【画像】北村一輝の家系図がすごい!息子と共演?役作りで歯を抜いたのはホント?

映画やテレビ、舞台で活躍を続けている北村一輝さん。

鋭さの中に哀愁を宿す演者として、現在も活躍しています!

今回は北村一輝さんの家系図について確認しながら、深堀りをしていきたいと思います!

最後までお付き合いください!

目次

【画像】北村一輝の家系図がすごい!

筆者作成

北村一輝さんは1969年7月17日、石川県出身の父と、沖縄県出身の母・昭子さんの次男として生を受けました。映画好きの家族に囲まれ、幼少期から映画館に足を運ぶことが日常で、自然と映画文化に触れて育ったようです。

北村一輝さんの家族や家系図については、公にされておらず、謎に包まれている部分も多くあります。そんな北村一輝さんの家系図について確認していきたいと思います!

北村一輝の<家族構成・家系図>

父:名前非公表

北村一輝さんの父親は一般人の方で、名前等は公表されていませんでした。

北村一輝さんの父は、石川県金沢市にルーツを持つ由緒ある家庭の出身。なんと400年以上続く豪農の本家に生まれ、祖先には区長や村会議員を務めた人もいたという情報がありました!

地元でも知られた存在で、まさに「名家」と呼ばれる家系です。そんな環境で育った北村一輝さんの父は、戦後の混乱期を乗り越えてたくましく生きた人物でもあります。

北村一輝さんの祖父が戦地に二度も出征していたこともあり、若い頃から家庭を支える立場になるなど、大変な時期を過ごしてきたようです。

その後、北村一輝さんの父は、大阪で暮らすようになり、北村一輝さんの母となる沖縄出身の女性、昭子さんと出会って結婚することになります。

しかし、当時は、沖縄出身者に対する偏見がまだ残っていた時代。家柄のこともあって、父方の家族からは結婚を反対されたこともあったそうです。

それでも北村一輝さんの父は、そうした壁を乗り越えて結婚を決意しました。昭子さんも家業に一生懸命尽くし、最終的には家族にも受け入れられたそうです。

家族を守るために信念を貫いた父親の姿は、北村一輝さん自身の生き方にも影響しているのかもしれません。自分の道を貫く姿勢や、家族を大事にする思いは、しっかりと父親から受け継がれているようですね!

母:北村昭子(きたむら あきこ)

引用元:キタムラトシヒロ公式Instagram

北村一輝さんの母・昭子さんは、沖縄県・粟国島にルーツを持つ「与那城家」の出身です。

広い屋敷を構える由緒ある家系で、かつて琉球王国時代には「地頭代(じとうだい)」という村を治める役職を担っていた名家という情報もありました!

さらに昭子さんの家系には、「前城家」という別の士族の血筋も入っており、この前城家は琉球王国で官僚を務めていた由緒ある家柄です。

中国との貿易に関わる“唐名”として「胡氏」という名も持っていたほどで、まさに沖縄の歴史と誇りを背負った家系といえます。

そんな昭子さんのご両親(北村一輝さんの祖父母)は、戦後の混乱や沖縄出身者に対する差別といった厳しい現実の中、大阪へ移住しました。

昭子さんの人生の大きな転機となったのが、北村一輝さんの父となる石川県金沢の豪農出身の男性との結婚でした。当時はまだ、沖縄出身者に対する偏見が根強く残っており、夫の家族からは結婚を反対されるという壁が立ちはだかります。

それでも昭子さんは、一歩も引かずに夫との結婚を貫き、結婚後は家に入って家事や家業に献身的に尽くしました。その姿勢が徐々に家族の信頼を得て、最終的にはしっかりと受け入れられるようになったのです。

北村一輝さん自身も、そんな昭子さんを深く尊敬しており、「まるで自分のことのように感じる」と語るほど。母の強さ、優しさ、そして揺るがない信念は、北村一輝さんの人生にも大きな影響を与えていることが分かりますね!

兄:キタムラトシヒロ

引用元:キタムラトシヒロ公式Instagramキタムラトシヒロ公式Instagram

北村一輝さんの兄・キタムラトシヒロさんは北村家の長男として大阪で生まれ育ちました。一輝さんとは幼少期をともに過ごし、家庭の中で多くの時間を共有してきたようです。

現在は舞台演出家として活動していて、テレビや映画とは違った「生の表現」にこだわった世界で活躍中です。

劇場という空間の中で観客の心を動かす演出に力を注いでおり、独自の視点と感性を持ったクリエイターとして知られています。北村一輝さんとは、これまで大きな共演やコラボレーションは確認されていませんが、兄弟揃って「表現を生業にしている」という点は、強い共通点です。

キタムラトシヒロさんは、表舞台に立つことは少ないものの、舞台の現場で確かな実力を発揮している表現者の一人です。

兄弟それぞれが異なるジャンルで芸術に向き合っている姿は、北村家がもともと持っていた感性の豊かさや、表現に対する強い意志の表れとも感じられますね!

上の画像の2枚目は、キタムラトシヒロさんが22歳の時の写真です!北村一輝さんにそっくりですね!!

長男:北村将清(きたむら しょうせい)

引用元:北村将清 公式InstagramORICON NEWS

北村一輝さんの長男・北村将清(きたむら・しょうせい)さんは、1994年生まれで、父・北村一輝さんと、1993年に結婚した前妻との間に誕生しました。

両親は2012年に離婚し、将清さんの親権は母親が持ちましたが、離婚後も父・北村一輝さんとは良好な関係を築いている様です!

芸能人の家庭に育った将清さんですが、現在はプロのダンサーとして活動しています!2010年頃には、芸能事務所アミューズに所属し、テレビ番組や舞台にも出演経験があります。演者としての過去の経験も活きているのか、ダンサーとしても観る人を惹きつけるパフォーマンス力には高い評価が寄せられています。

俳優として活躍する父とは異なる道を選びながらも、「表現者」としての芯の強さやこだわりは親譲りともいえるかもしれません。

父・北村一輝さん自身は、将清さんについてメディアであまり語ることはありませんが、それはおそらく、将清さんを一人のアーティストとして尊重し、自立して生きてほしいという思いからかもしれませんね。

将清さんの実力と努力で切り拓いていく姿は、多くの人に勇気を与えています!これからの活動にも注目していきたいと思います!

先祖(母方):護佐丸(ござまる)

引用元:JCCweb美術館

北村一輝さんの母方のルーツをたどると、なんと琉球王国時代の伝説的な武将・護佐丸という人物にたどり着くという情報がありました!

護佐丸は、15世紀の琉球で活躍した実在の豪族で、本名を毛国鼎(もう・こくてい)といい、琉球王朝に仕えた忠臣として有名です。

護佐丸は、中山王(第一尚氏)から絶大な信頼を受け、現在の沖縄県読谷村にある座喜味城を築き、その後は首里の守りを固めるために中城城の拡張にも尽力。まさに「戦略家」として王府の中心にいた人物だと言われている様です。

ところが晩年、同じく有力な豪族・阿麻和利(あまわり)の策略によって謀反の濡れ衣を着せられ、王府軍に攻められることになってしまいました。

護佐丸はあくまで王への忠義を貫き、戦わずして自害するという最期を選びました。このエピソードは、今も「忠臣の鑑(かがみ)」として沖縄の歴史に語り継がれています。

高祖父(母方):伊温親雲上盛方(いおん ぺーちん せいほう)

伊温親雲上盛方は、北村一輝さんから見ると高祖父(ひいひいおじいちゃん)にあたる人物で、母方の家系の中でも特に重要な存在と言われている様です!

伊温親雲上盛方は、15世紀に活躍した琉球の名将・護佐丸(ごさまる)のひ孫にあたり、由緒正しい「毛氏豊見城殿内(もううじ とみぐすくどぅんち)」という名家の本家筋に連なる士族でした。

首里王府(琉球王国の政府)から中国への薬の買い付けを命じられるなど、高い地位と信頼を得ていたことがわかりますね。

しかし、中国からの帰路、乗っていた船が嵐で遭難してしまい、やむなく積荷の薬をすべて海へ投げ捨てる決断をします。王府の命を受けた大切な荷物を失った責任を重く感じた彼は、漂着した沖縄の離島・粟国島(あぐにじま)での百姓としての人生を選びます。

粟国島では、助けてくれた糸洲家の女性と結婚することになりました。首里王府からの帰還命令があったにも関わらず、薬を失ったことへの責任感、そして新たにできた家族への思いから、そのまま島に残ることを決意したそうです。

この選択が、北村家の母方「与那城家」の始まりとなり、北村一輝さんのルーツはここから粟国島に根づいていくことになります。

曾祖父(母方):与那城 亀次(よなしろ かめじ)

北村一輝さんの母方の曾祖父・亀次(かめじ)さんは粟島にルーツがあると言われています。亀次さんは、粟国島でも特に由緒ある「与那城家」の家系に生まれました。

与那城家は、いわば村長クラスの地位にあったと言われています。島では広い屋敷を構え、地域の人々からも一目置かれる存在だったという情報もありました!

亀次さんの具体的な職業や生活の詳細は明らかになっていませんが、家系図の中ではしっかりとその名が記されており、昭子さん(北村一輝さんの母)の祖父として、家系をつなぐ重要な役割を果たしてきた人物です。

華やかな芸能の世界で活躍する北村一輝さんですが、そのルーツには、地域を支え、家族をつなぐ強い意志を持った先人たちの存在があることが分かりますね!

曾祖父(母方):前城正鐘(まえぐすく しょうしょう)

北村一輝さんの母方の曾祖父・前城正鐘(まえぐすく しょうしょう)は、北村一輝さんから見て、2親等の関係にあたる人物です。

前城家は、琉球王国時代に官僚や役人として仕えていた由緒ある家柄で、特に中国との外交や交易に関わる役職に就いていたと伝えられています。

名前にある「正」の字は、琉球士族に多く見られる特徴のひとつで、家系内の男性たちが代々使っていたことからも、伝統と格式を重んじる士族家系だったことがうかがえます。

曾祖父・正鐘さん自身も、その流れをくむ重要な存在で、前城家の中核を担っていた人物と見られいます。具体的な役職などは記録に残っていないものの、士族として一定の地位と責任を持っていたことは間違いないと言われています。

生活の拠点は沖縄で、士族社会の中で尊敬される立場にあったと考えられているようです。

祖父(母方):与那城 廣(よなしろ ひろし)

北村一輝さんの母方の祖父・与那城廣さんの屋号は「ガーチ」と呼ばれ、島ではよく知られた家系だったと伝えられています。

与那城家は、村長クラスの役職に就いていた家柄であり、廣さんも、そうした伝統ある家庭に生まれ育ちました。

しかし祖父・廣さんは、沖縄戦で多くの親族を戦火で失うという悲しい体験をされています。そして、戦後は大阪へ移住することを決意します。

ところが、当時の本土では沖縄出身者への偏見や差別が少なからず存在しており、廣さんも決して楽とは言えない日々を送ることになったようです。それでも廣さんは、逆境に負けることなく力強く生き抜きました。

戦火をくぐり抜け、見知らぬ土地でも家族の絆を守り抜いた廣さんの姿は、誇り高き家系の象徴といえる存在です。

祖父(父方):名前未公表

北村一輝さんの父方は、石川県金沢市にルーツを持つ豪農の本家で、400年以上の歴史を持つ由緒ある家柄のようです!

詳細な情報はありませんでしたが、北村一輝さんの祖父は、戦地に二度赴いた経験を持つ人物だったそうです。また、戦後は、大阪に移住後、ピーナッツの加工品販売(バターピーナッツ)で成功を収めたと伝えられています。

北村一輝の学歴・経歴

北村一輝さんの幼少期は、映画好きな両親の影響もあり、映画が身近にある環境でした。小学校の時から『ジョーズ』『スーパーマン』『スターウォーズ』『インディー・ジョーンズ』などを片っ端から見ていた様です。

小学生の頃は、主役の格好良さに憧れ、こんな人になりたい!という思いが強かったみたいですが、次第に、脇役に魅力を感じるようになったそうです。

高校で商船高校を選んだ理由は、「船に乗って世界を旅してみたかったら。自分の知らない常識がきっと沢山あるはずだから、広い世界を自分の目で見て、色々感じたかった」と語っていました。

しかし、高専では厳しい上下関係があり、「連帯責任での罰」などもあって、「なかなかの地獄だった」と当時を振り返っています。その後、弓削商船高等専門学校(現在の弓削商船高専)を中退しました。

  • 小学:大阪市立矢田北小学校
  • 中学:大阪市立矢田中学校
  • 高校: 弓削商船高等専門学校(現在の弓削商船高専) 中退

大阪市立矢田中学校に通っていた頃は、かなりやんちゃだったそうで、「元ヤン」と呼べるような反抗期があったそうです。

そして、風間杜夫さん主演の映画『蒲田行進曲』を観て強く感銘を受け、「俳優になりたい」という想いが芽生えたのも同じ中学校時代だったそうです。

また、その後の経歴は以下の通りです。

  • 映画『ウンタマギルー』などで俳優デビュー(1991年)
  • 映画『皆月』『日本黒社会 LEY LINES』で注目を集める(1999年)
  • 第21回横浜映画祭 助演男優賞を受賞(1999年)
  • ハリウッド映画『キル・ビル Vol.1』出演(ヤクザ役)(2003年)
  • 『キル・ビル Vol.2』に出演(2004年)
  • ドラマ『ガリレオ』で草薙俊平役 (2007年)
  • 映画『Killers』(インドネシア合作)に主演し国際的評価を得る(2014年)
  • 映画『The Raid 2』に出演(国際アクション映画)(2014年)
  • 「JAPAN CUTS」(NY)にてCUT ABOVE Award受賞(2014年)
  • NHK連続テレビ小説『スカーレット』に出演(2019~2020年)
  • 映画『るろうに剣心 最終章 The Beginning』出演(2021年)
  • 大河ドラマ特番『桶狭間〜織田信長 覇王への道〜』に出演(2021年)
  • 映画『ゴールデンカムイ』に鶴見中尉役で出演(2024年)

北村一輝さんは、俳優になるために大阪から上京をし、バイトをしながら下積み時代を過ごしていたそうです。しかし、事務所にも入ることが出来ず、自らマネージャー業もしながら奮闘されていましたが、なかなか知名度は上がらず失意のうちに一度廃業しました。

俳優としてなかなか芽が出なかった20代前半には、約4年間、オーストラリアや南アメリカ、東南アジアなどへ放浪の旅に出かけたこともあったようです。

しかし「これでは逃げ出したまま終わってしまう」と帰国を決意し、帰国。その後俳優活動を再開し、徐々にオーディションを通過できるようになりました!そして、今後の人生を変える監督たちとの出会いがあり、活躍の場を広げていったそうです!

海外放浪の旅での出来事や、出会った人々との経験は役者としての生き方に大きな影響をもたらし、現在の俳優・北村一輝さんがあるのかもしれませんね!

ギモンくん

北村一輝さんは、商船高校を中退して上京したんだね!

カイケツさん

海の海賊にはなれなかったけど、俳優の海賊になればいいと思ったみたいだよ!実際に海外を旅したことは、役者人生にとても生きているって語っていたよ。

【画像】北村一輝は息子と共演した?役作りで歯を抜いたのはホント?

北村一輝は息子と共演した?

引用元:エンタメQスポーツ報知

北村一輝さんには、一般人女性の前妻との間に一人息子である北村将清(きたむら しょうせい)さんがいます。将清さんは、1994年12月3日生まれで、2025年7月現在30歳です。

北村一輝さんと、息子・将清さんは現在までにドラマや映画、バラエティ等での共演実績はありませんでした

しかし、SNS上では時折共演しており、一緒にダンスを踊っている動画などの更新もしていました!

将清さんは、淑徳大学を卒業後、プロのダンサーとして活躍しています。音楽特番でバックダンサーに付いたり、数々の有名アーティストとも仕事をしています。

現在はダンサーとしてご活躍ですが、2010年には芸能事務所アミューズに所属していたこともあり、ドラマ『ヤンキー君とめがねちゃん』映画『ACACIA』等にも出演されていたそうです。

演技経験もある将清さんなので、北村一輝さんとの親子共演も叶うかもしれませんね!期待したいと思います。

北村一輝が役作りで歯を抜いたのはホント?

引用元:ABEMA TIMES

北村一輝さんは、1998年に公開された映画『JOKER厄病神』に出演するにあたり、チンピラ役を演じるために、自ら計9本の前歯を抜き、4本の歯を削ったそうです!

北村一輝さんは当時、表面的な役作りをしており、勢いで歯を抜いたり、体重を変えたり髪型を変えたりしていたと語っています。

しかし、肉体改造をするとその後のメンテナンスも大変なようで「メンテナンス費用は車が一台買えるくらい」と明かしていました。

北村一輝さんは、役作りに対する拘りが強く、他にも『鬼火』でゲイバーのママ役を演じるにあたり、実際にゲイバーに行き、アドバイスや取材をさせてもらっていたそうです。

北村一輝さんは、当時について「駆け出しの頃はとにかく作品を見に来るお客さんや現場に役者として強く記憶してもらうために加減も知らず自分なりに思いつくすべてのことを試してみる形で役作りをしていた」と振り返っています。

北村一輝のプロフィール・SNS

引用元:ナタリー

プロフィール

  • 名前:北村 一輝(きたむら かずき)
  • 本名: 北村 康(きたむら やすし)
  • 生年月日:1969年7月17日
  • 年齢:55歳(2025年7月現在)
  • 出身地:大阪府大阪市
  • 血液型:A型
  • 趣味:料理、日用大工、スポーツ全般、語学レッスン
  • 特技:乗馬、空手、殺陣、日本舞踊
  • 所属事務所:株式会社PANDA

SNS

ギモンくん

北村一輝さんの特技の日本舞踊のきっかけって何なのかな?

カイケツさん

下積み時代に、色んなレッスンを受ける中で日本舞踊もやっていたみたいだよ!

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