【画像】加山雄三の家系図がすごい!息子・娘は何してる?現在の病状は?

歌手・俳優・タレントとして長年にわたり第一線で活躍を続けている加山雄三さん。

「24時間テレビ」のエンディングとして、夏の終わりに流れる「サライ」や青春・爽やかさの詰まった「君といつまでも」などが有名で、日本人の“青春”や“元気”の象徴である加山さん。

今回は加山雄三さんの家系図について確認しながら、深堀りをしていきたいと思います!

最後までお付き合いください!

目次

【画像】加山雄三の家系図がすごい!

筆者作成

加山雄三さん(本名:池端直亮)は1937年4月11日、神奈川県横浜市で俳優の上原謙(本名:池端清亮)さんと女優の小桜葉子(本名:池端具子)さんの間に生まれました。幼少期は病弱で、特に1歳9か月の時に大腸カタルを患いましたが、自然豊かな環境を求めて茅ヶ崎市に引っ越し、その地で成長しました。

芸名「加山雄三」は母方の祖母による姓名判断で名付けられ、現在も多彩な才能を発揮し続けています。

加山雄三さんの家系図について確認していきたいと思います!

加山雄三の<家族構成・家系図>

祖先:岩倉具視

引用元:近代日本人の肖像DIAMOND Online 

加山雄三さんは、鹿児島の武士の家系の出身で、歴史的に名高い岩倉具視の子孫という貴重な血筋を持つ、まさに名門・芸能一家の代表格として知られています。その関係は、加山雄三さんが岩倉具視の玄孫(やしゃご)にあたるというものです。

具体的には、岩倉具視の孫である岩倉具顕の子どもが、加山雄三さんの母・小桜葉子さんです。つまり、母方の家系が岩倉家であり、その血筋が加山雄三に受け継がれています。この家系は歴史的に名高く、岩倉家は政治家や学者、芸術家などの著名な人物を多く輩出していて、加山さん自身もその一族として知られています。

岩倉具視(いわくら ともみ)は、1825年生まれの日本の公家で政治家であり、幕末から明治時代にかけて活躍した重要な人物です。徳川幕府から天皇への政権返上(大政奉還)を支持して明治政府の立役者となりました

1867年に王政復古のクーデターに関与し、版籍奉還や廃藩置県といった近代国家の制度を整備。1871年に欧米へ使節団の大使として訪問し、日本の近代化に貢献しました。1883年に病没し、国葬が行われ正一位太政大臣に追贈されました。「天才の策士」と称され、明治維新の中心人物として知られています。

上の画像は、肖像画で、1872年1月20日(明治4年12月15日)に岩倉使節団の一員として欧米視察中の写真撮影が「大使信報」に記録された時です。その後、1951年(昭和26年)には紙幣の肖像画として初めて採用され、五百円札のデザインとなりました。

父:上原謙

引用元:Amazon日刊ゲンダイ

上原謙(本名:池端清亮)さんは、加山雄三さんの父で1909年11月7日に東京市牛込区(現在の新宿区)で生まれ、昭和初期の日本映画界を代表する二枚目スターとして活躍した有名俳優です。

代表作に『愛染かつら』(1938年)、『三百六十五夜』(1948年)などがあり、演技力にも定評がありました。戦後は映画俳優として初のフリーランスとして活動し、成瀬巳喜男監督作品など多数の名作に出演。

1953年:第8回毎日映画コンクールにて『妻』、『夫婦』主演男優賞を受賞するなど、日本の映画界に名を遺しました。

上原謙さんは、非常に子煩悩な父親であったことがよく知られています。加山雄三さんは幼少期に病弱で大腸カタルを患っていましたが、息子の健康のために自然環境の良い神奈川県茅ヶ崎市へ引っ越しました。加山雄三さんは31歳で結婚するまで茅ヶ崎市で暮らしました。

また、音楽の才能を見抜いた上原謙は、加山雄三さんが幼い頃に中古のピアノを買い与えて音楽教育を支援しました。家にあった足踏みオルガンでバイエル曲を1時間で覚えた加山雄三さんの才能を見て、父は音楽環境を整えることに尽力したそうです。

上原謙さんは加山雄三さんに対し、芸能界入りを助け、芸術的才能を伸ばすことに深く関わった温かい父親であり、親子関係も良好であったことが伝わっています。

上の画像の1枚目1953年公開の東宝映画『妻』のワンシーン、2枚目妻の死後、5年後の1975年に38歳年下の元クラブ歌手大林雅美さんと再婚した時のもの。この再婚はマスコミやワイドショーをにぎわせました。

母:小桜葉子

引用元:日本の古本屋X 

小桜葉子さん(本名:池端具子、旧姓:岩倉具子)は加山雄三さんの母で、1918年3月4日、東京府東京市麹町区霞ヶ関(現在の東京都千代田区霞が関)で生まれ、女優として活躍した人物です。岩倉具視のひ孫にあたり、政治家や皇族と親戚関係にある由緒ある家系の出身です。

1925年、7歳の時に小笠原プロダクションに子役として入り、芸名「小桜葉子」を母のペンネームから受け継いで使い始めました。1926年に松竹蒲田撮影所に入り、子役として多数の映画に出演。島津保次郎監督の「明日天気になァれ」では主役を務め、子役として一世を風靡しました。

1936年10月に俳優の上原謙さんと結婚し、芸能界はほぼ引退。翌1937年4月に長男の加山雄三さんを出産しました。戦後は美容体操家として活躍し、小桜式プッシュ体操を考案。テレビ出演や体操教室を経営するなど、多彩な活動で知られました。

1970年5月12日、52歳の若さで亡くなりました。死因は腎臓障害と子宮癌でした。晩年は健康面で多くの苦労があり、体調を崩しながらも仕事に励んでいたと伝えられています。

加山さんが19歳の時にスキー場で心肺停止状態になったことがあり、母が持っていたお守りの数珠が奇跡的に加山さんを救ったという話はよく知られています。母の強い愛と祈りが加山さんの命を救ったといわれる感動の逸話です。

上の画像の1枚目は、子役として活動していた時のもの、2名目は加山さんが成人した頃に家族で撮影した時のものです。家族全員オーラがあり、華やかでまさに芸能一家という素敵な写真ですね。

妻:松本めぐみ

引用元:テレ朝post

松本めぐみさんは、加山雄三さんの妻で、元女優です。1947年2月9日に東京都で生まれました。

1965年の映画『エレキの若大将』で加山さんと共演したことがきっかけで、親密になりました。加山雄三さんは松本めぐみさんの芯の強さに惹かれ、クルーザーに初めて彼女を招待した際、船酔いせず静かに編み物をしている様子に惚れ込んだそうです。

加山さんが人気絶頂だった1970年に結婚し、当時は女性ファンからの嫉妬が凄まじく、身の危険を感じるほどだったとか。そんな中で加山さんは松本さんを一人にせず連れ歩き、夫婦愛を育んだそうです。

1960年代を中心に映画とテレビドラマで活躍し、様々な役柄を演じました。お嫁においで(1966年)やドリフターズですよ! 前進前進また前進(1967年)など、特に東宝作品での活動が多く、日本の映画黄金期を彩った女優の一人です

松本めぐみさんは芸能界を引退し、加山雄三さんの精神的な大きな支えとなっています。経済的な困難や別居噂もありましたが、離婚はしておらず、お互いの人生を尊重しながら節度のある関係を保っています。

二人の間には2男2女の4人の子どもがおり、子ども達も芸能界で活躍、母として家族の活動を支えてきました。加山雄三さんと松本めぐみさんは、長年連れ添いながらもお互いに敬意を持ち支え合う、理想的な夫婦として知られています。

上の画像は、2022年9月に放送された『徹子の部屋』出演時のものです。結婚生活52年の仲睦まじい様子が話題になりました。

次男:加山徹

引用元:ゲンダイ

加山徹(かやま てつ)さんは加山雄三さんの次男で、1975年8月8日生まれの俳優です。芸名は当初「山下徹大(やました てつお)」で活動し、2019年1月18日に「加山徹」に改名しました。

「踊る大捜査線」「相棒」「プライド」「ひとつ屋根の下2」など、数多くのテレビドラマや映画に出演。1995年のデビュー当時は「加山雄三の息子」として注目されました。加山さんの4人のお子さんの中で一番知名度が高いと思われます。

加山徹さんは小学校低学年の頃、『加山雄三の息子』と友人に大声でからかわれ、父の息子であることに嫌悪感を抱いていました。しかし、母の松本めぐみさんの教育方針で「スターは父親で、子どもは特別扱いされない」という厳しい躾があり、家族でもファーストクラスに乗る両親に対し子どもたちはエコノミークラスだったといいます。

加山徹さんは俳優デビュー後も父の名前を隠すため「山下徹大」という芸名を使い、自力で評価されたいとの思いが強かったのです。しかし役者として経験を積むうちに、父のプロとしての努力やカッコよさを理解し、尊敬の念が深まるとともに、2019年に本名の「加山徹」に改名しました。

加山徹さんはテレビのインタビューやトーク番組などで父との関係やエピソードを語ることがあり、心温まる親子の絆が垣間見えています。

上の画像は、時期は不明ですが、一緒にステージに立った時のものです。父・加山雄三さんがどんなに体調が悪い時でも最高のパフォーマンスをするプロ根性に圧倒され、息子であることを誇りに思っていると語っています。

加山雄三の学歴・経歴

加山雄三さんの幼少期は病弱で、大腸カタルを患っていました。そのため、子煩悩な父・上原謙は自然環境の良い神奈川県茅ヶ崎市に引っ越し、そこで育ちました。幼少からスポーツが得意で、ギターやスキー、モーターボートの製作にも興味を持つ自由奔放な少年でした。

学校は茅ヶ崎市立茅ヶ崎小学校、茅ヶ崎市立第一中学校を経て、慶應義塾高校、慶應義塾大学法学部政治学科を卒業しています。

加山雄三さんは幼少期の病気を克服し、広い視野と多才な才能を持つエンターテイナーとして成長しました

  • 小学:茅ヶ崎市立茅ヶ崎小学校
  • 中学:茅ヶ崎市立第一中学校
  • 高校: 慶應義塾高校
  • 大学: 慶應義塾大学法学部政治学科

高校3年生からギターに興味を持ち始め、友人のコーチのもとで基礎を習得。その後、質屋で500円のギターを買い練習を積みました。大学時代は作曲活動も開始し、音楽活動の土台を築いたそうです。

1960年、慶應義塾大学卒業後に東宝に入社し、俳優の道を進みます。

またその後の経歴は

  • 映画『男対男』で映画デビュー(1960年)
  • 映画『大学の若大将』で主演し「若大将シリーズ」がスタート(1961年) ※約20年間で17作品に主演
  • 「夜の太陽」で歌手デビュー。B面には「大学の若大将」が収録(1961年)
  • 黒澤明監督『椿三十郎』(1962年)に出演
  • 黒澤明監督『赤ひげ』(1965年)に出演
  • 「君といつまでも」が大ヒット(1965年)
  • パシフィックホテル茅ヶ崎を開業(1965年)、経営破綻(1970年)を経て完全廃業(1988年)
  • NHK紅白歌合戦 白組司会(1986~1988年、3年連続)
  • 加山キャプテンコーストスキー場を開業(1991年)
  • 日本テレビ『24時間テレビ 愛は地球を救う』のテーマソング「サライ」が谷村新司さんとの共作で誕生(1992年)
  • 「加山雄三&ハイパーランチャーズ」結成(1994年)
  • 芸能生活55周年「若大将FES」開催(2016年)
  • コンサート活動引退(2022年)
  • 文化放送で特番、地元茅ヶ崎に銅像設置等(2023年)
  • 「サライ」は「24時間テレビ」のエンディングで30年以上流れ続け国民的な名曲に(2025年)

学生時代から演技・音楽・スポーツ情熱を傾け、多彩な才能を育みました。近年では、「サライ」により歌手としてのイメージが強い加山さん。「サライ」を谷村さんとの友情の象徴として、「永遠のサライ」と表現し、谷村さんへ感謝と別れの言葉を贈りました。

ギモンくん

加山雄三さんが演技の影響を受けたのは、俳優であるご両親の影響だったらしいね。加山さんはミュージシャンとしても成功しているけど、音楽は誰の影響なのだろう?

カイケツさん

お父さんの上原謙さんが音楽好きだったらしく、幼少期からクラシック音楽を聴き「3B(ベートーベン、ブラームス、バッハ)」のアルバムを集めていみたいよ。加山さんは「父に捧げるピアノコンチェルト」を作曲し、コンサートで演奏、父をステージに上げて感謝を伝えたエピソードには感動したわ。

【画像】加山雄三の息子・娘は何してる?現在の病状は?

加山雄三の息子・娘は何してる?

引用元:読売新聞日本植物油協会

加山雄三さんの子どもたちは4人で、それぞれ多彩な分野で活躍しています。

名前続柄生年月日職業備考
池端信宏長男1972年7月14日花火師、作曲家、CG映像作家、画家、タレントリオ五輪閉会式の花火演出担当など国際的に活躍
加山徹次男
1975年8月8日俳優当初は「山下徹大」の芸名、2019年に改名
梓真悠子長女1976年7月26日料理研究家、女優料理好きでプロの料理研究家として活動
池端えみ次女1978年生まれ女優ハリウッド作品にも出演経験あり

加山雄三さんは子どもたちに自立を促し、何不自由なく育てることよりも自分の力で努力し成長することを重視しています。子どもたちもそれぞれ専門分野で活躍し、家族全体として才能を受け継いでいることがうかがえます。

上の画像の1枚目は1980年代半ば頃、長男の池端信宏さんと撮影。2枚目は長女の梓真悠子さんが料理サイトの記事に掲載された時の写真です。

加山雄三の現在の病状は?

引用元:SIXPAD

加山雄三さんは2019年に軽度の脳梗塞を発症し、その翌年の2020年には誤嚥による小脳出血で救急搬送されました。このときは左半身に軽度の麻痺や言語障害が残りましたが、熱心なリハビリの結果、ほぼ完全に回復しています。それ以来、筋力トレーニングやウォーキングなどで体調維持に努めています。

2021年には仕事に復帰し、その後も精力的に創作活動を続けていましたが、2022年をもってコンサート活動からは引退を発表しました。引退の理由は加山さんの持ち歌が高音域を多用するため、年齢とともに声の出しづらさを感じたことや、コンサートのリハーサルで自分の声がガサガサしていることにショックを受けたことによるものです。

現在は東京都中央区の高級な自立型ケアハウスに妻の松本めぐみさんと共に暮らしており、日常生活は元気に過ごしています。2025年9月にはトリビュートライブにサプライズ出演し、ファンの前に元気な姿を見せるなど、病気を乗り越えた力強さを感じさせています。

このように、加山雄三さんは大きな病を経ながらも前向きに回復し、今もなお創作や生活の質を大切にしながら過ごしている状況です。

加山雄三のプロフィール・SNS

引用元:読売新聞

プロフィール

  • 名前:加山雄三(かやまゆうぞう)
  • 本名: 池端直亮
  • 生年月日:1937年4月11日
  • 年齢:88歳(2025年9月現在)
  • 出身地:神奈川県
  • 血液型:A型
  • 趣味:ビデオゲーム、料理、マリンスポーツ
  • 特技:ギター、ピアノ、ウクレレ、スキー
  • 所属事務所:株式会社 Yuzo Kayama Office

SNS

ギモンくん

加山雄三さんは料理が得意だけど、始めたきっかけって何なのかな?

カイケツさん

加山さんが小学生の頃、砂浜でハマグリをたくさん拾ってきて、それを煮て佃煮のように味付けして、家族や周囲の人に振る舞ったことが最初の料理経験だったそうよ。その時にみんなから「おいしい」と喜ばれたことがきっかけで料理にハマったと言われているわ。

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