
引用元:ブルーミングエージェンシー、めざましmedia
市川海老蔵さんの長女である四代目市川ぼたんさんは、2011年7月25日に誕生し、2025年6月現在で13歳です。本名は堀越麗禾(ほりこし れいか)さんです。
2019年には正式に四代目市川ぼたんを襲名し、披露公演を行いました。
2023年4月からは芸能事務所ブルーミングエージェンシーに所属し、芸能活動を開始しています。歌舞伎の舞台では四代目市川ぼたん名義で活動し、それ以外の活動では本名の堀越麗禾を名乗っています。
2021年にはテレビドラマ『桶狭間 OKEHAZAMA〜織田信長〜』で帰蝶の幼少期を演じ、女優デビューを果たしました。2025年はテレビドラマ『キャスター』にも出演しています。
また、女優業のほか、声優としても活躍しており、映画『DC がんばれ!スーパーペット』(2022年)や『ザ・クリエイター/創造者』(2023年)の吹き替えを担当しました。
母・小林麻央さんがご存命の際は、ブログなどで顔を隠して登場していた市川ぼたんさんですが、現在は歌舞伎のみならず、さまざまな分野で活躍しています。
長男:八代目 市川新之助(いちかわ しんのすけ)
引用元:ORICON NEWS、スポーツ報知
市川海老蔵さんの長男である八代目市川新之助さんは、2013年3月22日に東京都で誕生されました。2025年6月現在、12歳で、本名は堀越勸玄(ほりこしかんげん)さんです。
祖父である十二代目市川團十郎さんは、跡取りとなる孫の誕生を心待ちにされていましたが、2013年2月3日に逝去されました。
「勸玄」という名前は、父・海老蔵さんが、逝去前に祖父・團十郎さんに相談していた唯一の名前だそうです。伝統ある梨園の家に生まれた勸玄さんは、父に“相談&報告”していたことを重要視し、「勸玄」という名前を付けられたとのことです。
2015年11月には、歌舞伎座で開催された「吉例顔見世大歌舞伎 十一世市川團十郎五十年祭」の夜の部・長唄舞踊『江戸花成田面影』にて、わずか2歳8か月で初お目見得を果たしました。
2022年の八代目市川新之助襲名披露公演では、史上最年少で「毛抜」の粂寺弾正を演じ、父・海老蔵さんは「おおらかで、粂寺弾正を演じる資質がある」と期待を寄せていました。
市川新之助さんは、祖父・十二代目市川團十郎さんに似ていると言われることもあり、多くの名のある歌舞伎役者から将来を見込まれています。
順当に行けば、父の後を継ぎ、成田屋の跡取りとなる八代目市川新之助さんの活躍に期待したいですね!
祖父:十一代目 市川團十郎(いちかわ だんじゅうろう)
引用元:毎日新聞、歌舞伎俳優名鑑
市川海老蔵さんの祖父である十一代目市川團十郎さんは、1909年1月6日に現在の東京都中央区日本橋で誕生しました。誕生時の本名は、藤間治雄(とうま はるお)さんです。
十一代目市川團十郎は、七代目松本幸四郎の長男で、市川宗家の養子となりました。十一代目市川團十郎さんは、九代目市川團十郎の娘婿である五代目市川三升(十代目市川團十郎)の養子となり、市川宗家を継承しました。
十一代目市川團十郎さんは、「花の海老さま」と称されるほどの美貌と品格を備え、戦後の歌舞伎界を牽引した名役者です。
1946年、東京劇場で上演された『助六由縁江戸桜』で助六を演じ、圧倒的な人気を獲得しました。美形と響く美声で一気に「花の海老さま」として名声を得ました。
1962年4月、十一代目市川團十郎を襲名。当時、歌舞伎人気が低迷していた中、その襲名披露興行は「世紀の大襲名」「一億円の襲名」とまで呼ばれています。
十一代目市川團十郎さんは、市川團十郎を襲名してから3年半後の1965年、56歳の若さで胃癌のため逝去されました。
孫である海老蔵さんは、十一代目市川團十郎さんのご存命中にお会いすることはありませんでしたが、少年時代の一時期、厳しい稽古に反発を繰り返していた際、立ち直ったきっかけとなったのが、生前の祖父・十一代目市川團十郎さんの写真を見たことでした。
市川海老蔵さんは、写真に映る祖父の勇姿と芸の美しさに感銘を受け、「人生で初めて惚れた男が祖父でした」と後に語っています。
松本幸四郎家は、歌舞伎界の宗家と言われている市川團十郎家と並び、歌舞伎界に名を轟かせる存在であり、江戸時代から市川団十郎家と深い関係がある家柄・名跡です。
松本幸四郎家には、俳優としても大活躍されている二代目松本白鴎さんや、娘の松たか子さん、十代目松本幸四郎さんもいらっしゃいます。改めて、海老蔵さんの家系図を辿ると豪華な顔並みですね!
そして、市川海老蔵さんは、市川團十郎家の血筋だけではなく、松本幸四郎家の血が入っていることが分かりました!
はとこ:十代目松本幸四郎(まつもと こうしろう)
引用元:通訳・翻訳ブック、サンスポ
市川海老蔵さんのはとこである十代目松本幸四郎さんは、1973年1月8日に東京都港区で誕生しました。2025年6月現在、52歳で、本名は藤間照薫(ふじま てるたか)さんです。
1979年に三代目松本金太郎を襲名し、歌舞伎座で初舞台を踏みました。歌舞伎の舞台のみならず、ドラマや映画でも俳優として幅広く活躍しており、大河ドラマ『八重の桜』では孝明天皇役を演じました。
海老蔵さんとは、はとこ同士として親しい関係にあり、お互いを「戦友」と呼び合っています。
2019年1月の会見では、十代目松本幸四郎さんが「彼とは、はとこの仲。同世代なので互いに歌舞伎界を盛り上げられれば」と語り、海老蔵さんも「嬉しい!」とコメントしています 。
最近のお二人の共演は、2020年5月、歌舞伎座「五月大歌舞伎」や2022年11月、歌舞伎座「吉例顔見世大歌舞伎」にて実現しました。歌舞伎界の宗家の跡取りとして、お互いに切磋琢磨しながら舞台に立ち続けています。
また、プライベートでは同じ草野球チームに所属するなど、公私にわたって良好な関係を築いていることがうかがえます。
はとこ:松たか子(まつ たかこ)
引用元:スポニチ、デイリー
市川海老蔵さんのはとこ・松たか子さんは、1977年6月10日に東京都で誕生しました。2025年6月現在48歳で、本名は藤間隆子(とうま たかこ)さんです。テレビドラマや映画などで活躍し、日本を代表する女優の一人として広く知られています。
松たか子さんは、1993年、16歳で歌舞伎『人情噺文七元結』で初舞台を踏んでいます。その翌年の1994年にはNHK大河ドラマ『花の乱』で女優デビューしました。そして、同ドラマは、市川海老蔵さんとの共演作品でもあります。1995年にはNHKドラマ『藏』で主演を務め、女優としての頭角を現すことになりました。
市川海老蔵さんとは、はとこであることや、年も近いこともあり、舞台などの楽屋をお互い行き来することもあるようです。松たか子さんは、市川海老蔵さんのことを本名の寶世くんと呼んでおり、親しい関係であることが伺えます。
松たか子さんは、テレビの放送にて「(ブログに)私は絶対載せるな」と市川海老蔵さんに言っており、「絶対写真撮らないです、そうすると。近寄ってこない。怖がられてる」とユーモアたっぷりに話していました。
しかし、市川海老蔵さんは、放送翌朝のブログに「昨日の笑 初松たか子さん」のタイトルとともに同番組が映るテレビの画像を掲載し、「載せちった」とニヤリ笑顔の顔文字とともに投稿を更新されていました。
松たか子さんは、「いつかお互いの子供を会わせたい」とも語っており、家族ぐるみで良好な関係であることが伺えます。
13代目・市川團十郎 学歴・経歴
13代目・市川團十郎さんは、代々続く成田屋の長男として、幼少期から厳しい稽古と隣り合わせの環境で育ちました。10代の頃は、稽古や家柄・伝統の重責に耐え切れず反発を繰り返していたそうです。
市川海老蔵さんは3歳の時に父である12代目・市川團十郎さんに「あなたは将来、歌舞伎をやりますか?」と問いかけられ、まだ3歳で意味も深く理解せず「はい、うん!」と返事をしたそうです。
その後、小学校の頃には毎日2時間近い稽古で歩けなくなる程になることもありましたが、辞めようとすると、父・團十郎さんから「あなたは3歳の時に…」と毎回言われ、辞められない状況を作り出されていたそうです。
父・團十郎さんのスパルタ教育の影響もあり小学校6年生の頃には椎間板ヘルニアを発症されています。
中学校では、反抗期に突入し、父・團十郎さんへの不満が爆発し、髪の毛を染めていました。また、バスケットボール部に所属し、歌舞伎以外の楽しみを見つけたようです。
- 小学:青山学院小学校
- 中学:青山学院中学校
- 高校: 青山学院高校 中退
- 高校:堀越高校
- 大学: 進学せず
市川海老蔵さんは、青山学院高校入学後、多忙な仕事と学業の両立が難しく、留年をし1年生を2回経験したそうです。その後、青山学院高校は中退しましたが、多くの芸能人が在学する堀越高校の芸能コースへ編入し無事、卒業されています。
堀越高校では、歌手・浜崎あゆみさんとクラスメイトだったようです!同じクラスに、海老蔵さんと浜崎あゆみさんがいるなんて、とても豪華ですね!
またその後の経歴は、
- 歌舞伎座『外郎売』の貴甘坊役で七代目市川新之助を名乗り初舞台(1985年)
- 歌舞伎座『源氏物語』の光君を務める(2000年)
- 11代目市川海老蔵を襲名(2004年)
- フランス・パリのシャイヨ宮劇場で『市川新之助改メ十一代目市川海老蔵襲名披露フランス公演』(2004年)
- パリ・オペラ座で初の歌舞伎公演を父とともに実現(2007年)
- 西麻布の飲食店で暴行を受け、頭部、顔面を負傷。暴行事件に発展し、謹慎処分となる(2010年)
- 謹慎を解かれて新橋演舞場『七月大歌舞伎』で舞台復帰(2011年)
- 13代目市川團十郎白猿を襲名(2022年)
歌舞伎の舞台を多く踏み、力を付けたことが認められ、無事、2022年に十三代目市川團十郎白猿を襲名されています。
海老蔵さんは、2003年に歌手・日置明子さんとの間に婚外子である女児がいることが判明しました。海老蔵さんは、会見にて認知をし、療育費を支払っていくことを説明されたようです。
また、2010年11月に起こった暴行事件では、西麻布のバーで一人でお酒を飲んでいた、海老蔵さんが、暴走族グループ・関東連合元リーダーとのトラブルに巻き込まれ、用心棒で同席していた当時26歳の男性に暴行を受けました。
海老蔵さんは、事件後、自宅に帰宅しましたが、その姿を見た妻・小林麻央さんが110番通報をし事件が明るみに出ることとなりました。その後、海老蔵さんは、入院し、顔面の整復手術を受けています。
事件は、示談になったものの、父・市川團十郎さんの怒りを買い、約半年間の謹慎処分を受けました。

市川海老蔵さんは、青山学院で高校まで過ごされていたんだね。

重圧から周りに反抗していたこともあったみたいだけど、現在は当時を振り返って「豊かな学生生活だった」と語ってたよ。
【画像】市川海老蔵(團十郎)と妻の馴れ初めは?娘・息子との関係は?
市川海老蔵(團十郎)と妻の馴れ初めは?
引用元:ORICON NEWS、四国新聞
市川海老蔵さんは、2010年3月に当時アナウンサーだった小林麻央さんと入籍しました。
お二人の出会いは、麻央さんがキャスターを務めていた『NEWS ZERO』でのインタビューでした。團十郎さんは、麻央さんとの出会った際、「あぁ、結婚するかも」と感じ、運命の人との出会いに電撃が走ったと語っています。
その後、麻央さんは、團十郎さんが出演する歌舞伎の観劇に赴くなどのデートを重ねました。交際期間は、約半年のスピード婚で世間を驚かせました。
麻央さんが2010年4月に『SMAP×SMAP』に出演した際に、結婚の決め手について「4か月でも、ぴたっと合えば運命の人で、結婚できるって聞いていたんです」と説明しています。
お二人の出会いから結婚までのスピード感と、まさに運命的なエピソードには驚かされますね!
市川海老蔵(團十郎)と娘・息子との関係は?
引用元:Yahoo!ニュース、ORICON NEWS
市川海老蔵さんには、2025年6月現在、13歳になる長女・麗禾さん、12歳になる長男・勸玄さん、2人のお子さんがいます。
海老蔵さんは、自身が厳しい稽古から反抗していた過去があったため、歌舞伎をさせるにしろ、子供達の意思を大切にしているようです。長女・麗禾さんが女優としての道を希望した時も背中を押し、麗禾さんは芸能事務所に所属することとなりました。
2021年に自身のYouTubeに投稿した親子3人でのパジャマパーティーではお互いについて語り合う場面がありました。
その中で、市川海老蔵さんは、長女・麗禾さんについて「麗禾は優しい。10歳なのに、人の気持ちになって考えられるし、行動できてすごい。お誕生日の人に手紙を書いて渡していてね、そういう優しさがママにそっくりだなと思って、大好きです」と話していました。
長男・勸玄さんについては、「持って生まれた愛らしさがある。人を楽しませようとするところが、すごいと思う。あと、皆から『勸玄はもの知ってるね』って言われると、嬉しそうな顔をするのが大好き」と語っていました。
一方、長男・勸玄さんは、父・市川海老蔵さんについて、「僕を叱ってくれるところとか、ちゃんとしてるところが好き。パパの過去を見るとね、ちょっと…あんまりよろしゅうないんだけど、それがあるから今がある」と子供とは思えない、しっかりとされた発言をされていました。
長男・勸玄さんの発言に、市川海老蔵さんは「深いこと言うね、『過去によろしくないこと』があって…」と苦笑いされていました。すると長女・麗禾さんが「パパが子どもじゃん」とつっこまれる場面もありました。
歌舞伎界では子弟関係にあり、時には厳しい父・市川海老蔵さんも、一度親子の関係に戻ると優しい父親の顔となり、良好な関係を築いているように感じられますね。
市川海老蔵(團十郎)のプロフィール・SNS
引用元:ナタリー
プロフィール
- 名前:市川 團十郎(いちかわ だんじゅうろう)
- 本名:堀越 寶世(ほりこし たかとし)
- 生年月日:1977年12月6日
- 年齢:47歳(2025年6月現在)
- 出身地:東京都
- 血液型:AB型
- 趣味:相撲鑑賞
- 特技:バスケットボール
- 所属事務所:成田屋 市川團十郎事務所
SNS
- Instagram URL:https://www.instagram.com/ebizoichikawa.ebizoichikawa
- facebook URL:https://www.facebook.com/EbizoIchikawaXI
- オフィシャルサイト URL:https://natalie.mu/stage/artist/36635

- 公式ブログ URL:https://ameblo.jp/ebizo-ichikawa/


市川海老蔵さんは、ブログの更新が多いみたいだね!

そうだね!歌舞伎のことから、プライベートまで多くの投稿をされているから要チェックだね!