片岡愛之助さんといえば、「ラブリン」の愛称で親しまれ、歌舞伎の枠を超えて舞台やドラマでも幅広く活躍する実力派俳優として知られています。その華々しいキャリアの始まりは、わずか5歳のとき。『松竹芸能』の子役オーディションを受け、1979年NHK総合テレビ『欲しがりません勝つまでは』で子役としドラマに初出演を果たしました。
その後も着実に芸の幅を広げていき、2013年にはTBS系列の日曜劇場ドラマ『半沢直樹』で演じた黒崎駿一役が大きな話題となります。おネエ口調のエリート官僚という強烈なキャラクターを、圧倒的な表現力で見事に演じきり、その演技は高く評価されました。
こうした演技が認められ『第78回ザテレビジョンドラマアカデミー賞』では助演男優賞の第2位に選出され、1位の香川照之さんに次ぐ快挙を成し遂げました。
こうした多才さと努力を惜しまない姿勢の背景には、由緒ある家系に育ち、代々受け継がれてきた伝統と確かな技があります。今回は、そんな片岡愛之助さんの家系図をたどりながら、そのルーツと現在の活動についてご紹介していきます。どうぞ最後までお付き合いください!
【画像】片岡愛之助の家系図がすごい!
筆者作成
片岡愛之助さんは、1972年3月4日生まれです(2025年7月 現在53歳)。
片岡愛之助さんと聞いて、まず思い浮かべるのは、テレビドラマ『半沢直樹』の黒崎駿一役や、映画『キングダム 運命の炎』や『翔んで埼玉 〜琵琶湖より愛をこめて〜』での強烈な存在感ではないでしょうか。その印象があまりに鮮烈で、「実は歌舞伎役者だったの?」と驚かれることも多いようです。
片岡愛之助さんの実家は大阪でスクリュー製造工場を営む一般家庭。妹が一人いる中で、歌舞伎とは無縁の幼少期を過ごしたといいます。芸能界に足を踏み入れるきっかけとなったのは、1977年、わずか5歳のときに受けた『松竹芸能』の子役オーディションです。
本人の意思というより、実家の工場に出入りする大型ダンプカーの危険を避けるため、「危ないし、だからといって家に置いたままにするのも可哀想なので」と考えた家族の意向で、タレント養成所へ通い始めたそうです。
その後、子役として舞台に立つうち、その演技力と表現への関心の高さが十三代目片岡仁左衛門さんの目にとまり、1981年、二代目片岡秀太郎に誘われて『片岡一門』の部屋子となります。そして正式に二代目片岡秀太郎の養子となり、「片岡千代丸」を襲名し、京都南座の『勧進帳』で歌舞伎役者としての第一歩を踏み出しました。
その後、1993年には大阪中座『勧進帳』で駿河次郎役を演じ、『六代目片岡愛之助』を襲名。歌舞伎界における名跡を継ぎ、着実に存在感を高めていきました。
今回は、そんな片岡愛之助さんの魅力に迫るべく、彼の家系図に注目し、華やかなルーツや芸に向き合う姿勢、そして現在に至るまでの歩みをじっくりと紐解いていきたいと思います!
片岡愛之助の<家族構成・家系図>
祖父:十三代目 片岡 仁左衛門
引用元:NHK アーカイブス
歌舞伎俳優・十三代目 片岡 仁左衛門(ろくだいめ かたおか にざえもん)さんは1903年12月15日東京都生まれ、本名は片岡 千代之助(かたおか ちよのすけ)1994年3月26日に90歳で逝去されました。片岡愛之助さんの祖父にあたります。
昭和後期の歌舞伎界を支えた名優の一人であり、上方歌舞伎の灯を絶やすまいと奔走した情熱の人でもありました。その生涯には、芸に生きる誠実さと人柄の温かさがにじみ出ています。
十三代目 片岡 仁左衛門さんは、幼い頃『十一代目片岡仁左衛門』の養子となり、本名の『片岡千代之助』を名乗って1905年に京都南座で初舞台を踏みます。
少年時代には『片岡少年劇』で才能を発揮し、1951年には養父の名跡を継いで『十三代目片岡仁左衛門』を襲名しました。
しかし当時の関西では、歌舞伎人気の低迷が深刻な状況にあり、十三代目片岡仁左衛門さんは私財を投じて『仁左衛門歌舞伎』を立ち上げ、自主公演を行うなど、上方歌舞伎復興に尽力したといいます。
そんな祖父が情熱を注いで築き上げた歌舞伎の功績と歴史を受け継ぎながら、六代目片岡愛之助さんは十三代目片岡仁左衛門さんの本名「片岡千代之助」字を取って「片岡千代丸」を襲名し、歌舞伎役者としての舞台を踏んでいます。
また、晩年には視力を失いながらも舞台に立ち続け、その姿勢は多くの後進にとって憧れであり、手本であり続けました。さらに『若鮎の会』を主宰し、高校生向けの歌舞伎教室を開催するなど、若手の育成にも尽力しました。
時代が移り変わっても、十三代目片岡仁左衛門さんが遺した精神と功績は色あせることなく、多くの人々の心に今も息づいています。その志は、これからも多くの後進たちに受け継がれ、歌舞伎という伝統芸能の未来を照らし続けていくことでしょう。
養父:二代目 片岡 秀太郎
引用元:日刊スポーツ
歌舞伎俳優・二代目 片岡秀太郎(にだいめ かたおか ひでたろう)さんは1941年9月13日東京都生まれ、本名は片岡 彦人(かたおか よしひと)2021年5月23日に79歳で逝去されました。片岡愛之助さんの養父にあたります。
二代目片岡秀太郎さんは、上方歌舞伎の美しさと品格を体現した、名女形の名優として知られています。柔らかな物腰と洗練された所作、そして繊細な感情表現で、多くの観客を魅了してきました。
初舞台は1946年、京都南座の『吉田屋』にて、禿(かむろ)役で「片岡彦人」として立ちました。その後、1956年には大阪歌舞伎座『河内山』にて『二代目片岡秀太郎』を襲名しました。
特に女形としての才能が花開き、『心中天網島・河庄』の小春や『封印切』の梅川など、上方世話物の名役を数多く演じました。また、江戸の生世話物にも幅広く演じ、古風な女形を演じる表現力は秀逸と高く評価されていました。
その芸への真摯な姿勢と功績が認められ、2019年には『人間国宝』に認定、さらに2021年には『旭日小綬章』を受章。決して妥協せず、ひたむきに芸と向き合い続けたその姿は、まさに“品格と芯の強さを兼ね備えた生き様”といえるでしょう。
晩年は慢性閉塞性肺疾患を患い、2021年5月、大阪府吹田市内の自宅にて息を引き取りました。その別れに養子である六代目片岡愛之助さんは、次のような思いを語っています。
「大恩人」
「普段はとても優しいのですが、芝居のことになると兎にも角にも厳しい方でした。上方にこだわり上方の歌舞伎に情熱を注がれていました。これからもなお一層、秀太郎イズムを踏襲したいと思っております」
引用元:デイリー
と芸に生き、芸を伝えるという使命感を貫く思いを明かしています。
二代目片岡秀太郎さんは、その確かな芸と誠実な人柄で、長年にわたり多くの人々に慕われてきました。上方歌舞伎の伝統を守りながらも、時に挑戦を重ねる姿勢は、観客のみならず同じ舞台に立つ俳優たちにも深い影響を与えたといいます。
舞台に生き、最後まで芸とともにあったその姿は、多くの人の記憶に今も鮮明に刻まれています。静かに幕を下ろした後も、二代目片岡秀太郎さんが遺した芸に込めた精神と気品は、歌舞伎界に脈々と受け継がれていくことでしょう。
叔父:五代目 片岡我當
引用元:ORICON NEWS
歌舞伎俳優・五代目 片岡我當(ごだいめ かたおか がとう)さんは1935年1月7日東京都生まれ、本名は片岡 秀公(かたおか ひできみ)2025年5月11日に90歳で逝去されました。片岡愛之助さんの叔父にあたります。
五代目片岡我當さんは、義太夫狂言から新作歌舞伎まで幅広い演目で活躍し、特に関西歌舞伎の再興に尽力した立役の名優として知られます。初舞台は1940年10月、大阪歌舞伎座にて『堀川』のおつる役を本名の「片岡秀公」の名で演じたのが始まりでした。
その後、戦後の時代に家族とともに関西へと拠点を移し、『七人の会』や『仁左衛門歌舞伎』などの舞台で着実に経験を重ね、俳優としての礎を築いていきました。
また、十三代目片岡仁左衛門や兄弟、三代目實川延若、三代目中村鴈治郎らと手を取り合いながら、関西歌舞伎の灯を絶やすまいと、舞台の表現だけでなく運営面でも力を尽くしてきました。
その功績は高く評価され、1971年には『大阪府民劇場奨励賞』、1972年には『重要無形文化財』の総合認定を受け、伝統歌舞伎保存会の会員として、後進の育成にも力を注ぎました。
晩年は自宅で療養を続けながらも、若い世代への指導を惜しまず、助言を続けていたといいます。六代目片岡愛之助さんは、片岡我當さんの逝去にあたり、自身のブログでその思いをこう語っています。
「先日発表が有りましたが、伯父の我當には私が千代丸の時代から沢山の事を教えて頂きました」
「学生歌舞伎もよく出して頂き、学生さんが分かり易い様な演出であったり、とても勉強になりました。自宅で療養されていらした時も、よく電話でアドバイスしてくださったり、色々な事を、真摯にお話して下さいました」
引用元:ORICON NEWS
と語り、「伯父の私への思いと、教えを胸にこれからも精進して行きたいと思っております。」と、自身の叔父である片岡我當さんへの思いを綴っていました。
五代目片岡我當さんが大切にしていたのは、歌舞伎だけではなく、人と人との絆、そして後進への深い愛情、そうした想いを胸に、生涯を通じて多くの人々と真摯に向き合ってこられたのだと思います。その志は、六代目片岡愛之助さんへと確かに受け継がれており、人生における大きな指針となっていたことでしょう。
静かでありながら確かな足取りで歩まれた五代目片岡我當さんの生涯。その深くあたたかな足跡は、これからも多くの人々の心に刻まれていくことでしょう。
叔父:十五代目 片岡仁左衛門
引用元:婦人画報
歌舞伎俳優・十五代目 片岡 仁左衛門(じゅうごだいめ かたおか にざえもん)さんは1944年3月14日大阪府大阪市生まれ、本名は片岡 孝夫(かたおか たかお)81歳(2025年7月現在)、片岡愛之助さんの叔父にあたります。
十五代目片岡仁左衛門さんは、すらりと背が高く、色気と知性を兼ね備えた存在感で、舞台の上でもひときわ輝きを放ち、観る者に強い印象を残してきた存在です。
また、三男として生まれながらも、実績を評価され、父である十三代目片岡仁左衛門や松竹の永山武臣会長から高く評価され、異例ともいえるかたちで大名跡『仁左衛門』を継承をしています。
初舞台は1949年、中座での『夏祭浪花鑑』市松役。以来、着実に実力を積み上げ、1964年に仁左衛門歌舞伎で演じた『女殺油地獄』の与兵衛役で大きく注目され、この役がまさに当たり役となり、「大阪に孝夫あり」と称されるほどの出世芸となりました。
また、甥の六代目片岡愛之助さんが、『赤穂浪士の討入り』を題材にした歌舞伎屈指の人気作『通し狂言 仮名手本忠臣蔵(かなでほんちゅうしんぐら)』に出演するにあたり、十五代目片岡仁左衛門さんが役柄への思いを語りました。
そのインタビューでは、「大切なのは由良之助の心ですよね。歌舞伎様式の型としてではなく、心を伝える。それをしっかり捉えてほしいと思います」と演じるうえでの核心を語りかけるように伝えていました。
その言葉を受けた六代目片岡愛之助さんは、「おじの言う通り、心を大切にしながら勤めていきたい。由良之助は、私にとってまさに雲の上のような存在で、まさか自分が演じることになるとは思ってもみませんでした。しっかりとおじの姿から学び、盗みながら、ひと月しっかりと勤め上げたいと思います」と、想いと意欲を語っていました。
その後、2006年に『紫綬褒章』、2015年には『人間国宝』、2018年には『文化功労者』に選ばれるなど、十五代目片岡仁左衛門さんは伝統と革新を体現する俳優として、確かな道のりを歩んできました。
真摯に芸と向き合いながらも、新しさを柔軟に取り入れ、常に観客に寄り添うその姿勢は、世代を問わず多くの人の心を惹きつけています。今なお進化を続ける十五代目片岡仁左衛門さん。その一挙手一投足から目が離せません。
妻:藤原 紀香
引用元:デイリー
女優、モデル、タレント・藤原 紀香(ふじわら のりか)さんは1971年6月28日兵庫県西宮市生まれ、54歳(2025年7月現在)、片岡愛之助さんの妻にあたります。
いまだ美貌の衰えない美しさと明るく芯のあるキャラクターで多くの人々に親しまれてきた藤原紀香さん。知名度、人気ともに高い女優です。テレビや舞台だけでなく、その生き方や発言にも注目が集まり、常に話題の中心にいる存在です。
藤原 紀香さんは、1993年には映画『ビッグタウンふたりの朝』で女優デビューを果たし、1997年のドラマ『ラブジェネレーション』への出演が転機となり、一気に注目を集めます。1999年にはドラマ『ナオミ』で初主演を務め、女優としての地位を確かなものにしました。
以降も着実に女優・タレントとしての実績を重ねていた藤原紀香さんは、やがて片岡愛之助さんと出会い、結婚。結婚会見では、二人の仲睦まじい様子が垣間見えました。
「交際当初に知った意外な一面について」を聞かれると、藤原紀香さんは「びっくりしたのは、彼はメロンの切り方を知らなかったんです」と微笑ましく語りました。
片岡愛之助さんは「男は台所に立つなと教わって育ったので、料理ができない人間になってしまったんです。そう言ったら彼女がメロンにマジックで線を引いて切り方を教えてくれました」と苦笑いしながら答え、藤原紀香さんは「思った以上に亭主関白というか……日本男児!って感じですね」と話していました。
また、関係者やひいき筋の間では「梨園の妻は務まらないのでは」と囁かれたこともありましたが、藤原紀香さんは梨園の妻として片岡愛之助さんを献身的に支え、その姿勢と努力を惜しまない姿は、単なる“美しさ”だけでは語りきれない、藤原紀香さんならではの大きな魅力となっています。
現在は片岡愛之助さんの妻として公私ともに充実した日々を送りつつ、自身の信念を持って芸能活動を続けています。夢を諦めず、自分らしい道を切り開いてきた藤原紀香さんの歩みは、同世代の女性たちにとっても、多くの共感や憧れを集めているに違いありません。
片岡愛之助の学歴・経歴
1979年、当時7歳だった片岡愛之助さんは、NHKの銀河テレビ小説『欲しがりません勝つまでは』に本名で出演し、人生で初めての仕事としてこの作品に臨みました。
幼いながらも強く記憶に残っていると語るのは、「アーメン、そーめん、冷やそうめん」というセリフ。その理由は自分でも分からないそうですが、それだけ当時の体験が鮮烈だったのでしょう。「今でもそのセリフが忘れられない」と笑いながら振り返っていたといいます。
- 小学:大阪府 堺市立三宝小学校
- 中学:大阪府 堺市立浜寺中学校
- 高校: 大阪府立信太高等学校
また、片岡愛之助さんは、中学卒業後すぐに歌舞伎の道へ進もうと考えていた時期もあったそうですが、実の両親から「高校だけは出なさい」と勧められ、大阪府立信太高等学校に進学・卒業しました。
その後は、大学への進学や他の道を選ぶことも自由だった中で、最終的に自らの意志で歌舞伎役者として生きていくことを決意します。
のちに『片岡一門』への養子縁組の話しが持ち上がった際も、長男であるにもかかわらず、両親は迷うことなく快く背中を押してくれたといいます。こうした家族の理解と支えの中で、片岡愛之助さんは着実に芸を磨き、歌舞伎俳優として数々の賞を受賞するまでに成長しました。
自身の努力と家族の温かい応援があったからこそ、現在の片岡愛之助さんの存在があると言えるでしょう。
- 咲くやこの花賞(1997年)
- 国立劇場・優秀賞(2002年)
- 大阪舞台芸術新人賞(2003年)
- 大阪舞台芸術奨励賞(2005年)
- 重要無形文化財(総合認定)認定(2005年)
- 伝統歌舞伎保存会会員(2005年)
- 松尾芸能賞・新人賞(2006年)
- 第11回COTTON USAアワード Mr.COTTON USA(2014年)
- 第43回ベストドレッサー賞 学術・文化部門(2014年)
- 第28回日本メガネベストドレッサー賞・文化界部門(2015年)
- 第74回芸術選奨 演劇部門・大臣賞(2024年)
片岡愛之助さんは、与えられた役に真摯に向き合い、新たな挑戦を恐れない姿勢で、多くの観客の心をつかんできました。その実力とたゆまぬ努力は高く評価され、これまでに数々の賞を受賞しています。
さらに、歌舞伎俳優としての実力だけでなく、その佇まいや品格ある人柄も広く注目されており、2014年には『ベストドレッサー賞』、2015年には『日本メガネベストドレッサー賞』を受賞。洗練された着こなしや所作の美しさは、芸の枠を超えて多くの人々を魅了しています。
歌舞伎界にとどまらず、映画やドラマといったメディアでも存在感を放ち、幅広い支持を集めている片岡愛之助さん。自らの強い意志と家族の支えによって築かれたその歩みは、これからも伝統芸能の世界に新しい風を吹き込み続けていくことでしょう。

片岡愛之助さんが「親善大使」になったって聞いたけど、何市の親善大使になったの?

調べてみたら、出身地である大阪・堺市の「堺親善大使」を務めているみたいだよ。それに加えて、片岡愛之助さんの祖父が鹿児島県徳之島町手々出身というご縁から、2021年には「徳之島観光大使」にも就任しているみたいだよ!
【画像】片岡愛之助と藤原紀香の馴れ初めは?自宅はどこ?
片岡愛之助と藤原紀香の馴れ初めは?
引用元:毎日新聞
片岡愛之助さんと藤原紀香さんは、華やかな舞台の世界で活躍する者同士ですが、最初から恋愛感情があったわけではなかったといいます。二人の出会いは、片岡愛之助さんが、いとこである片岡孝太郎さんに誘われて藤原紀香さん主演のミュージカル『マルグリット』を観劇したことがきっかけでした。
その数年後、別の機会に再会したことをきっかけに、二人は友人として交流を深めていきます。
片岡愛之助さんは当時を振り返り、「役者仲間という思いでお付き合いさせていただいていた。彼女も関西出身なので、家族みたいな感じでリラックスしてお付き合いできる方だなと思っていた」と語っています。芸に向き合う真剣さや感性の近さもあり、そうした自然な関係性が、距離を縮める大きな要因となったようです。
しかし、そんな中で2015年に熱愛が報じられると、藤原紀香さんは所属事務所から会うことを禁じられてしまいます。それをきっかけに当時の心情をこう明かしています。
「同じ世界の人同士はうまくいかないんかな、という思いもあって、『ダメよダメ、友達よ友達』と自分に言い聞かせていた。事務所に『会わないでね』と言われたときは私自身も心に穴が開いたようになって……。彼に『ちょっとお話があるんです』と言われたときは、同じ気持ちやったんやと思い、すごくうれしかった」
引用元:ステージナタリー
と、片岡愛之助さんの存在がどれほど大切なものだったかを実感し、強く惹かれ合っていたことを、当時を振り返りながら語っていました。
そして、出会いから数年を経て、二人は2016年3月30日に結婚を発表。翌31日には東京・帝国ホテルで結婚報告会見を開き、多くのファンや関係者に温かく祝福されました。
華やかな世界に身を置きながらも、穏やかに信頼を育んできた片岡愛之助さんと藤原紀香さん。その関係は、互いを尊重し合いながら築かれた成熟した関係として、今も多くの人々の共感と憧れを集めています。
片岡愛之助の自宅はどこ?
引用元:マイナビニュース
六代目片岡愛之助さんといえば、歌舞伎だけでなくテレビや映画でも幅広く活躍する人気俳優。その華やかなイメージから「大都会の東京の一等地に住んでいそう」と思われがちですが、実は出身地大阪の堺市に強い思い入れを持っているようです。
自宅の場所は公式に明かされていませんが、大阪府堺市の公式サイトのインタビューで、片岡愛之助さんご本人がこのように語っています。
歌舞伎の家に生まれた人間ではない私が歌舞伎人生を歩めているのは、今の父の秀太郎に声をかけてもらったおかげですし、本当に片岡家(屋号 松嶋家)には感謝しています。片岡家は上方歌舞伎の家であり、十三代目仁左衛門も父秀太郎も上方に居を構えて役者として一生を進んでいます。その背中を見て育ってきた私もまた、堺から離れずに一生歌舞伎俳優として生きて行くのかなと思っています。
引用元:堺市
と『大阪には年に2回、2カ月程滞在するだけですが、人の温かさや食べ物の美味しさ、そういったものの良さが身に染みます。なぜ東京に引っ越さないのかというと、私が大阪、上方を好きだからです。』と語り、大阪の文化、人の温かさを大切にしている気持ちが伝わってきます。
歌舞伎よりもドラマや映画の露出の印象が強い片岡愛之助さんですが、本質はあくまで「上方歌舞伎の人」。派手さの裏に、育った故郷と伝統への深い敬意があるからこそ、多くの人に愛されているのかもしれません。
自宅の詳細こそ明かされていないものの、心の拠りどころとして大阪の街を選び続けている姿からは、華やかな表舞台とはまた違った、等身大の「片岡愛之助さんらしさ」が垣間見えるように感じます。
片岡愛之助のプロフィール・SNS
引用元:あたらしい日日
プロフィール
- 名前:片岡 愛之助(かたおか あいのすけ)
- 本名: 片岡 寛之(かたおか ひろゆき)
- 出生名:山元 寛之(やまもと ひろゆき)
- 生年月日:1972年3月4日
- 年齢:53歳(2025年7月現在)
- 出身地:大阪府堺市堺区
- 血液型:B型
- 趣味:ドライブ・音楽鑑賞
- 特技:体幹トレーニング
- 所属事務所:松竹エンタテイメント
SNS
- Instagram URL:https://x.gd/u2Tsw
- オフィシャルサイト:https://x.gd/iX1P7

- 松竹エンタテインメント URL:https://x.gd/SyAat

- 公式ブログ URL:https://x.gd/Ent8a


こんなに歌舞伎やドラマ、映画で忙しそうな片岡愛之助さんって、どんなふうに息抜きしてるのかな?

公式SNS見てると、映画や舞台を観たり、訪れるその土地その土地を散歩したりしてるみたいだよ。藤原紀香さんとのツーショットもたまにアップされていてすごく仲良さそうな姿がうかがえるよ!