日本の政治家として活躍し、内閣総理大臣として戦後最長(通算在職日数3188日)の総理在任記録を持つ、安倍晋三さん。
経済政策「アベノミクス」を推進し、近年の日本政治を代表する指導してきました。
今回は安倍晋三さんの家系図について確認しながら、深堀りをしていきたいと思います!
最後までお付き合いください!
【画像】安倍晋三の家系図がすごい!
筆者作成
安倍晋三さんは1954年9月21日に山口県で生まれました。家族は政治家一族で、父は安倍晋太郎元外務大臣、母は元首相岸信介の娘・洋子さんです。兄に安倍寛信さん、弟に岸信夫さんがいます。幼少期は政治家の家系でありながら、両親が選挙区の山口県に多くいるため、東京での生活は母子が中心で、両親の不在も多かったとされています。
幼い頃は野球選手や刑事に憧れた時期もありましたが、父・晋太郎さんの影響で、政界の道を選びました。後に内閣総理大臣に就任し、日本の政治の中心的存在となりました。華麗な政治家一族のもとに生まれ、その環境で育ちながら政治家としての道を築いた人物です。
安倍晋三さんの家族構成について確認していきたいと思います!
安倍晋三の家族構成
父:安倍晋太郎
引用元:Wikipedia
安倍晋三さんの父は、有名な政治家の安倍晋太郎さんで、1924年4月29日に東京市四谷区で生まれ、1991年5月15日に亡くなりました。東京大学法学部を卒業後、毎日新聞記者を経て政治家の道へ進み、農林大臣、内閣官房長官、通商産業大臣、外務大臣、自民党幹事長などを歴任しました。
晋太郎さんは岸信介元首相の娘・洋子さんと結婚し、その間に三人の子どもがいます。次男が安倍晋三さんで、父の政治の後を継ぎ、1993年に衆議院議員に初当選しました。安倍晋太郎さんは1987年に自民党幹事長に就任し、その後晋三さんを幹事長秘書に迎えています。
家族ぐるみで強い政治の絆を持っていましたが、1991年に病気で亡くなりました。安倍晋三さんは父の背中を見て政治に傾倒し、父の後を継ぐ形で政治家となったという家族のエピソードがよく語られています。父と息子の間には深い政治的なつながりと影響があったことが知られています。
上の画像は、1982年のもの。中曽根内閣で外務大臣として活躍されました。雰囲気が、安倍晋三さんに似ていますね。
母:安倍洋子
引用元:読売新聞
安倍晋三さんのは、安倍洋子さんで、1928年6月11日に東京都中野区で岸信介元首相の長女として生まれました。白百合高等女学校を卒業後、1951年に当時毎日新聞の政治部記者だった安倍晋太郎さんと結婚しました。
洋子さんは「政界のゴッドマザー」と呼ばれ、岸・安倍という政治家一家を支え続け、政治家夫人たちのリーダーとしても影響力を持っていました。夫の晋太郎さんが外務大臣として多忙だった時期には多くの外交に同行し、夫人外交にも携わりました。
夫の死後も息子たちの政治活動を支援し、晩年には孫の岸信千世の政界入りに大きな影響を与え、2024年2月4日に95歳で亡くなっています。安倍晋三さんとの親密な家族関係の中で、政治家一族の基盤を築いた重要な存在でした
上の画像は、2011年6月に撮影されたもの。柔らかな笑顔が、晋三さんと重なりますね。
祖父:岸信介
引用元:Wikipedia
岸信介さんは安倍晋三さんの母方の祖父で、1896年11月13日に山口県で生まれ、1987年8月7日に亡くなった日本の政治家です。東京帝国大学法学部を卒業後、商工官僚としてキャリアを積み、1957年から1960年まで第56・57代内閣総理大臣を務めました。
日米安保条約改定を推進し、日本の戦後政治に大きな影響を与えました。出生名は佐藤 信介で佐藤栄作元首相の兄でもあります。中学3年生の時、婿養子だった父の実家・岸家の養子となり、岸良子さんと結婚し、晋三さんの母、岸洋子さんを授かります。
つまり、安倍晋三さんは岸信介の直系の孫にあたり、政治家一家の三代目として知られています。岸信介の政治的影響力や家族の政治家としての伝統は、安倍晋三の政治家としての道にも大きくつながっています
安倍晋三さんは幼少期から祖父の存在を身近に感じ、政治家としての責任感や使命感を受け継いだと言われています。岸信介の遺志を継いで日本の再興に寄与したいという思いは、晋三さんの政策や外交においても見られました。
上の画像は、1957年2月、内閣総理大臣在任時に撮影されたもの。外務省より公表された肖像です。凛とした目元が安倍晋三さんに共通していますね。
兄:安倍寛信
引用元:Wikipedia
安倍寛信さんは安倍晋三さんの兄で、1952年5月30日生まれです。実業家として知られ、三菱商事パッケージング元代表取締役社長を務めました。成蹊小学校から成蹊大学経済学部まで同じ学園で教育を受け、1975年に大学を卒業し三菱商事に入社、その後中国支社長や執行役員などを歴任しています。
政治家一家で育ちながら、寛信さんは政治の世界ではなく実業界でキャリアを築きました。
1960年の60年安保闘争時、当時、当時7歳の寛信さんと5歳の晋三さんが、東京・渋谷の岸信介邸でデモ隊の「アンポハンターイ!」の真似をしていたそうで、その様子を岸信介さんが微笑みながら見守っていたと言われています。この体験は、安倍晋三さんが政治に関心を持つ「原体験」のひとつとして語られています。
安倍晋三さんとの他のエピソードとしては、兄弟間で大きな政治的関わりは公には少ないものの、家族としての絆は強く、互いに支え合う関係であったと伝えられています。寛信さんが政治家ではなく実業界を選んだことは、弟たちが政治に専念できるよう家族のバランスをとる役割の一環とも言われています。
上の画像は、1956年、4歳くらいの頃、父の安倍晋太郎さんと撮影したものです。お兄さんらしい優しい表情で、家族仲が良い様子が伝わってきます。
弟:岸信夫(岸家の養子)
引用元:Wikipedia
岸信夫さんは安倍晋三さんの実の弟で1959年4月1日生まれ、生後間もなく、母方の岸家の養子となっています。慶應義塾大学経済学部を卒業後、住友商事に入社し、海外勤務を経験しました。
2004年に参議院議員に初当選し、その後衆議院議員に転じました。防衛大臣や内閣総理大臣補佐官など重要なポストを歴任しています。兄の安倍晋三さんとは強い家族の絆があり、政治家として互いに支え合ってきました。岸信夫もまた、岸信介元首相の孫として、その政治的伝統と影響力を継いだ人物です。
エピソードとしては、幼少期に自分が養子であることを大学進学の際に知り、大きなショックを受けたことを語っているほか、防衛政策や外交問題で兄の安倍晋三さんと協力し、日本の安全保障に尽力したと言われています。
上の画像は、2014年撮影したもので、内閣広報室より公表された肖像です。穏やかな雰囲気が安倍晋三さんに似ていますね!
妻:安倍昭恵
引用元:フォーカス台湾
安倍昭恵さんは安倍晋三さんの奥さんで、1962年6月10日生まれ。東京都出身。森永製菓元社長の松崎昭雄さんの娘として生まれました。聖心女子学院高等科、聖心女子専門学校英語科を卒業後、電通に勤務し主に新聞雑誌局で働いていました。
1985年に職場の上司の紹介で安倍晋三さんと出会い、1987年に結婚しました。初対面の食事に昭恵さんが遅刻したものの晋三さんは気にせず和ませたというエピソードは有名です。
政治家の妻としては異色の存在で、ラジオパーソナリティや居酒屋経営も経験しました。社会貢献活動にも熱心で、社会貢献支援財団の会長を務めています。一方で、脱原発や大麻解禁など、晋三さんとは異なる意見を示すこともあり「家庭内野党」と呼ばれたこともあります。
安倍さん夫婦には、常に様々な注目が集まりましたが、昭恵さんは晋三さんの政治活動を支え続け、特に第2次政権時には「内助の功」として活躍しました。こうした昭恵さんの多面的な活動と政治家夫人としての姿勢は多くの人々の関心を集めました。
安倍昭恵さんが安倍晋三さんへの最後の言葉として公に伝えられているのは、2022年7月の告別式での喪主としての挨拶の中での言葉です。昭恵さんは「まだ夢を見ているようです。主人のおかげで経験できないいろいろなことを経験できて、すごく感謝しています」と涙ながらに語りました。
また、「主人も政治家としてやり残したことは沢山あったと思うが、本人なりの四季を過ごして最後に冬を迎えた。種をいっぱいまいているので、それが芽吹くことでしょう」と安倍晋三さんへの想いと未来への期待を述べています。
事件当日、奈良の病院で安倍晋三さんの手を握ると、握り返されたような気がしたとも語っています。これらは昭恵さんの深い愛情と別れの言葉として、多くの人の心に残っています。
上の画像は、2025年9月8日福岡にて、台湾からの訪問団との昼食会に出席したときのもの。まだ哀しみは癒えてないかもしれませんが、前を向こうという気持ちを感じる笑顔ですね。
今日は結婚記念日。
— 安倍昭恵 (@akie_official) June 9, 2025
結婚して38年。
主人のお陰で沢山のことを経験することができました。
もっと一緒にしたいことはありましたが、これからもきっと一緒・・・ pic.twitter.com/Nm5Au5WDQr引用:X
大叔父:佐藤栄作
引用元:Wikipedia
佐藤栄作さんは1901年3月27日生まれ、1975年6月3日に亡くなった日本の政治家です。安倍晋三さんの大叔父にあたります。東京帝国大学を卒業後、鉄道省に入り運輸事務次官まで務め、1947年には内閣官房長官に任命されました。その後、自由民主党に入り、1964年から1972年まで第56・57代内閣総理大臣を務めました。
佐藤内閣は7年8か月間続き、昭和時代の最長政権として知られています。彼は岸信介元首相の実弟であり、1974年にノーベル平和賞を受賞しました。
佐藤栄作さんは安倍晋三さんの祖父である岸信介さんの弟です。安倍晋三さんは政治家一家に生まれ、その家系の政治的伝統は佐藤栄作さんの影響を受け継いでいます。
佐藤栄作さんの政治的安定と外交政策の基盤は、岸・安倍一族の政治活動の土台となりました。安倍晋三さんは祖父や大叔父にあたる佐藤栄作さんの政治的功績を尊敬し、その遺志を継ぐ形で自身の政治キャリアを築きました。
上の画像は、1964年内閣総理大臣就任時のものです。長期政権を築き、安定した政治を行った点は、安倍晋三さんに共通していますね。
祖先:森永太一郎
引用元:日本人の肖像
森永太一郎さんは1865年8月8日(慶応元年6月17日)に佐賀県伊万里で陶器問屋の家に生まれました。幼少期に父を亡くし、母とも離別して孤児のような状態で育ちました。
24歳で単身アメリカに渡り、洋菓子製造の修業を積み、1899年に東京赤坂にわずか2坪の小さな工場「森永西洋菓子製造所」を開業しました。これが森永製菓の始まりで、日本で洋菓子を広めたパイオニアとして知られています。
妻・昭恵さんは森永太一郎さんの外曾孫娘(ひいおおまご)にあたります。つまり、森永太一郎さんは昭恵さんの曾祖父であり、森永家の家系を通じて食品産業の影響も受けている家族関係にあります。
昭恵さんを介して安倍晋三さんと森永太一郎さんの縁はつながっており、家族の歴史やバックグラウンドの一つとして、実業家としての精神や創業の理念は、安倍家にも影響を与えていると見られています。
森永太一郎さんの創業精神は「栄養のあるおいしいお菓子を日本の子どもたちに食べてもらいたい」というもので、これが今も森永製菓に受け継がれています
安倍晋三の学歴・経歴
安倍晋三さんは政治家一族の出身で、祖父は岸信介元首相、父は安倍晋太郎元外務大臣というバックグラウンドを持ち、政界での幅広い経験と影響力を持った人物でした。成蹊小学校に入学し、その後成蹊中学校・高校と進み、1977年に成蹊大学法学部政治学科を卒業しました。
- 小学:成蹊小学校
- 中学:成蹊中学校
- 高校:成蹊高等学校
- 大学: 成蹊大学
安倍晋三さんは、高校時代、剣道部に所属していましたが、練習が厳しく途中からは地理研究部に移り、日本各地を訪ねることに興味を持って活動していました。友人関係は気負わず自然体で、多くの友人とは普通の関係を築いていたとされています。
またその後の経歴は
- 米国カリフォルニア州で英語学校に通い、南カリフォルニア大学で1年間の英語研修コースに在籍(学士資格は取得せず)(1977年)
- 神戸製鋼所に入社(1979年)
- 安倍晋太郎外相の秘書官に就任(1982年)
- 安倍晋太郎外相の秘書官に就任(1982年)
- 松崎昭雄の長女・昭恵さんと結婚(1987年)
- 衆議院議員初当選(1993年)
- 自民党青年局長に就任(1996年)
- 若手議員の会設立(1997年)
- 北朝鮮拉致疑惑日本人救援議員連盟設立(1997年)
- 第2次森内閣官房副長官就任(2000年)
- 小泉内閣官房副長官再任(2001年)
- 自民党幹事長に就任(2003年)
- 幹事長代理、党改革推進本部長に就任(2004年)
- 第3次小泉改造内閣官房長官として初入閣(2005年)
- 自由民主党総裁選出馬、総裁に選出(2006年)
- 第90代内閣総理大臣就任(2006年)
- 首相辞任(2007年)
- 第96代内閣総理大臣に再任(2012年)
- 第97・98代内閣総理大臣就任(2014年、2017年)
- 首相辞任(2020年)
- 街頭演説中に銃撃され死去(2022年)
このように安倍晋三さんは、1970年代から政治の世界に入り、2000年代以降は様々な要職を歴任し、長期にわたり内閣総理大臣として日本を牽引しました
ギモンくん安倍晋三さんは、どうして神戸製鋼所から父・安倍晋太郎外相の秘書官に就任したのかな?
カイケツさんお父さんが外務大臣に就任した際、「すぐに秘書官になれ」と安倍晋三さんに強く命じたそうよ。当初は反発して神戸製鋼所に残りたかったみたいだけど、電話攻勢や説得で退社を決意。秘書官不在が父の苛立ちを招き、会社側も巻き込んだ大きな出来事になったみたい。最終的には家族の政治戦略と父の強い要望に応じて安倍さんは晋太郎さんの秘書官になったと語られてるわ。
【画像】安倍晋三と奥さんの馴れ初めは?トランプとは親友?
安倍晋三と奥さんの馴れ初めは?
引用元:NEWSポストセブン
安倍晋三さんと奥さんの昭恵さんの馴れ初めは1984年に遡ります。昭恵さんは森永製菓の創業家一族に生まれ、聖心女子専門学校を卒業後、大手広告代理店の電通に勤務していました。当時、安倍晋三さんは父・安倍晋太郎元外相の秘書を務めており、山口県の古参支援者の食事会で二人は引き合わされました。
この初対面では昭恵さんは約40分遅刻しましたが、安倍さんは昭恵さん、根気よく待っていたそうです。昭恵さん自身は結婚前はあまり結婚に乗り気ではなかったものの、安倍さんの父が外務大臣だったことや安倍さんの人柄に惹かれ、関係を深めていったとのことです。
食事会の後、安倍晋三さんからのアプローチで食事や映画に誘うなど交際が始まり、福田赳夫元総理夫妻が仲人を務め1987年に結婚に至りました。
結婚後、安倍晋三さんは政治家としての道を歩み始め、昭恵さんは明るく華やかな性格で、社内でも人気者でした。安倍さん自身は、地元の酒席で人見知りな自分を昭恵さんが積極的に会話の輪に入れてくれたことを支えにしていたことも知られています。
結婚生活の中でも、泥酔した昭恵さんをおんぶして帰るなど、その天真爛漫な性格に振り回されつつも支え合う関係でした。
2022年7月に安倍晋三さんが他界した時は、深い悲しみと衝撃に包まれていました。安倍晋三さんの一報を受けた際には、まるでまだ信じられないかのように呆然とし、涙を流していたと言われています。
告別式や葬儀の際には、昭恵さんが喪主を務め、晋三さんの顔に頬ずりをし、「ありがとう」と何度も語りかけるなど、深い悲しみと強い愛情を示しました。また、関係者によると晩年の安倍晋三さんとの夫婦関係は非常に親密で、政治家としての重圧を支え合っていたことも伝えられています。
上の画像は、1987年6月に新高輪プリンスホテルで行なわれた結婚式の様子です。芸能人のような華やかさを纏った新郎新婦ですね。
安倍晋三とトランプは親友?なぜ仲良し?
引用元:PRESIDENT Online、AFP
安倍晋三さんとドナルド・トランプ米大統領は、単なる首脳同士の関係を超えた親友関係と評されるほど仲が良かったです。彼らの親密さは、2016年のトランプ大統領選挙直後にニューヨークのトランプタワーで初めて会ったことがきっかけで、以降頻繁に電話で連絡を取り合い、直接会えばゴルフも共に楽しむなど、プライベートな関係も築きました。
仲良しの理由としては、両者の個人的相性が良く、価値観や保守的な政治観が共通していたことがあります。トランプ大統領は他の多くの国のリーダーとは距離を取ることが多い中、安倍氏とはすぐに打ち解けました。
さらに、安倍氏はトランプ政権の要求に対しても正面対立を避け、穏やかに交渉しつつ日米同盟を強化する戦略的な動きを取ったため、信頼関係は一層深まりました。国内レベルでも日米は強固な同盟国として相互支援を続けていました。
このような個人的信頼と戦略的な外交努力、共通の価値観から、両者は親友と呼べるほどの良好な関係を築いたのです。トランプ大統領は安倍さんを「シンゾー」と親しみを込めて呼び、「偉大な友人」と公言し、両者の関係は単なる政治的なものではなく友情の側面も持っていました。
安倍晋三さんとドナルド・トランプ大統領は、個人的な親近感と共通の価値観、戦略的な外交努力を通じて親友関係を築いたと言えます。
2022年7月8日、安倍晋三さんの訃報を受け、トランプ氏はSNSで、以下のように語りました。
「安倍氏がどれだけ素晴らしい人物、かつリーダーであったかは歴史が教えてくれるだろう。彼は、他に類を見ない一体感をもたらす人であり、何よりも彼の偉大な国である日本を愛し、守り、育てた男だった。彼のような人は二度と現れないだろう」
1枚目の画像は、2019年6月28日・29日に大阪市で開催されたG20大阪サミット時のもの。2枚目の画像は、2019年5月26日千葉県の茂原カントリー倶楽部で、トランプ氏を出迎えた安倍晋三さん。公私共に仲良しだったことが伝わってきますね。
安倍晋三のプロフィール・SNS
引用元:日刊スポーツ
プロフィール
- 名前:安倍晋三(あべ しんぞう)
- 生年月日:1954年9月21日
- 享年:67歳(2022年7月8日死去)
- 出身地:山口県
- 血液型:B型
- 趣味:読書、映画鑑賞
- 特技:ゴルフ
- 所属事務所:政治家のため無し
SNS
- X(旧Twitter) URL:https://x.com/AbeShinzo
自民党公認のみで戦い抜く小野田紀美候補。厳しい闘い、彼女の鋼の信念に会場は燃えました。
— 安倍晋三 (@AbeShinzo) July 7, 2022
日本を守り抜く小野田紀美候補に力を❗️
宜しくお願いします。 pic.twitter.com/vm5vyvj21u
- Instagram URL:https://www.instagram.com/shinzoabe/?hl=ja
- facebook URL:https://www.facebook.com/abeshinzo
- YouTube URL:https://www.youtube.com/@あべ晋三チャンネル
- オフィシャルサイト URL:https://archive.abeshinzo-digitalmuseum.com

ギモンくん安倍晋三さんはさまざまなSNSに取り組まれていたけど、生前一番更新されていたのはどれなのだろう?
カイケツさんどのSNSも精力的に更新されていたけど、特にXとFacebookの最期の投稿があり、参議院選挙候補者だった小野田紀美さんを応援する内容になっているわ。2025年現在は、高市内閣の経済安全保障担当大臣として期待されている彼女。入閣後に、再び安倍さんの最期の投稿が話題になり、多くの人々の胸を打ったわ。













