【画像】坂東彌十郎の家系図がすごい!妻との馴れ初めは?高身長が悩み?

歌舞伎の世界で代々続く大和屋に生まれ、歌舞伎役者や俳優として活躍を続けている坂東彌十郎さん。

坂東彌十郎さんは、海外旅行を趣味に持つことから、語学も英語・仏語と堪能であり、歌舞伎の海外進出に力を入れている国際性豊かな一面もあります。また、最近ではドラマやメディア媒体での活躍も目立っています。

今回は、そんな坂東彌十郎さんの家系図について確認しながら、深堀りをしていきたいと思います!

最後までお付き合いください!

目次

【画像】坂東彌十郎の家系図がすごい!

筆者作成

坂東彌十郎さんは1956年、東京で父親・坂東好太郎さんの三男として、代々続く大和屋一門に生まれました。

母親の飯塚敏子さんは、継母であり、産みの母は別にいるようです。歌舞伎の世界では、実子以外にも養子を取るなどして代々続く伝統を守り、継承していく文化があります。そのため、坂東彌十郎さんの親戚関係を見るととても豪華で、ご活躍されている方が多くいました。

歌舞伎界の中でも豪華と評されている坂東彌十郎さんの家系図について確認していきたいと思います!

坂東彌十郎の<家族構成・家系図>

父:初代・坂東 好太郎(ばんどう こうたろう)

引用元:歌舞伎俳優名鑑

坂東好太郎さんは、1911年5月4日に東京都神田区連雀町(現・東京都千代田区神田須田町)に生まれました。本名は、本間 健太郎(ほんま けんたろう)です。

1922年に澤村健太郎として、歌舞伎の初舞台を踏み、1924年から坂東好太郎を名乗っています。その後、1931年、20歳の時に松竹下加茂撮影所所属の映画俳優に転じ1932年『世直し大明神』でデビューしています。

歌舞伎で得た演技を活かし、時代劇映画の二枚目スターとして大人気を得ていた坂東好太郎さんですが、1962年9月、伯父である八代目坂東三津五郎の襲名披露興行を契機に歌舞伎の世界へ戻りました。

1981年11月28日、70歳で死去されています。

兄:二代目・坂東 吉彌(ばんどう きちや)

引用元:歌舞伎俳優名鑑

坂東吉彌さんは、1937年6月21日に京都府で生まれました。本名は、本間 敏夫(ほんま としお)です。

坂東彌十郎さんとは異母兄弟であり、19歳の年の差があります。父・坂東好太郎さんが時代劇映画で活躍していたこともあり、初舞台は、1952年、伯父・六代目坂東簑助(後の八代目坂東三津五郎)の舞台でした。

関西歌舞伎では座頭格で活躍されていましたが、関西歌舞伎の衰退に伴い、東映に入社し、父と同じ映像の世界へ飛び込みました。しかし、自身の志とは異なることが多く苦労されたようです。

1962年9月、伯父である八代目坂東三津五郎襲名を機に、父・坂東好太郎さんと同様、歌舞伎の世界へ復帰されています。復帰後は、どこの一門にも属さずフリーの状態でしたが、坂東吉彌さんの俳優としての技量を知る関係者から声がかかる機会が多くなり、歌舞伎以外の大劇場の商業演劇に出ることが、活躍の主体になっていたようです。

数々の作品に主役を支える脇役者として、重宝され引っ張りだこでしたが、活躍半ば、体調を崩し2004年4月23日に66歳で急逝されました。

継母:飯塚 敏子(いいづか としこ)

引用元:ToMuCo坂東彌十郎公式ブログ

飯塚敏子さんは、1914年6月8日に埼玉県大里郡武川村明戸(現・深谷市)に生まれました。実家が東京で旅館を経営していたため、生後間もなく東京都に移り住んでいます。

1930年、「婦人公論」主催の美人投票にて当選をし、それをきっかけに同年11月に松竹蒲田撮影所に入社しました。1931年『淑女と髯』で、主役の相手役で女優デビューをしています。

1931年、松竹下加茂に移籍し、同事務所に入った坂東好太郎さんと『世直し大明神』で共演。そこから共演を重ね、1935年に結婚されました。坂東彌十郎さんの兄にあたる坂東吉彌さんは、飯塚敏子さんの実子です。

1991年12月14日に逝去されました。

産みの母:未公表

引用元:坂東彌十郎公式ブログ

坂東彌十郎さんの産みの母(実母)については、残念ながら名前を明確に特定できる情報は見つかりませんでした。しかし、坂東彌十郎さんの公式ブログには、実母とのことが時々投稿されていました。

坂東彌十郎さんの実母については以下のことが分かっています。

広島の出身で、14歳の時(1945年)に原爆を経験した被爆者でした。爆心地の近くで被爆しましたが、叔母(実母の姉で坂東彌十郎さんの大叔母)とともに奇跡的に助かりました。2022年2月11日に91歳でご逝去されました。

坂東彌十郎さんは自身を「被爆二世」と公言しており、母親の被爆体験については子供の頃に聞いたことがあるようで、ブログには「二度と原爆を使ってはいけない!」という母親の言葉を記憶していると綴っています。

どのような経緯で、坂東彌十郎さんが継母である飯塚敏子さんに育てられることになったのか等も詳細は不明ですが、坂東彌十郎さんのブログを見ていると、実母との関係が完全に切れていた訳ではないということが分かりますね。

上記の写真は、産みの母が、坂東彌十郎さんを抱っこしている写真です。

再従伯父:八代目 坂東三津五郎(ばんどう みつごろう)

引用元:歌舞伎美人

八代目坂東三津五郎さんは、1906年、東京市下谷区二長町に生まれ、生後すぐ、七代目坂東三津五郎の養子に入りました。本名は守田俊郎です。

八代目坂東三津五郎さんは、父・坂東好太郎さんの従兄弟にあたります。1913年、市村座『奴凧廓春風』での舞鶴屋小傳三で三代目坂東八十助を襲名し初舞台を踏んでいます。

その後、父・七代目坂東三津五郎の市村座脱退に伴い、松竹に籍を移しました。歌舞伎だけでなく近代劇にも影響を受け、1932年には自ら劇団新劇場を設立しました。

東宝、松竹と籍を移した後、関西歌舞伎に復帰し、1962年、9月歌舞伎座『六歌仙容彩』(喜撰)他で八代目坂東三津五郎を襲名しました。1966年には日本芸術院賞受賞を受賞されています。

坂東流の家元として踊りの稽古はとても厳しく指導しており、「どうしても歌舞伎役者になりたい」と思っていた坂東彌十郎さんも1973年に八世坂東三津五郎さんの一門に入り舞台を踏んでいます。

しかし、坂東彌十郎さんが入門した約1年後の1975年1月、八代目坂東三津五郎さんはフグの刺身や肝を食べたことによる中毒で68歳で逝去されました。

三代目 市川猿之助(いちかわ えんのすけ)

引用元:JIJI.COM

三代目市川猿之助さんは、二代目市川猿翁(いちかわ えんおう)としても知られています。本名は喜熨斗政彦(きのし まさひこ)です。

三代目市川猿之助さんは、歌舞伎界において革新的な演出や演目で新風を巻き起こしました。特にスーパー歌舞伎の創始者として有名で、従来の歌舞伎に現代的な要素や特撮的演出を取り入れ、歌舞伎界に新しい風をもたらしました。

坂東彌十郎さんの父・坂東好太郎さんは晩年、自身の死後、坂東彌十郎さんのことを三代目市川猿之助さんに託していました。坂東彌十郎さんは、三代目市川猿之助さんの門下に入り15年程、スーパー歌舞伎に関わりました。

澤瀉屋の助手として経験を積み、活躍をしていた坂東彌十郎さんですが、助手ではなく、自らもっと海外でやってみたいとの思いが芽生えたことから一門を離れることになりました。

三代目市川猿之助さんは、坂東彌十郎さんが門下を離れたあとも坂東彌十郎さんのことを気にかけ、坂東彌十郎さんが出るテレビは必ず見ていたようです。父の坂東好太郎さんが亡くなられた後は、父のような存在だったのかもしれませんね。

三代目市川猿之助さんは不整脈により、2023年9月に83歳で逝去されました。

坂東彌十郎の学歴・経歴

坂東彌十郎さんは、小学校に入学する前まで、父親の坂東好太郎さんの仕事の都合で京都に住んでいました。その後、父の歌舞伎復帰と共に東京に戻り、小学校から高校は東京で過ごし、暁星高校を卒業されました!

  • 幼稚園:太秦幼稚園
  • 小学:千代田区立麹町小学校
  • 中学:暁星中学校
  • 高校: 暁星高校

坂東彌十郎さんは、幼稚園時代、バレエを習っていた様です。幼稚園が終わった後、女の子達がレッスンをしているのを見て自ら「やりたい」と言い、始めました。2年間ほど続け、楽しかった思い出があると語っていました。

またその後の経歴は

  • 歌舞伎座『奴道成寺』の観念坊で坂東彌十郎を名のり初舞台(1973年5月)
  • 『文七元結』の鳶頭役で名題昇進(1978年2月)
  • 三代目市川猿之助の門下に入り、猿之助一門の若手で構成する21世紀歌舞伎組のメンバーとして活躍(1983年~1998年)
  • 歌舞伎座優秀賞(1984年)
  • 歌舞伎座賞、真山青果賞奨励賞(1998年)
  •  重要無形文化財に認定、伝統歌舞伎保存会会員となる(2001年)
  • 坂東彌十郎・新悟自主公演「やごの会」を立ち上げ、日本橋劇場にて第一回公演を開催(2014年)
  • 「やごの会」フランス、スイス、スペイン3か国を巡るヨーロッパ公演を開催(2016年)
  • NHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』で北条時政役を演じる(2022年)
  • 芸術選奨文部科学大臣賞(2025年)

国内での歌舞伎公演だけでなく、歌舞伎の世界進出に貢献されていますね!また、歌舞伎で養った高い演技力で、ドラマや映像方面でもご活躍されていることが分かります。

ギモンくん

坂東彌十郎さんは、歌舞伎にも力を入れながら、俳優としても活躍されているんだね!

カイケツさん

そうだね!父・好太郎さんが映画俳優をされていたり、兄・吉彌さんも一時期は俳優業をされていた中で育ったことも大きく影響しているのかもしれないね!

【画像】坂東彌十郎の妻との馴れ初めは?高身長が悩み?

坂東彌十郎の妻との馴れ初めは?

引用元:TBS

坂東彌十郎さんは、妻・容子さんとご結婚されています。

出会いや、結婚時期等、詳細なことは公表されていません。2014年にTBSで放送された「これからもよろしく。ニッポンの休日」にて夫婦で共演されていました。

2022年には、坂東彌十郎さんがバラエティ番組に出演した際、現在でも妻・容子さんとフランス式の挨拶である両ほほを触れ合わせる仕草を交わしていると語っていました。長年一緒にいても、こうした小さな愛情表現が続いているのが素敵ですね。

お二人の間には、現在、若手の歌舞伎役者として注目されている、長男・坂東新悟さんがいます。坂東新悟さんは、1990年12月5日生まれで、2024年3月に一般女性と入籍されていました。

坂東彌十郎は高身長が悩み?

引用元:スポニチ

坂東彌十郎さんは、『サンマ』というニックネームを付けられる程、幼少の頃より背が高かったようです。17歳の時に初舞台を踏んだ時の身長は既に183㎝と、歌舞伎をする者としては苦労されたようです。

幼少期には子役として出演するには身長が高すぎたため、出演の機会に恵まれず、大人の役で舞台に立てる日を待っているうちに、17歳になってしまったそうです。また、身長が高いことで、動きや所作などにも常に気を配る必要があり、様々な面で苦労も多かったようです。

この時のことについて、坂東彌十郎さんは、「『くそぅ』という思いが良かったのではないか」とお話しされており、「なかなか舞台を踏めず悔しい思いをしてきた経験がその後に繋がった」と語っていました。

坂東彌十郎のプロフィール・SNS

引用元:クランクイン!

プロフィール

  • 名前:坂東 彌十郎(ばんどう やじゅうろう)
  • 本名: 本間 寿男(ほんま ひさお)
  • 生年月日:1956年5月10日
  • 年齢:69歳(2025年5月現在)
  • 出身地:東京都
  • 血液型:O型
  • 趣味:旅行(スイス、ヨーロッパ)、トレッキング、俳句、カメラ
  • 特技:記載なし
  • 所属事務所:松竹エンタテインメント(業務提携)

SNS

ギモンくん

坂東彌十郎さんがプライベートでも海外に行くきっかけって何だったんだろう?

カイケツさん

市川猿翁さんの公演の助手でスイスを訪れたことが大きなきっかけだったみたいだよ!猿翁さんとスイスの山に登った時「あんた、私たちは、人様に感動してもらう仕事だから、同じ感動をしていたらダメなんだよ。人様の10倍も100倍も感動して、やっと人様に感動を与えられるのだ。感動しなさい」て言われて、今でも一人でスイスに行っているんだって!

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