【画像】藤圭子の家系図がすごい!旦那との離婚理由は?宇多田ヒカルとは仲良い?

日本の演歌歌手として名曲を遺し、「怨歌の女王」と称され、一世風靡した藤圭子さん。

2025年現代では、シンガーソングライター宇多田ヒカルさんの母親として知られていますが、藤圭子さん自身も音楽の評価が高く、後の演歌や歌謡曲の表現に大きな影響を与えました。

今回は藤圭子さんの家系図について確認しながら、深堀りをしていきたいと思います!

最後までお付き合いください!

目次

【画像】藤圭子の家系図がすごい!

筆者作成

藤圭子さんは、1951年7月5日、岩手県一関市に生まれ、北海道旭川市で育ちました。浪曲師である父・阿部壮さんとと母・竹山澄子さんのもとで、幼少期から旅芸人一家として各地を巡業していました。

決して裕福だと言えなかった幼少期から、音楽の才能が開花し、一気に頂点へ上り詰めた成功、そして家族との確執や精神的苦悩を経た波乱の生涯でした。

娘・宇多田ヒカルさんも世界的アーティストとなり、三代続く芸能一家を形成しています。

今回は、藤圭子さんの家系図について確認していきたいと思います!

藤圭子の家系図

娘:宇多田ヒカル

引用元:HMV日本経済新聞 

宇多田ヒカルさんは藤圭子さんの娘です。1983年1月19日アメリカ・ニューヨーク州マンハッタンに生まれ、1998年にシングル「Automatic / time will tell」で日本デビューし、一躍トップシンガーソングライターとして注目されました。

その才能を最初に見出したのは母・藤圭子さんで、幼少期からヒカルさんの特異な歌唱力と表現力に気づき、音楽活動に強く期待していました。藤圭子さんが地方公演で「Automatic」を振り付け付きで歌うエピソードもあり、親子の音楽的絆の強さがうかがえます。

藤圭子さんは1993年から宇多田照實さん、ヒカルさんとともに音楽ユニット「U3」を結成し、母娘で音楽に深く携わっていましたが、1999年頃に娘のデビューを喜ぶ一方で、レコード会社と照實氏の間でプロデュース権をめぐる対立が生じました。

しかし、母娘関係には家庭の問題や離婚騒動の影響もあり、ヒカルさんは母の精神的不安定さに苦しみながらも自身の音楽活動を続けてきました。

藤圭子さんの遺骨は、本人の希望に従い散骨されました。宇多田ヒカルさんはSNS上で「母の遺骨は散骨して、どこにもお墓はない」と明かし、「お墓参りしたいときはどうしたらいいのか」と心境を述べています。

上の画像の1枚目は、2017年アルバム『Fantôme』リリース時のもの、ヘアスタイルや雰囲気がなんとなく藤圭子さんを想起させますね。2枚目は、1999年にリリースされた1stアルバム『First Love』のジャケット写真。日本の音楽史上最も売れたアルバムの一つとして知られています。

痛みを抱えつつも才能を受け継ぎ飛躍した宇多田ヒカルさんと、その才能を最初に見出し支えた藤圭子さんの関係は非常に深く、切っても切れないものとなっています。

元夫:宇多田照實

引用元:Sony Music

宇多田照實さんは藤圭子さんの元夫で、音楽プロデューサーとして活動し、有限会社ユースリー・ミュージック(U3 Music)代表取締役を務めています。

1948年7月21日に山口県山口市徳地町で生まれ、東京都中野区で育ちました。16歳でアメリカに渡り現地での生活や音楽活動、さらにはベトナム戦争に参加したとの自称エピソードもありますが、詳細な学歴や若年期の活動については公的な記録は少なく、謎が多い人物です。

1982年に歌手の藤圭子さんと結婚し、翌1983年に娘・宇多田ヒカルさんが誕生しました。藤圭子さんが1979年に芸能界を引退してアメリカに渡った際に出会い、その後一家でニューヨークに移住し、音楽一家として活動。藤圭子さんのマネージャーも務めるなど、家族で音楽活動を支えました。

しかし、夫婦関係は複雑で、結婚と離婚を繰り返し、最終的には2007年に離婚。藤圭子さんの精神的不調など、家庭内の問題も多かったとされています。その後も宇多田ヒカルさんの音楽活動を支援し、彼女の成功に深く関わりました。
こうした家族の音楽的繋がりと、それに伴う苦難や絆が彼の人生とキャリアに大きな影響を与えています。

上の画像は、2018年宇多田ヒカルさんのデビュー20周年を記念し、音楽活動の軌跡を語られたトークセッション時のもの。宇多田ヒカルさんの幼少期のエピソードも交えながら、シンガーソングライターとしての才能を語り、話題になりました。

元夫:前川清

引用元:NEWSポストセブンニッポン放送 

前川清さんは1948年8月19日、長崎県佐世保市で生まれました。藤圭子さんの元夫で長年に渡り、歌手として活躍しています。

1969年に「内山田洋とクール・ファイブ」のメインボーカルとしてシングル「長崎は今日も雨だった」でデビューし、その後「噂の女」「そして、神戸」「東京砂漠」などのヒット曲を多数リリースしました。1987年からソロ歌手としての活動も開始し、現在も根強い人気を誇っています。

藤圭子さんとのエピソードとしては、1971年に前川清さんと藤圭子さんは結婚しましたが、翌年に離婚しています。この短い結婚期間中にも芸能界での活動が重なっており、その後も二人は別々の道で活動を続けました。

藤圭子さんのデビュー初期に、前川清さんとの結婚という話題が大きく取り上げられ、それにより彼女の注目度は一層高まったとされています。

前川清さんは、その後も多方面で活躍し、歌手としてだけでなくテレビ出演でも幅広いファン層を獲得しています。藤圭子さんとの結婚は短かったものの、その時期のエピソードは彼女の人生の節目として語り継がれています。

上の画像の1枚目は、1971年交際から約2年、結婚が決まった時のもの。

2枚目は2016年、ニッポン放送「小堺一機と渡辺美里のスーパー・オフショット」にゲスト出演し、藤圭子さんとの思い出を語った時のものです。宇多田ヒカルさんの声に藤圭子さんを重ねる様子や年に一回は、藤圭子さんの歌を歌って、偲んでいると語り、話題になりました。

兄:藤三郎

引用元:東京新聞

藤三郎さんは1951年生まれで、東京都台東区出身の歌手です。藤圭子さんの実兄にあたり、子供の頃は浪曲師の両親とともに「流し」としてギターを弾きながら飲み屋などで歌っていました。1970年代に3枚のレコードを出して歌手活動をしましたが、売れずに引退。その後は浅草で飲食店などを経営しています。

藤圭子さんとは幼少期から家族ぐるみで音楽に親しみ、ともに歌手を目指していた関係があります。

2022年には51年ぶりに再デビューし、浅草を舞台にした新曲をリリースしています。今も浅草で飲み屋を営みながら、YouTubeなどで演歌のカバー曲を歌うなど、地道に音楽活動を続けいます。

上の画像は、2022年浅草の夜で51年ぶりの再デビューを果たした時のものです。天国の妹に聴いてほしいという思いで歌手活動を再開、ライブやラジオ出演などを通じて活躍の場を増やしています。どこか藤圭子さんを連想させるような歌声、妹を思う気持ちに心を打たれたと感動し、CDを購入される方も多いようです。

藤圭子の学歴・経歴

藤圭子さんは旅芸人として全国を巡業する浪曲師の両親のもとに生まれ、幼い頃から巡業に同行し、幼少期から舞台に立っていました。生活は非常に貧しく、寒冷地での巡業生活を送る中で、歌うことで自分の存在を表現し、音楽的感性を育みました。

  • 小学:旭川市立大有小学校(旅芸人家庭のため各地を転々した入学
  • 中学:旭川市立神居中学校・岩見沢市立栄中学校(短期間在籍)

藤圭子さんは、中学校では成績優秀で、テストでは常に学年10位以内に入っていたと同級生が証言しています。一方で、家庭の事情から放課後は夜の街で「流し」の歌い手として働き、生活を支えていた時期もあったそうです。

修学旅行には経済的な理由で小学生のとき参加できませんでしたが、中学3年のときには積立金を貯めて初めて参加したと伝えられています。

高校進学は、経済的な事情で断念しました。その後、北海道岩見沢市の温泉施設「きらく園」で住み込みの専属歌手として働き、両親とともに生計を立てていました。

1967年2月岩見沢雪まつりで代役として登場し北島三郎の「函館の女」を歌ったことがきっかけで作曲家・八洲秀章さんに見出され上京し、歌手修行を始めます。その後の経歴は、

  • RCAレコードより「新宿の女」(1969年)
  • セカンドシングル「女のブルース」がオリコンで8週連続1位(1970年)
  • 1stアルバム『新宿の女/演歌の星 藤圭子のすべて』が20週連続オリコンアルバム1位(1970年)
  • シングル「圭子の夢は夜ひらく」が10週連続オリコンシングル1位を記録(1970年)
  • 前川清と結婚(1971年)、翌年離婚(1972年)
  • 喉のポリープ手術を受け、一時的に活動休止(1974年)
  • 1979年に一度歌手活動を引退しアメリカへ渡る(1979年)
  • 芸名を「藤圭似子」として歌手復帰(1981年)
  • 音楽プロデューサー宇多田照實と結婚、1983年に長女・宇多田ヒカル誕生(1982年〜1983年)
  • 宇多田照實、ヒカルと音楽ユニット「U3」を結成。アルバム『STAR』を発表。(1993年)
  • 宇多田照實と7度目の離婚。公私ともに芸能活動から距離を置く(2007年)
  • 8月22日、東京都新宿区のマンションから転落し死去(2013年)

幼少期の過酷な経験が、後の藤圭子さん独特の哀愁を帯びた歌唱スタイルの基盤となり、一世を風靡した怨歌の女王として、短期間で日本の音楽シーンに大きな足跡を残しました。

ギモンくん

藤圭子さんが、娘・宇多田ヒカルさんの音楽の才能に気づいたのはいつ頃なんだろう?

カイケツさん

宇多田ヒカルさんが5歳頃にその歌唱力や表現力の高さに驚き、「この子は天才だ」と確信したそうよ。自ら娘の才能を伸ばすために音楽活動を後押ししてくれたみたい。藤圭子さんあっての宇多田ヒカルさんなんだね。

【画像】藤圭子の旦那との離婚理由は?宇多田ヒカルとは仲良い?

藤圭子の旦那との離婚理由は?

引用元:デイリー新調NEWSポストセブン

藤圭子さんは、生涯2人の男性と結婚し、離婚しています

1971年に歌手の前川清さんと結婚しましたが、性格の不一致や男性への恐怖心などが原因で、わずか1年後に離婚しました。

その後1982年、音楽プロデューサーの宇多田照實さんと再婚し、翌年に長女・宇多田ヒカルさんを出産します。しかし二人は非常に波乱に満ちた関係で、25年間の間に6回もの離婚と再婚を繰り返しました。

最初の離婚は照實氏の浮気疑惑、次は仕事上の意見対立が原因であり、娘のヒカルさんが「2人は合わない」と離婚を勧めたこともありました。また、芸能活動や金銭トラブル、精神的不安定さなども関係を悪化させた要因です。

最終的に2007年、6度目の離婚をもって完全に別離し、その後は再婚することはありませんでした。7回の離婚と再婚は書類上の公式記録によるもので、藤圭子さん自身は「実質はもっと多かった」と語ったこともあります。また、2002年以降は夫婦別居となり、晩年まで籍上は「宇多田純子」としていました。

宇多田照實さんは、藤圭子さんが他界した後、藤圭子さんの精神的な問題について公にコメントを出しました。病院での治療を勧めたものの拒絶され、「彼女の苦しみは年を追うごとに重症化した」と語っています。

1枚目の画像は、1972年、前川清さんとの離婚会見時のもの。2枚目は、2013年、藤圭子さん他界時の宇多田照實さんです。

藤圭子は宇多田ヒカルとは仲良い?

引用元:スポニチ週刊女性PRIME

藤圭子さんと宇多田ヒカルさんの母娘関係は、非常に複雑でありながら深い愛情でも結ばれていたことが、後年の証言や宇多田ヒカルさん自身の発言から明らかになっています。

宇多田ヒカルさんは幼いころから母・藤圭子さんと音楽活動を共にし、家族ユニット「U3」としてステージにも立っていました。母はヒカルさんの音楽的感性をいち早く認め、「自分よりも100倍すごい才能」と称していたといいます。

しかし、藤圭子さんが精神的に不安定になった1990年代後半から、母娘の距離は徐々に広がっていきました。ヒカルさんは治療を勧めたものの受け入れられず、最終的には疎遠に。その状態のまま2013年に母が亡くなり、十分な和解の機会を持てなかったと述べています。

1枚目の画像は、2013年8月藤圭子さんが亡くなった後、対面し、葬儀場を出る宇多田ヒカルさんの様子です。2枚目の画像は、1983年赤ちゃんだった宇多田ヒカルさんを抱っこする藤圭子さんです。

2023年のX(旧Twitter)投稿で宇多田ヒカルさんは、「母の死から10年たっても、まだ理解しきれない」としつつ、「理解できないことを理解しようとする。それも愛の形」と綴っています。つまり、完全に「仲が良かった」と言うより、深い愛情と痛みが同時に存在した母娘関係だったのです。

藤圭子のプロフィール・SNS

引用元:zakzak

プロフィール

  • 名前:藤圭子(ふじけいこ)
  • 本名: 宇多田 純子
  • 生年月日:1951年7月5日
  • 年齢:享年62歳(2013年8月22日没)
  • 出身地:北海道
  • 血液型:AB型
  • 趣味:不明
  • 特技:不明
  • 所属事務所:98年に芸能活動引退

SNS

ギモンくん

藤圭子さんには公式のSNSアカウントが無いんだね。

カイケツさん

公式のアカウントは存在しないけど、2025年現在でも、多くのファンや関係者によって彼女の功績やエピソードが語り継がれているよ。宇多田さんのファンで、藤圭子さんの曲を聴く方も増えているみたいよ。

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