【画像】武豊の家系図がすごい!奥さんとの馴れ初めは?生涯年収は?

日本を代表する現役のJRA(日本中央競馬会)所属騎手として活躍を続けている武豊さん。

日本競馬界のレジェンドとして2025年現在も活躍し続けています。

今回は武豊さんの家系図について確認しながら、深堀りをしていきたいと思います!

最後までお付き合いください!

目次

【画像】武豊の家系図がすごい!

筆者作成

武豊さんは1969年、京都府で父親は元騎手・元調教師の邦彦さん、母親・洋子さんの三男として生を受けました。弟も元騎手で現調教師の武幸四郎さんで、競馬一家に生まれ育ちました

先は薩摩国出身の武家で、曽祖父の彦七さんは薩摩藩の園田家から武家へ養子に入り、日本近代馬術の祖・函館大経の直弟子として多くの騎手や調教師を育てた馬術家です。祖父の芳彦さんは北海道馬主協会の重鎮であり、園田牧場は伯父の園田実徳さんが起こしました。

このように武豊さんの家系は長い競馬と馬術の歴史を持つ名門です。祖先から父、兄弟まで競馬界に縁の深い武豊さんの家系図について確認していきたいと思います!

武豊の家系図

父:武邦彦

引用元:デイリー

武邦彦さんは1938年10月20日生まれ、京都府出身で、武豊さんの父親です。騎手としても多くの功績を遺し、2016年8月12日に77歳で亡くなりました。

日本中央競馬会(JRA)の騎手として1957年から1984年まで活躍しました。騎手時代は通算7679戦1163勝、重賞80勝を挙げ、「ターフの魔術師」「名人」とも称されました。1970年代には関西所属騎手として初めて通算1000勝を達成するなど実力派の騎手でした。

騎手引退後は1985年から調教師に転身し、1989-1990年度のJRA賞最優秀スプリンターのバンブーメモリーや、1999年度最優秀3歳牡馬のメジロベイリーを管理しました。調教師としても375勝を上げ、2009年に70歳定年で引退しました。

武豊さんは幼い頃から父・邦彦さんの厩舎で乗馬環境に親しみました。1987年の武豊騎手デビュー時には、父親として大きな支えとなったエピソードがあります。その後も邦彦さんは調教師として武さんのキャリアをサポートし続けました。

上の画像は、2009年2月23日、阪神競馬場にて、調教師ラストデーに勝利を挙げた武邦彦調さんが、武幸四郎さん(中央)、武豊さん(右)と親子3人で撮影した時のもの。息子たちの活躍する姿を見て、誇らしげ表情ですね。

曽祖父:武彦七

引用元:Wikipedia

武彦七さんは武豊さんの曽祖父にあたり、武家の祖として重要な人物です。1860年に薩摩藩士園田家に生まれ、園田実さんの弟。もともと園田家の人間でしたが、武家に養子入りしています。

明治維新後、兄とともに北海道函館に渡り、牧場経営と北海道競馬の発展に貢献。北海道庁から借り受けた土地で園田牧場を経営し、函館競馬会が発足すると審査員として行政にも関わりました。

この武彦七さんの子が武豊さんの祖父・武芳彦さんです。武芳彦さんは北海道馬主協会の理事として競馬界で重要な役割を果たしました。武豊さんは幼い頃からこの馬と競馬の一族の歴史に親しみ、武彦七さんが築いた北海道での牧場経営や競馬界の基盤が自分の競馬人生の原点となっていると感じています。

上の画像は、撮影時期は不明ですが、右が武彦七さん、左が兄の園田実徳さん。園田さんは、函館市桔梗町の土地を借りて園田牧場を創業、その経営を彦七さんに任せたことが発端になりました。彦七さんは競馬界での一族の礎を築いた人物として、武豊さんの家族史の中で極めて重要であり、その名は家系図の中でも際立っています。

弟:武幸四郎

引用元:スポウマ

武幸四郎さんは武豊さんの実弟で、1978年11月3日生まれ、騎手・調教師として活躍しています。1997年にJRAで騎手デビュー。デビュー翌日の初勝利が重賞制覇(JRA史上最年少・最短での重賞勝利)で大きな話題となりました。

新人賞を兄・武豊さんとともに兄弟受賞し、これはJRA史上初でした。秋華賞(2000年)、優駿牝馬・秋華賞・エリザベス女王杯(2013年メイショウマンボ)などでGI6勝、重賞28勝を記録しています。

騎手として20年間で9121戦692勝。2017年に調教師免許試験に合格し、同年引退。2018年より厩舎開業、調教師としても重賞初制覇を果たしています。

武幸四郎さんの騎手デビュー直後、兄・武豊さんは「騎手としての才能も運も幸四郎にある」と高く評価し、良きライバルとして切磋琢磨しました。幸四郎さんの調教師転身後は、豊さんが弟の管理馬で重賞勝利を挙げるなど兄弟タッグの歴史が刻まれています。2018年に管理馬・グアンで武豊騎手が勝利し、初出走初勝利の快挙となりました。

2021年にはファンタジーステークスで武幸四郎厩舎の馬・ウォーターナビレラに兄・武豊騎手が騎乗して重賞勝利を収めるなど、兄弟による「師弟タッグ」で競馬界でも特筆されています。

上の画像は、2023年1月8日シンザン記念で騎手の武豊さんとグータッチをする調教師の武幸四郎さんです。信頼している弟の武幸四郎さんの支えで、武豊さんの表情に安心感が見え、兄弟の絆の強さを感じます。

妻:佐野量子

引用元:ニッポン放送デイリー

武豊さんの奥さんは、佐野量子さんで、1968年8月22日生まれ、静岡県富士宮市出身の元女優、歌手、タレントです。

高校生の頃から芸能活動を開始し、1984年に日本テレビ系ドラマ「気分は名探偵」で女優デビュー。1985年にはデビューシングル「ファースト・レター」をリリースし、アイドル歌手としても活躍。1980年代から1990年代にかけて、自然体の明るいキャラクターと美貌で多くのファンに支持され、多数のドラマや映画に出演しました。

1994年頃から芸能活動を徐々に縮小し、1995年に結婚後、芸能界を引退して家庭に入っています。家庭に入ってからは、武豊さんを支え続けており、多忙な生活に寄り添うパートナーとしての役割を果たしています。

また、2024年には佐野さんが在宅中に、自宅に侵入された事件でのショックを乗り越えたという報道もあり、お互いの存在が精神的に強い支えとなっていることが伝えられています。

上の1枚目の画像は、1985年4月21日「ファースト・レター」でRVC(当時)からシングルデビューした時のもの。清らかで透明感のある歌声がファンを虜にしました。

2枚目は、2016年5月2日、東京・日本橋三越本店の「デビュー30周年記念 武豊展」のプレビューのもの。歌手の北島三郎さん、とんねるずの木梨憲武さんなど有名人が訪れ、佐野さんを交えて話に花が咲いたそうです。

遠縁の祖先:西郷隆盛

引用元:日本人の肖像

武豊さんは西郷隆盛の遠縁の子孫にあたります。 武豊さんの曽祖父・武彦七さんの兄弟である園田実徳さんの娘・ノブが、西郷隆盛の嫡男・寅太郎の夫人となり、これにより武家と西郷家が縁戚関係となっています。

1827年(文政10年)12月7日(旧暦)、薩摩国鹿児島城下の下加治屋町(2025年の鹿児島市)に生まれ、幼名は「小吉」、元服後に隆永(たかなが)、武雄、隆盛と名を変え、号は南洲(なんしゅう)といいます。

薩摩藩の下級藩士の子として生まれたため、経済的には裕福ではありませんでしたが、島津斉彬に見出されて頭角を現します。 幕末から明治初期にかけての日本の政治家・軍人であり、倒幕運動や明治維新の中心人物の一人です。

尊王攘夷運動のリーダーであり、江戸城無血開城や新政府の改革(廃藩置県など)に深く関わりました。
-1877年9月24日に西南戦争で薩摩で自害し、57歳で亡くなりました。

日本の近代史において非常に重要な人物で、武士ながらも政治家・軍人として新しい日本の礎を築いた偉大なリーダーとして知られています。

興味深いエピソードとして、西郷隆盛は当時としては非常に大柄(約180cm、110kg)で馬に乗るのが苦手だった反面、武豊さんは華奢な体格ながらジョッキーとして成功したことが話題にされています。

武豊の学歴・経歴

武豊さんの幼少期は元騎手の父の影響もあり、物心つく前から馬と触れ合う環境で育ちました。幼少期は京都府京都市伏見区淀で育ち、1970年に滋賀県栗東市に転居しています。

  • 小学:金勝小学校
  • 中学:栗東中学校
  • 高校: JRA競馬学校騎手課程第3期

武豊さんは、小学校5年生の時には栗東乗馬苑の一員となり、乗馬を本格的に始めました

1984年春にJRA競馬学校騎手課程第3期生として入学。競馬学校では乗馬技術だけでなく馬学の成績も学年トップで卒業し、優秀な成績を収めました。幼少期から馬に親しみ、乗馬に励みながら競馬学校へ進学、優秀な成績で騎手デビューに至った早熟な経歴が特徴的です。

またその後の経歴は

  • 阪神競馬場でデビュー。同年3月7日に初勝利(1987年)
  • 京都大賞典(G2)で重賞初勝利(1987年)
  • スーパークリークで菊花賞を制しG1初勝利(1988年)
  • アメリカ遠征で海外初勝利。JRAリーディングジョッキー初獲得(その後18回獲得)(1989年)
  • フランスG1(ムーランドロンシャン賞)で日本人史上初の海外G1制覇(1994年)
  • 史上最速・最年少でJRA通算1,000勝達成(1995年)
  • スペシャルウィークで日本ダービー初制覇(歴代最多6勝まで伸ばす)(1998年)
  • 三冠馬ディープインパクトで史上2人目の三冠ジョッキー(2005年)
  • 日本騎手クラブ会長(2010年)
  • 現在も現役、国内外G1勝利は歴代最多127勝、JRA平地通算4,61

となり、2025年現在、18回のJRA全国リーディング、通算4000勝超のJRA歴代最多勝記録、通算GI(国内外・地方含)100勝以上、東京優駿(日本ダービー)歴代最多の6勝など、前人未到の記録を多数更新中です。

華やかな実績とともに、競馬人気を底上げした国民的スターでもあり、ドラマ性豊かなエピソードに事欠きません。

ギモンくん

武豊さんが騎手になったのは、やはりお父さん・武邦彦さんの影響なんだろうか?

カイケツさん

武豊さんにとって武邦彦さんは、今でも憧れの存在だそう。幼い頃からお父さんと遊び、一緒に競馬の世界に触れる機会も多く、邦彦さんが調教した馬でG1レースに勝ったことは特に印象深い思い出だと語っているわ。

【画像】武豊の奥さんとの馴れ初めは?生涯年収は?

武豊の奥さんとの馴れ初めは?

引用元:YahooNewsInstagram

武豊さんの奥さんは1980年代から1990年代にかけて活躍した、元タレントの佐野量子さんです。1988年6月に中京競馬場のイベントで初めて出会い、翌日にクイズ番組で偶然再会するも、その時点では交際には至りませんでした。

クイズ番組から1年後、武豊さんが「笑っていいとも!」のテレフォンショッキングの次のゲストとして佐野量子さんを紹介したことで縁がつながります。その後、雑誌対談などで再会を重ね、佐野さんが電話番号を書いた紙を渡したことで交際が始まりました。1989年12月から交際開始、その後約5年間交際を続け1995年に結婚しています。

結婚式は京都市北白川のカトリック聖ヴィアトール教会で行われ、質素ながらも温かいものでした。挙式や披露宴は手作り感があふれ、親しい友人や家族に見守られてのものでした。

また、佐野量子さんは芸能界で活躍していたものの、結婚後は家庭に専念する道を選び、武豊さんの支えとなっていることも話題です。2人は交際期間中、芸能界と競馬界という特殊な環境でスキャンダルを避けるため、深夜のデートや手紙のやり取りで愛を育みました。子供はいませんが、お互いへの尊敬と信頼で強い絆を築いています。

上の画像の1枚目は、1995年の結婚式の様子です。7年間の交際を経て、幸せを掴んだ2人の笑顔がとても素敵ですね。

2枚目は、宮内庁公式インスタグラムが公開した202510月28日に行われた園遊会の様子。天皇皇后両陛下主催の「秋の園遊会」で皇族方が、武豊さん夫婦とのご歓談を楽しむ様子が披露されました。佐野さんは着物姿で、横顔と後ろ姿からも凛とした佇まいがうかがえ、「久しぶりに見ました。お着物姿も美しい」と反響が多く寄せられました。

武豊の生涯年収は?

引用元:マネーポストWEB

武豊騎手の生涯年収については、取得賞金額と騎手の取り分から推計されており、非常に高額です。

獲得賞金と収入の推計
• 2021年時点で武豊騎手の生涯獲得賞金は約876億円に達しており、世界一の騎手賞金獲得額とされています。
• 競馬では獲得賞金の約5%が騎手の取り分であり、これに基づくと武豊騎手の生涯賞金からの取り分は約43億円と推計されています。

年収の推移
• 直近10年以上にわたり年収はおおむね1億円前後で推移し、2024年の年収は約1億5590万円と非常に高水準
• 騎乗手当や奨励手当なども含めた年収は変動しますが、最高峰の成績を維持し続けているため、長年にわたり安定した巨額収入を得ています。

総括
• 現役37年以上のキャリアで臨む武豊騎手の生涯年収は、賞金取り分だけではなく手当等を加味すると数十億円規模と推定されます。
• 2021年時点の推定生涯年収は少なくとも40億円を超えており、世界的にもトップの収入を誇るジョッキーです。

まさに生けるレジェンドですね!これからの武豊騎手のさらなる活躍にも注目です。

武豊のプロフィール・SNS

引用元:武豊オフィシャルサイト

プロフィール

  • 名前:武豊(たけゆたか)
  • 生年月日:1969年3月15日
  • 年齢:56歳(2025年11月現在)
  • 出身地:京都府
  • 血液型:O型
  • 趣味:ゴルフ(シングルレベル)、ワイン好き
  • 特技:ゴルフ・乗馬技術
  • 所属事務所:JRA栗東トレーニングセンター所属のフリー騎手

SNS

ギモンくん

武豊さんのInstagram競馬関連の投稿が多いのかな?

カイケツさん

競馬関連は勿論、テレビ関連の告知での写真も多いわ。芸能人のようなオーラがあって、端正なルックスとスタイルから「モデルさんみたい」と言われているよ。

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