プロ野球選手・監督として活躍を続け日本プロ野球史に名を刻んだ長嶋茂雄さん。
「ミスタープロ野球」と呼ばれる、昭和・平成・令和を代表する国民的スターであり、多くの人に惜しまれながら、2025年6月に89歳に他界されました。引退後も「国民的宝」と称されるほど親しまれ、スポーツ界のみならず広く影響を与えました。
今回は長嶋茂雄さんの家系図について確認しながら、深堀りをしていきたいと思います!
最後までお付き合いください!
【画像】長嶋茂雄の家系図がすごい!
筆者作成
長嶋茂雄さんの幼少期は千葉県印旛郡臼井町(現在の佐倉市臼井)で、父・長嶋利(ながしまとし)さん、母・長嶋ちよさんのもと、農家の末っ子として健康に育ちました。
父・利さんは農家を営む傍ら、地元の臼井町役場の収入役や助役としても活躍し、実は村芝居で女形を演じたスターでもあったと伝えられています。母・ちよさんは、家庭を支えながら野菜の行商人として家計を助けていた堅実な方で、野球に励む茂雄さんのため手作りでグローブやボールを用意した温かいエピソードも残されています。
温かいご両親に育てられた長嶋茂雄さんですが、1964年の東京オリンピックで妻・亜希子さんと出会い、一目惚れ。猛アプローチの末結婚し、二男二女に恵まれ、自身も温かく愛情に満ちた家庭を築きました。
今回は家族の愛を受けながら、野球人生をまっとうした長嶋茂雄さんの家族環境について確認していきたいと思います!
長嶋茂雄の家族構成
長男:長嶋一茂
引用元:NumberWeb
長嶋一茂さんは、長嶋茂雄さんの長男で、1966年1月26日に生まれました。父の茂雄さんと同じく元プロ野球選手で現在はタレント、スポーツ解説者として幅広く活躍しています。
「長嶋茂雄さんの息子」としてのイメージが強い中、その宿命と格闘しながら歩み、葛藤と挑戦の連続だったと語っています。
幼少期は普通の子どもとして明るく育ちましたが、中学時代に父・茂雄さんが巨人監督を解任されたことがきっかけとなり、野球に没頭し始めました。『俺は高校で野球部に入って、絶対にプロ野球選手になる』と宣言したエピソードが残されています。
立教高校進学後は野球部で苦労しながら「ナガシマの息子」に対するプレッシャーを跳ね返し、夜更けに自主練を続ける努力家の一面がありました。
立教大学時代は主力・主将として活躍し、日本代表にも選出。茂雄さんは神宮球場に必ず応援に来て、試合後は家で細やかな打撃解説をするなど父子の濃い交流が語られています。
本人が憧れたのはロッテの落合博満で、変わった打撃フォームや記事を集めるなど研究熱心でしたが、一番近い尊敬と悩みを語り合えたのは父・茂雄さんだったそうです。
1987年ドラフトでヤクルトへ入団し、その後巨人へ移籍。上の画像は1993年茂雄さんが巨人監督に復帰、一茂さんがヤクルトから巨人へトレード移籍の時のものです。3年間巨人に在籍しましたが、1996年秋、田園調布の実家で父の茂雄さんから戦力外を通告され、一茂さんのプロ野球人生に幕を閉じました。
引退後は野球解説・タレント業へ転身。父・茂雄さんとの関係は時に複雑でしたが、晩年は父の介護や最期を見届けるなど、愛情深い親子の絆を示しました。
長嶋一茂さんの人生は、父・茂雄さんへの熱い思いとプレッシャーの中で自らの道を切り拓いた、苦悩と努力の歴史です。プロ野球とテレビ・タレント分野で活躍し続ける今も、父との濃密な思い出が人生の指針となっているようです。
次女:長島三奈
引用元:シネマトゥディ
長島三奈さんは、長嶋茂雄さんの次女として、1968年6月3日に生まれ、職業はスポーツキャスターと実業家として活躍しています。父・長嶋茂雄さんの晩年を支え、2025年6月の長嶋さんの通夜や葬儀では喪主を務めました。
1991年にテレビ朝日のスポーツ局に入社し、野球関連の取材やスポーツ番組のキャスターを務めました。特に「熱闘甲子園」のメインキャスターとして長年活躍しています。また、父・長嶋茂雄さんの個人事務所「株式会社オフィスエヌ」の代表取締役を務めており、資産管理や肖像権の管理、経営全般を担っています。
リハビリに励む父・茂雄さんを励ますため、松井秀喜さんと「監督やるやる詐欺」という秘密の約束をしていたことを通夜の挨拶で明かしました。これは松井さんが巨人の監督になるという雰囲気を父に伝え、父がリハビリを頑張る気持ちを維持するための作戦でした。
2018年の胆石で入院、容態が悪化したときは、三奈さんが誰よりも献身的に看病し、晩年の茂雄さんの健康管理に努めました。通夜の挨拶では、父の天然で人を笑顔にするエピソードを披露し、選手の名前を間違えるなど愛嬌のある一面も紹介。三奈さんは『父はどこにいても皆を笑顔にした』と誇らしげに話しました。
上の画像は、TBS系特別番組「独占!長嶋茂雄の真実」(2015年1月3日放送)で、テレビ初共演を果たした時のもの。仲睦まじい様子が話題になりました。このように三奈さんは父・長嶋茂雄さんの晩年を深く支え、その誇り高き家族の絆の中心的存在であったことがうかがえます。
次男:長島正興
引用元:Nismo
長島正興さんは長嶋茂雄さんの次男(末子)で、1970年9月26日生まれの元レーシングドライバーです。
幼少期から勉強とスポーツに励み、暁星国際高等学校卒業後、駒澤大学経済学部に進学。
大学在学中の1992年からレース活動を始め、ホンダ・シビックワンメイクレース、フォーミュラ・トヨタ、全日本F3選手権、全日本GT選手権と各種レースに参戦し、優勝・入賞多数。2003年にはスーパー耐久クラス3シリーズチャンピオンに輝きました。
1999年から2000年にはアメリカのフォーミュラ・アトランティックシリーズにも挑戦し、レーシングドライバーとして国内外で高く評価されています。上の画像は時期は未定ですが、現役で活躍していた頃のものです。
2008年ごろから環境活動にも力を入れ、環境管理士の資格を取得し、環境分野で活動する傍ら、レーシングドライバーは事実上引退しています。
父・長嶋茂雄さんとは、同じ苗字ながら戸籍上は「長嶋」と「長島」の違いがあり、エピソードとしては、幼い頃から父の影響を強く受けながらも自分の道を切り開いたことが語られています。茂雄さんは長男・一茂さんの野球への葛藤に複雑な感情を持ちながらも、正興さんには静かに見守る姿勢を取っていたとされます。
長嶋茂雄 学歴・経歴
長嶋茂雄さんは農家の末っ子として育ち、小学校時代は足が速く、運動が得意で、徒競走では上級生に勝つほどでした。小学4年生から兄の影響で地元の野球チームに球拾いとして参加し、楽しみながら野球の基礎を身につけていったと言われています。その後、立教大学経済学部に進学し、六大学野球のスター選手として活躍し、卒業後に読売ジャイアンツへ入団しました。
- 小学:臼井町立臼井小学校
- 中学:臼井二町組合立中学校
- 高校: 千葉県立佐倉第一高等学校
- 大学: 立教大学
長嶋茂雄さんは、中学校で野球部に入部し、レギュラー遊撃手として活躍しました。
高校時代は1年生から4番打者として活躍。1953年8月1日、南関東大会の熊谷高校戦(大宮球場)で6回表に打ったライナー性の本塁打はバックスクリーン下の芝生にまで到達し、新聞では約130メートル(426.5フィート)と推定される大ホームランとして大きく報じられました。
甲子園出場は叶いませんでしたが、このホームランをきっかけに多くのスカウトの注目を集め、後のプロ入りにつながる重要な一打となりました。
またその後の経歴は
- 立教大学卒業後、読売ジャイアンツに入団し、即4番打者として活躍(1958年)
- ルーキーイヤーに本塁打王・打点王の2冠を達成し、新人王を獲得(1958年)
- 王貞治との「ON砲」コンビとして巨人の黄金時代「V9」を支える(1965〜1973年)
- 首位打者・打点王獲得、リーグ優勝・日本一に貢献(1963年)
- 巨人軍主将に就任(1971年)
- 現役引退。引退スピーチで「我が巨人軍は永久に不滅です」との名言を残す(1974年)
- 引退後:読売ジャイアンツ監督に就任し、リーグ優勝5回、日本一2回を達成
- 監督辞任後は読売ジャイアンツ終身名誉監督、同球団専務取締役などを務め、日本野球の発展に寄与。
- 国民栄誉賞受賞(2013年)
- 文化勲章を受章(2021年)
17年間のプロ生活で新人王、MVP5回、首位打者6回、本塁打王2回、打点王5回、ベストナイン17回、ゴールデングラブ賞2回のタイトルを獲得し、背番号「3」は永久欠番となっています。
引退後も監督、評論家、役職者、スポーツ文化の伝道者として日本野球界に多大な影響を与え続けました。
長嶋茂雄さん自身『野球とは人生そのものだ』と語っていたのが印象的ですが、野球に人生を賭け、沢山の人々に勇気と希望を与えてくれました。

息子の長嶋一茂さんも父・長嶋茂雄さんと同じプロ野球選手だけど、茂雄さんへの憧れから志したのかな?

一茂さんは中学2年生の時に、父・茂雄さんが巨人の監督を解任され、父には辞める気がなかったため、「巨人に仕返しをしたい」と強く思い、野球を始めたそうよ。父に対する憧れとともに、父の無念を晴らしたいという強い思いが一茂さんを動かしたんだね。
【画像】長嶋茂雄の妻の死因は?浅田美代子との関係は?
長嶋茂雄の妻の死因は?
引用元:NumberWeb、産経新聞
長嶋茂雄さんの妻・長嶋亜希子さんの死因は公式には「心不全」とされています。
•2007年9月18日午前4時33分、東京都内の病院で64歳で亡くなりました。前日に長男・一茂さん夫妻と食事をし、その帰りの車内で体調が急変、病院に搬送されましたが意識は戻らず亡くなりました。長嶋一茂さんによると、亜希子さんは長年膠原病を患っており、その影響が心臓に及んでいたと考えられています。
一方で、突然の死去や家族葬であったことから自殺説や、その背景に夫の長嶋茂雄さんの女性関係のトラブルがあったのではないかという憶測もありますが、これらは明確な証拠のない噂です。
結論としては、妻・亜希子さんは、長年の膠原病などの病気のため心不全で亡くなったと報じられています。
長嶋茂雄と浅田美代子の関係や噂は?
引用元:NEWポストセブン
長嶋茂雄さんと浅田美代子さんの関係については、長年にわたりネット上などで「隠し子がいる」「愛人関係だった」という噂が流れましたが、これは根拠のないデマということが明らかになっています。
噂の発端は、2004年に長嶋茂雄さんが脳梗塞で倒れた際、その搬送先が浅田美代子さんの自宅であったという誤った憶測から広まりました。実際には、お二人の間に特別な私的関係や隠し子の存在などは確認されておらず、共演歴や深い交流も見当たりません。
唯一の間接的接点は、長嶋茂雄さんの息子・長嶋一茂さんと浅田美代子さんがテレビ番組で共演している点であり、本人同士の関係ではありません。
一部報道や噂では晩年に浅田美代子さんが長嶋茂雄さんの身の回りの世話をしていたとされるものの、公式の確認はなく詳細は不明です。
長嶋茂雄のプロフィール・SNS
引用元:NEWSポストセブン
プロフィール
- 名前:長嶋茂雄(ながしましげお)
- 生年月日:1936年02月20日
- 年齢:享年89歳(2025年6月3日死去)
- 出身地:千葉県
- 血液型:B型
- 趣味:映画鑑賞
- 特技:将棋
- 所属事務所:株式会社オフィスエヌ
SNS
- オフィシャルサイト URL:https://www.giants.jp/sp/shigeo_nagashima/


読売ジャイアンツ公式サイトには、長嶋茂雄さんの訃報を受け開設された「長嶋茂雄終身名誉監督追悼ページ」があるんだね。どんな内容なのだろう?

彼の功績と人柄を称える内容が中心で、長嶋さんと共に過ごした野球界の大物達からの追悼メッセージ動画が公開されているわ。なんと、特別映像には映画監督の北野武さんが出演され、「天才的なエンターテイナー」と語っているのが印象的。長嶋茂雄さんがいかにたくさんの人に愛されてきたか、良く分かるよね。