日本の政治家として活躍し、現在は公益財団法人友愛理事長、一般財団法人東アジア共同体研究所理事長、アジアインフラ投資銀行国際諮問委員会委員として活動をされている鳩山由紀夫さん。
理想主義的な理念と柔軟な国際感覚を持ち、国内外で一貫して“対話”と“共生”を掲げてきました。
今回は、鳩山由紀夫さんの家系図について確認しながら、深堀りをしていきたいと思います!
最後までお付き合いください!
【画像】鳩山由紀夫の家系図がすごい!
筆者作成
鳩山由紀夫さんは、1947年2月11日、父親・鳩山威一郎さん、母親・安子さんの長男として生を受けました。鳩山由紀さんの家系は総理大臣や政治家、大企業の経営者が集まっており、エリート階級を行く一族の中で育ちました。
鳩山由紀夫さんの家系図について確認していきたいと思います!
鳩山由紀夫の<家族構成・家系図>
父:鳩山 威一郎
引用元:鳩山会館
鳩山由紀夫さんの父・威一郎(いいちろう)さんは、1918年(大正7年)11月11日、東京市小石川区(現在の文京区)に生まれました。
父・威一郎さんは、筑波大附属小から府立高等学校を経て、1941年に東京帝国大学法学部を首席で卒業し、高等試験行政科でも首位合格を果たして大蔵省に入省しました。
戦時中は海軍短期現役士官を務めましたが1946年に復職し、主計局を中心に理財局長、主計局長を歴任して1971年には大蔵事務次官に就任しています。
田中角栄首相の「日本列島改造論」を背景とする、1973年度の大型予算編成を主導しましたが、オイルショックと重なり“狂乱物価”と呼ばれるインフレを招いたとして批判も浴びました。
1974年に大蔵省を退官後、参議院全国区から立候補して初当選し、1976年には福田赳夫内閣で外務大臣に抜擢され、当選1回での異例の入閣を果たしました。
1986年(昭和61年)、鳩山由紀夫さんが初当選した際、威一郎さんは比例区で三選を果たしていたものの既に病身であり、国会では息子2人に支えられながら階段を上がったそうです。
毛並みも良い「大物官僚」出身の政治家として期待されましたが、病気がちであったため表舞台での活躍は限られ、3期18年務めた後の1992年に政権を引退し、翌1993年に75歳で逝去されました。
母:安子
引用元:鳩山会館、時事通信
鳩山由紀夫さんの母・鳩山安子さんは、1922年9月11日、ブリヂストン創業者・石橋正二郎さんの長女として福岡県久留米市に生まれました。
中学進学を機に上京して東京府立第二高等女学校、女子学習院高等科を卒業し、在学中に父の縁談で鳩山一郎の長男・威一郎さんとお見合いをし、1942年に帝国ホテルで挙式をしています。
息子の由紀夫さん・邦夫さんをもうけてからは、徹底した教育方針で東大進学を志すように導き、教育熱心な母としても知られています。
石橋家から103億円、鳩山家から152億円を相続したほか、ブリヂストン株1200万株(170億円相当、年間配当3億円以上)を所有するなど、莫大な資産で鳩山家を支えてきた存在としても有名です。
音羽の豪邸や田園調布・本駒込の邸宅も用意し、息子たちの選挙資金や1996年の民主党結党時の数十億円の資金をポケットマネーで援助するなど『鳩山家のスポンサー』として存在感を示しました。
2009年には、鳩山由紀夫さんへの偽装献金について検察から事情聴取もされ、同年12月には都内病院へ入院しました。
晩年は聖路加病院付属の老人施設で暮らし、2013年2月11日、90歳で多臓器不全のため逝去されています。逝去された日は、鳩山由紀夫さんの66歳の誕生日でした。
上の画像は、幼少期の鳩山由紀夫さん(左)と母・安子さん(右)です。
姉:井上 和子
引用元:公益財団法人 友愛
鳩山由紀夫さんの姉・井上和子さんは、1943年に東京都で生まれました。聖心女子大学史学科を卒業し、筑波大学名誉教授の故・井上多門さんと結婚をされています。
姉・和子さんは、友愛と協調の理念に基づき、様々な分野の専門家を講師に招き学習活動を行う組織、鳩山友愛塾の塾長を務めました。
政界・財界・学界に強い影響力を持つ名門・鳩山家において、井上和子さんもその一員として重要な役割を果たし続けています。
弟:鳩山 邦夫
引用元:日本経済新聞
鳩山由紀夫さんの弟・鳩山邦夫さんは、1948年9月13日に東京都で生まれました。
学習院初等科・中等科、筑波大学附属高等学校を経て東京大学法学部に進学し首席で卒業、高校時代には駿台模試で現役生として初の全国1位を獲得するなど、早くから秀才として注目されました。
卒業後は田中角栄さんの秘書を務め政治の現場を学び、1976年に旧東京8区から衆議院議員として初当選。その後、自民党所属で文教や行政の分野を歩み、1991年には宮澤内閣で文部大臣として初入閣しました。
1993年には自民党を離党し、新進党や旧民主党の結成に参加、副代表を務めるなど政界での活動の幅を広げましたが、党路線をめぐり鳩山由紀夫との対立もありました。
1999年には東京都知事選に立候補するも落選。その後、自民党に復党し福岡6区を地盤に国政復帰し、2007年と2008年には法務大臣、麻生内閣では総務大臣を務めました。
自民党を再び離党した後も無所属で当選を重ね、2012年に復党、2014年には13回目の当選を果たしました。2016年6月21日、十二指腸潰瘍のため67歳で逝去されました。
弟・邦夫さんは政治家としてだけでなく、多彩な趣味や家族との関わりでも知られました。
プロ級の料理の腕前を持ち、歴代秘書に自作の朝食を振る舞うほどで、特にチャーハンを得意としていました。
少年時代から蝶に熱中し、学問的研究や著作にまで発展させた膨大な蝶の標本コレクションは没後、東京大学総合研究博物館に寄贈されています。
プロ野球では中日ドラゴンズの熱烈なファンで、2007年の日本シリーズ制覇時には祝福メッセージを送るなど親しみやすい一面もありました。
祖父:鳩山 一郎
引用元:首相官邸、鳩山会館
鳩山由紀夫さんの祖父・鳩山一郎さんは、1883年1月1日に東京都で生まれました。
日本の政治家・弁護士で、第52・53・54代内閣総理大臣を務めた人物であり、戦後の「55年体制」を築いた自民党の初代総裁としても知られます。
1912年に東京市会議員、1915年に衆議院議員に初当選しました。戦前は立憲政友会を中心に活動し、田中義一内閣では内閣書記官長や文部大臣などを歴任していました。
1930年のロンドン海軍軍縮条約批准を巡る「統帥権干犯問題」では、議会が軍に干渉できるかをめぐる論争に関与し、結果的に軍部台頭の一因となったとされます。
また滝川事件や樺太工業問題では、議会内外での政治的攻防に巻き込まれることもありました。第二次世界大戦中には東條内閣による戦時刑事特別法改正案に反対し、翼賛政治会を脱会しています。
その後は長野県軽井沢の別荘で隠遁生活を送りつつ、近衛文麿さんや吉田茂さんらとの交流を通して情報収集や和平工作にも関与しました。
戦後は公職追放を受けるも1951年に解除され、自由党へ復帰しました。その後、改進党・日本民主党などを経て、1954年に第1次鳩山内閣を発足。
1955年には自由民主党の結成に尽力しました。在任中には日ソ共同宣言に署名して日ソ国交回復を実現。また原子力基本法を成立させ、後の原子力発電時代の礎を築いたことでも知られます。
戦後は療養生活を送りつつ、友愛青年同志会の育成などに尽力し、1959年3月7日に77歳で逝去されました。
祖父:石橋 正二郎
引用元:公益財団法人 石橋財団、デイリー新潮
鳩山由紀夫さんの祖父・石橋正二郎(いしばし しょうじろう)さんは、1889年2月1日に福岡県久留米市で仕立屋の家に生まれました。
祖父・正二郎さんは、一代で「石橋財閥」と呼ばれるほどの巨大企業グループを築いた人物として有名です!
久留米商業学校を卒業後、父の病気をきっかけに兄とともに家業を継ぐことになりますが、兄の徴兵により実質的に祖父・正二郎さんが一人で経営を担うことになりました。
仕立屋としての将来性に限界を感じ、家業の一部だった足袋製造に専念することを決意。1908年に新工場を設立し、大量生産体制や給与制の導入など近代的な経営手法を取り入れます。
さらに、一律価格での販売や自動車による広告など斬新な手法も導入して事業を拡大しました。
1914年にはブランドを「志まや足袋」から「アサヒ足袋」に変更。第一次世界大戦の物価高騰を予測して原料を確保し、事業を大きく伸ばしました。
1918年には兄を社長、自身を専務として日本足袋株式会社を設立し、業界大手へと躍進しています。
1931年にはブリヂストンを創業。戦時中は「日本タイヤ」と改称していましたが、戦後も成長を続け、1949年には昭和天皇が久留米工場を訪問し、祖父・正二郎さんが事業概要を直接説明する栄誉を得ました。
祖父・正二郎さんは、ブリヂストンを世界的企業へと育て上げただけでなく、プリンス自動車工業の出資者として同社を支え、「プリンス・ロイヤル」や「プリンス・スカイライン」の名付け親にもなっています。
また、地下足袋(張り付け式ゴム底足袋)の考案者としても知られています。
こうした功績により2002年に日本自動車殿堂、2006年には米国自動車殿堂入りを果たしました。
晩年はパーキンソン病を患い、1976年9月11日に東京都の日比谷病院で逝去されました。享年は87歳でした。
曾祖父:鳩山 和夫
引用元:鳩山会館
鳩山由紀夫さんの曾祖父・鳩山和夫さんは1856年5月6日、江戸虎ノ門で美作勝山藩士の家に生まれました。幼少期に一時勝山で暮らしましたが、その後再び江戸に戻り学問に励みました。
開成学校(のちの東京大学)を卒業後、政府の派遣で渡米し、コロンビア大学で法学士、さらにイェール大学で博士号を取得しました。これは日本人として初めての法学博士の学位であり、帰国後は弁護士や東京帝国大学の講師を務めました。
若くして政治に関わり、東京府会議員を経て外務省に入省しました。外務省では取締局長や外務次官を務め、国際関係の整備に尽力しました。
また、教育にも深く関わり、専修学校(現在の専修大学)の設立に参加し、東京専門学校(現在の早稲田大学)の校長も務めました。
1894年には衆議院議員となり、その後衆議院議長に就任しています。議長在任中には議会での決裁権を二度行使しており、これは日本の国会史上唯一の例とされています。
さらに立憲改進党や憲政党、立憲政友会などを経て、政界でも確かな地位を築きました。
晩年は弁護士会の会長も務めるなど、法曹界の発展にも貢献しましたが、食道癌を患い1911年に55歳で逝去されています。
曾祖母:鳩山 春子
引用元:鳩山会館
鳩山由紀夫さんの曾祖母・鳩山春子さんは、信濃国松本藩士・渡辺幸右衛門と賢子の五女として1861年5月2日に長野県松本市で生まれました。一家は、明治維新後に「多賀」と改姓しています。
曾祖母・春子さんは日本の教育者であり、共立女子大学(旧・共立女子職業学校)の創立者の一人です。
津田梅子(津田塾大学)、安井てつ(東京女子大学)、成瀬仁蔵(日本女子大学)、横井玉子(女子美術大学)、戸板関子(戸板学園)らと並び、日本の女子高等教育の基盤を築いた「明治クリスチャン教育家」の一人とされています。
曾祖母・春子さんは、1874年に竹橋女学校へ入学し、後に東京女子師範学校へ進学しました。1879年にはアメリカ留学の許可を得ますが、政府の都合により中止となり、その後は東京女子師範学校で学びを続け、1881年に卒業しています。
同年に母校へ就職しますが、11月に政治家の鳩山和夫に嫁ぐため退職しました。
結婚後も教育活動を続け、1886年には共立女子職業学校(現在の共立女子大学・共立女子短期大学)の創立に参加しました。
教授としても教壇に立ち、女子教育の発展に尽力します。1895年には地方で学べない女子のために通信教育を開始し、高等女学校が普及するまで十数年間継続しました。
1899年に学校の財団法人化に伴い商議員となり、1916年には副校長、1922年には校長に就任。1925年には共立女子専門学校を併設し、初代校長となりました。
教育活動のほかにも社会活動に関わり、廃娼運動推進の国民委員会に推挙されるなど、女性の社会的地位向上に寄与しました。
1923年の関東大震災では校舎が焼失するも復興に尽力し、1927年にはローマ教皇ピウス11世より功労賞を受賞するなど国際的にも評価されました。
1938年7月12日、78歳で逝去されました。
鳩山由紀夫の学歴・経歴
鳩山由紀夫さんは、元内閣総理大臣の祖父・鳩山一郎さん、外務大臣の父・鳩山威一郎さんという政治家一家に生まれました。しかし、少年時代は、「政治家なんて自分には絶対向いてない」と思っていたそうです。
幼少期の鳩山由紀夫さんは、人前で話すのが苦手で、政治活動にも全く関心がありませんでした。
そのため、弟の鳩山邦夫さんが幼稚園の頃から「おじいちゃんの後を継ぎたい」と言っているのを見て、「じゃあ任せた」と安心していたそうです。
- 小学:学習院初等科
- 中学:学習院中等科
- 高校: 東京都立小石川高校
- 大学: 東京大学工学部計数工学科
- 大学院:スタンフォード大学工学部博士課程修了
鳩山由紀夫さんは、「時代はエンジニアリングだ!」と考え、東京大学工学部に進学します。
しかし、願書を出した後に父・威一郎さんから「法学部に行かないのか?」と言われて、とても驚いたそうです。
結局、自らが選んだ計数工学科を卒業しています。
卒業後は、「人間の脳の仕組みを模したコンピューターを作る」夢を抱き、アメリカ留学を決意しました。
ところが、当時は学生運動が盛んで、推薦状を拒否する教官もいたため、留学は1年延期されました。それでも1970年、念願のスタンフォード大学工学部に進学します。
スタンフォードでは、アメフトの一種、タッチフットボールに熱中し、週末は芝生で日本人留学生たちとスポーツを楽しんでいたそうです。しかし、当時は1ドル=360円の固定相場制。日本からの仕送りは年間1,500ドルまでという制限もあり、生活はかなり苦しかったといいます。
ポンコツのムスタングを買い、夏休みにカナダ旅行に出かけたものの、初日から予想外のタイヤ交換で資金が尽きかけてしまい、その後は、国立公園で野宿したりしたそうです。その際、宿泊した安いホテルで知らない男性に襲われそうになったりと、まるでサバイバルな経験もしたとも語っていました!
結局、目的地のジャスパーを目前に、資金不足でアメリカに引き返すことになりました。
そんな苦労を経て、1976年には工学博士(Ph.D.)を取得し、日本に帰国しています。
またその後の経歴は
- 東京工業大学助手に就任(1976年)
- 専修大学経営学部助教授に就任(1981年)
- 政界入りを志し退職(1984年)
- 第38回衆議院議員総選挙で北海道4区から初当選(1986年)※以後、2009年の第45回衆議院議員選挙まで7期連続当選。
- 北海道開発政務次官に就任(1990年)
- 新党さきがけを結成し代表幹事に就任(1993年)
- 細川内閣 官房副長官に就任(1993年)
- 第40回衆議院議員総選挙で新党さきがけから当選(1993年)
- (旧)民主党を結党(1996年)
- (新)民主党を結党(1998年)
- 民主党第2代代表に就任(1999年)
- 民主党幹事長に就任(2005年)
- 民主党第7代代表に就任(2009年)
- 第93代内閣総理大臣に就任(2009年)
- 内閣総理大臣を辞職(2010年)
- 政界を引退(2012年)
- 一般財団法人 東アジア共同体研究所を設立・理事長に就任(2013年)
- 一般財団法人 日本友愛協会(現・公益財団法人 友愛)理事長に就任(2013年)
鳩山由紀夫さんが工学博士を取得した1976年、アメリカは建国200年を迎え、国中が祝賀ムードに包まれていました。その熱気に触れた鳩山由紀夫さんは、アメリカ人の強い愛国心に心を打たれます。
ふと自分を振り返ったとき、「自分は果たして日本をこれほどまでに愛しているのか?」と自問し、強い自責の念を抱いたといいます。
そこから彼の中で変化が起きました。「政治に向いているかどうかではなく、日本のために働きたい」、そんな想いが芽生え、政治家を志すようになったのです。
その背中を押したのが、妻の鳩山幸さんでした。妻・幸さんは「私があなたをプロデュースしてあげる」と鳩山由紀夫さんを励まし、新たな一歩を後押ししたのでした。

鳩山由紀夫さんは、愛友という言葉を大切に活動されているんだね。

祖父・一郎さんから引き継いでいるみたいだよ。2013年には、友愛をもっと広めたいという思いから名前を『由紀夫』から『友紀夫』に改名したんだって!
【画像】鳩山由紀夫の引退理由はなに?現在は何してる?
鳩山由紀夫の引退理由はなに?
引用元:朝日新聞
2009年に民主党政権交代の象徴として首相を務めた鳩山由紀夫さんは、2012年11月に政界引退を表明しました。理由は、民主党執行部が要求した「党の方針に従う」という誓約書に署名できなかったためです。
鳩山由紀夫さんは、消費増税やTPP(環太平洋経済連携協定)、原発再稼働といった当時の野田政権の主要政策に対し、党内で異を唱え続けてきました。
しかし、そうした姿勢では民主党からの公認が得られないと判断。誓約書への署名が求められたことで、自身の主張を貫くことが難しいと感じ、2012年11月18日に引退を決断しています。
自身の人生について「波瀾万丈の人生だったが、政治家としては幸せだった」と記者会見で振り返る場面もありました。
鳩山由紀夫は現在は何してる?
引用元:産経新聞、南日本新聞デジタル
政界を引退した鳩山由紀夫さんは、自ら設立した東アジア共同体研究所を拠点として、現在も国内外で幅広く活動を続けています。
2016年には中国・西安交通大学の名誉教授やアジアインフラ投資銀行(AIIB)の顧問に就任し、香港企業の名誉会長として、アフリカでの資源開発にも関与していたことが「パラダイス文書」で判明しています。
また、政界を引退した翌2013年から5年間、鳩山由紀夫さんは中国系企業と連携した香港企業の名誉会長を務め、アフリカでの石油開発に関わり約7000万円の報酬を得ていました。
政治面では、民主党の解体後に新党「共和党」を設立し、自身が代表を務めましたが、2025年現在は党との関係は解消されているようです。
近年も国際問題について発言を続け、2022年には政界復帰の意向を一時示したものの、実際の立候補には至らず、現在は選挙応援などを通じて限定的に政治に関わっています。
鳩山由紀夫のプロフィール・SNS
引用元:毎日新聞
プロフィール
- 名前:鳩山 由紀夫(はとやま ゆきお)
- 生年月日:1947年2月11日
- 年齢:78歳(2025年7月現在)
- 出身地:東京都小石川区(現在の文京区)
- 血液型:O型
- 趣味:ヨガ、クラシック音楽鑑賞、カラオケ、落語、宝塚歌劇
- 特技:記載なし
- 所属事務所:無所属(個人事務所)
SNS
- X(旧Twitter) URL:https://x.com/hatoyamayukio
ミスターが亡くなり、プロ野球の一時代が幕を下ろした感がします。残した数字もさることながら、彼がどんなにプロ野球を魅せるものにしたか。写真はエモやんのパーティでの一コマですが緊張気味の私です。今朝も長島邸の前で手を合わせて来ました。合掌。 pic.twitter.com/yIM5gEaMEg
— 鳩山友紀夫(由紀夫)Yukio Hatoyama (@hatoyamayukio) June 6, 2025
- オフィシャルサイト URL:https://www.hatoyama.gr.jp/


鳩山由紀夫さんは、ホットヨガが趣味みたいだね!

健康のためだけでなく、自然と流れ出る汗に気持ちよさを感じて続けているみたいだね!