【画像】櫻井よしこの家系図がスゴイ!自宅は豪邸で場所はどこ?

櫻井よしこさんのご自宅は、東京都港区・赤坂氷川神社の境内にあるとされる白基調の大規模邸宅です。

あわせて、ハノイの野戦病院での出生から新潟・大分での暮らし、戦後の混乱を家族で乗り越えた歩み、教育熱心な母と事業家の父、兄姉弟を含む家族関係など、家系図をまとめました。

幼少期の経験が価値観やキャリア形成にどう影響したのか、学生〜記者時代の転機、現在の活動に至るまでを時系列でたどれるため、人物像の核が短時間把握できます。「どんな家系・どんな住まいで、なぜ今の櫻井よしこ像に至ったのか」が具体的に理解できますので楽しみにしてくださいね。

この記事でわかること

  • 家系図の全体像(両親・兄姉弟の関係と主要エピソード)
  • 出生〜学生時代の足跡が現在の思想・活動に与えた影響
  • 自宅の場所の目安(赤坂氷川神社境内)と外観・規模のポイント
  • 報道等で伝えられた物件情報の要点と留意点(一次情報との線引き)
  • 主要キャリア年表(記者・キャスター起用までの転機)
目次

【画像】櫻井よしこの家系図がスゴイ!

櫻井よしこさんは1945年10月、日本の敗戦直後で大混乱の中にあったベトナム・ハノイの野戦病院で生を受けました。父親は、アジア各国で手広く貿易を営みんでいましたが、その時の居住地がハノイだったそうです。終戦翌年

  • 全ての財産が没収(一文なし)
  • (ハノイから)米国船籍のリバティ号に乗って命からがら浦賀に到着
  • (その後)新潟県小千谷の母の実家で暮らし始める
  • (母の支援も借り)父の地元・大分県中津市に居住(「六軒長屋」と呼ばれる小さな家)
引用元:大阪文化財ナビ (六軒長屋のイメージ画像)

「木造の質素なおうちでね。でも敗戦した日本政府が住居のない国民のために建ててくれた精一杯の住宅ですよ。水道はなくて、水は井戸水を水瓶に蓄えていました。少ししてから隣町のちょっと上等な二軒長屋に引っ越して、中学2年の夏まで過ごしました

引用元:NEWSポストセブン

家族構成は「ご両親+兄・姉・本人・弟」の4人兄弟姉妹だったようですが、姉と弟は幼少期に亡くしているということです。お兄さんとは二人三脚でここまでやってきたのでしょうね。それではご家族について確認していきましょう。

櫻井よしこの家族構成

:櫻井清

櫻井清さんは、よしこさんのお話しによると生涯を70年で閉じたそうです。母親が34歳のときの子供がよしこさんが産まれているので、父親である清さんは当時は男性の方が年齢が上であることが多いことから、よしこさんが産まれた時、清さんは40歳前後であったことが想像できます。

父親は、ベトナムで貿易業を営んでいて、戦後によしこさんの故郷である大分県で住み始めたとのことです。清さんは、九州一円で繊維関係の事業を行っていたので、相当大きな企業を手掛けていた事業家であることがわかります。

ただ、清さんは、家庭をかえりみず、家族を置いて、東京にいた愛人と多くの時間を過ごしたようで、よしこさんとの幼少期の思い出は、本当に少ない様です。

お正月も帰ってこないので、幼い頃の父の記憶は小学1年生の時、手をつないで線路の上を歩いたりしたのが最後です。」と言うお話をされているので本当に母子家庭に近い幼少期であったことが伺いしれます。

この時期(清さんが家に居つかなくなったタイミング)に、櫻井よしこさんは、母親と一緒に再び新潟に戻ることを決意、仕事を求めて小千谷からほど近い長岡市に住むようになったとのことです

母::櫻井以志

引用元:Amazon

母の櫻井以志さんは、1912年生まれで107歳でこの世を去りましたが、100歳を超え大往生と言って良いでしょう。

以志さんは、「家庭をしっかりと支え、子どもたちの教育にも力を入れ、料理が得意」だったそうで、日本のお母さんの手本となるような働きだったようですね。料理は和食が得意で、よしこさんにとって、温かい手料理を懐かしく思いでとなっているようです。

また以志さんは

  • 楽観主義者
  • 実質母子家庭でも「お母さんがいるから大丈夫よ」といつも発信
  • 愚痴(=後ろ向きの発言)に時間を費やすのは無駄
  • 前向きな時間がとても大切

という性格であり、振る舞いであったようです!本当に素晴らしい母親像であることがわかりますよね。加えて、92歳まで日本舞踊の練習を毎日2時間していたと言うことなのでパワフルな母親であったことは間違いありません。

その後は、くも膜下出血で倒れたことをきっかけによしこさんと同居し、介護生活がスタートしたとのことです。よしこさんは、

母は私のためにここにいてくれる、と尊敬の念がわいてきました。母のお世話をすることで、私の人間的な幅が広がったからです。親が元気な時の親孝行は、親が喜ぶことをすることだと思いますが、親が年老いてからの親孝行は、うちの母のように、"子ども孝行"をしてくれる親をありがたく受け止めることだと思っています

とお話ししており、母親への感謝は尽きないようです。

兄::櫻井昭弘さん

兄の櫻井昭弘さんは、幼少期から非常に優秀で、勉学に励んでいたと言われています。櫻井よしこさんとは3歳年齢が上で、母親が病気になるまでは同居していたという情報もあります。よしこさんとの関係性はとても良いとも言われていますが、詳細な情報を確認することはできませんでした。

櫻井よしこさんの書籍「迷わない。完全版」の内容を鑑みると兄の昭広さんは既にお亡くなりになっていることと推察されます。「母を中心に、亡くなってしまった兄が元気なときの姿で写っている。兄嫁、姪や甥、お友達、秘書をはじめとする私のスタッフ、介護の人たちもみんないます。」と言う内容からのものです。

姉: 櫻井京子、弟:櫻井勇治

姉の京子さんはよしこさんよりも1歳年上のお姉さんですが、生後間もなく(10カ月ぐらい)で亡くなり、弟の勇治さんは3つ年下ですが、2歳で亡くなっている情報もありました。詳細は確認できませんでしたが、戦中、戦後の貧しい生活の中で、現代とは異なり、栄養不足や悪環境での生活など、様々なハードルがあったものと思われます。

生い立ちと学歴

櫻井よしこさんは、新潟(小千谷)→大分(中津)での生活の後、新潟県長岡市で育ちました。幼少期から勉学に励み、優秀な成績を収めていたとのことです。

  • 高校: 新潟県立長岡高等学校 卒業
  • 大学: 慶應義塾大学文学部(中退)
  • 最終学歴: ハワイ大学マノア校歴史学部 卒業

ハワイ大学にいったきっかけは父親の存在だったようです。母親のアドバイスで、父親が経営していたハワイ・ホノルルのレストランに支店ができ、単身赴任であった父親をサポート(身の回りの世話)する人が必要だったそうで、その時、よしこさんにお声がかかったそうです。

東京の女性の家に行っていた父ではありましたが、母親が一切、父親を悪く言ったことが無かったため、よしこさんにわだかまりは全く無かったです。「いつも立派な方だと褒めていた。仕事が忙しいから帰ってこれない」と説明を受けていたようです。

また後日談で櫻井よしこさんは、

「昔気質の父親で、子どもにべたべたしないし、厳しい代わりに、ちゃんと愛情も示してくれた。私はリンゴが大好きで、1年中食べていたいくらいなのですが、ハワイにはない。でも父は食材の卸業者に頼んで、毎回箱一杯のリンゴを届けさせた。また、化粧っ気のなかった私に、化粧品メーカーの人を呼んで、メークの仕方を教えてくれた。目の前にいる人には愛情深く接するんだと思う。70歳で亡くなりましたが、全然恨みはなかったです」

と話していることからも本当に良い親子関係であったことが伺いしれます。またその後、

  • ハワイで日本語教師
  • クリスチャン・サイエンス・モニター紙の記者(エリザベス・ポンド氏を紹介)で助手兼通訳
  • フリーのジャーナリスト
  • アジア新聞財団(PFA)の支局長
  • 日本テレビ系の夜のニュース番組『きょうの出来事』のキャスターへの起用(34歳)

とキャリアを積み重ねてきた櫻井よしこさん、パワーの源は幼少期の母親と父親の存在が大きかったようですね!

【画像】櫻井よしこの自宅は豪邸で場所はどこ?

櫻井よしこさんの自宅は、東京都港区にある赤坂の氷川神社の境内に位置しています。この場所は神社の所有地であり、住居面積は520㎡に及ぶ豪邸のようです。

登記簿によれば、地上2階地下1階、総床面積約520平方メートルに及ぶ、個人の邸宅とは思えないような超のつく豪邸。ちなみにこの建物には建築した2004年の翌年、2005年に1億7000万円の根抵当権がついているが、わずか6年で抹消されている。

引用元:litera

また「神社の東側入り口から樹木に囲まれた境内に入ると、社殿の方へ向かう道脇に位置している」「建物の外観は白が基調とされ、鉄筋コンクリート造の大きな構造物」と言う情報もあり、本当に立派なご自宅であることが伺いしれます。

2005年に1億7000万円の根抵当権がついているが、わずか6年で抹消されている」ということから、ジャーナリストの活動、多くの公演活動、またライターとしての執筆活動も行っていたことから、相当な収入があり、返済をしていた可能性もありますよね。

推測では、億単位での収入があるとも言われており、日本を代表するジャーナリストと言えるのでしょう。

櫻井よしこさんのご自宅の画像はこちらをクリックしてください!

櫻井よしこのプロフィール・SNS

引用元:文春オンライン

プロフィール

  • 名前:櫻井 良子(さくらい よしこ)
  • 生年月日:1945年10月26日
  • 年齢:79歳(2025年12月現在)
  • 出生地:ベトナム・ハノイ
  • 出身地:新潟県長岡市
  • 血液型:O型
  • 趣味:読書
  • 肩書き:ジャーナリスト、国家基本問題研究所理事長

SNS

櫻井よしこさn
ギモンくん

櫻井よしこさんは79歳(2025年3月現在)だけど、若々しいよね!

カイケツさん

石鹸を泡立てて2度きれいに洗って、保湿クリームを塗っているだけみたいよ。人に見られると言うことがいかに人をキレイにしていくということなのかな。

櫻井よしこの家系図と自宅情報まとめ

  • 1945年10月にベトナム・ハノイの野戦病院で出生
  • 父はアジア各国で貿易を営んでいた
  • 終戦後に全財産を失いリバティ号で浦賀に到着した経緯がある
  • 新潟県小千谷の母方実家で暮らし始めた
  • のちに大分県中津市の六軒長屋に居住し後に二軒長屋へ転居し中学2年夏まで過ごしている
  • 家族構成は両親と兄・姉・本人・弟で姉と弟は幼少期に亡くなっている
  • 父・櫻井清は70歳で逝去とされ九州一円で繊維事業を手掛けた事業家である
  • 父は家庭を顧みない時期があり幼少期の父の記憶は少ないと述べている
  • 母・櫻井以志は1912年生まれで107歳で逝去し楽観的で料理上手かつ教育熱心であった
  • 母は92歳まで日本舞踊を毎日2時間練習し後にくも膜下出血を機に同居と介護生活になった
  • 兄・櫻井昭弘とは関係良好とされ書籍の記述から既に逝去と推察される(推察)
  • 学歴は長岡高校卒業後に慶應義塾大学文学部を中退しハワイ大学マノア校歴史学部を卒業している
  • ハワイで日本語教師や米紙記者の助手兼通訳を経てフリー記者PFA支局長を務め34歳で『きょうの出来事』キャスターに起用されている
  • 自宅は東京都港区の赤坂氷川神社の境内に所在し白基調の鉄筋コンクリート造の大規模邸宅とされる
  • 登記簿上は地上2階地下1階総床面積約520㎡で2005年の根抵当権1億7000万円は6年で抹消と報じられている
  • 収入は講演や執筆等で高額との見方があるが具体額は不明で推測の域である(噂)
  • プロフィールは1945年10月26日生まれ出身は新潟県長岡市で国家基本問題研究所理事長を務めている
  • 幼少期の逆境と母の支えを糧に国際経験と取材実績を積み重ね現在も第一線のジャーナリストとして存在感を示している
よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!
目次