【画像】尾上菊之助の家系図がすごい!息子は難病?妻との馴れ初めは?

歌舞伎界の名門に生まれ、類まれな才能で注目を集める尾上菊之助さん。その華やかな舞台姿はもちろんのこと、歌舞伎界の“血統書”とも称される由緒ある家系です。

尾上菊之助さんは、女方としての可憐な美しさと、二枚目としての品のある色気を併せ持ち、まさに現代の歌舞伎界を担うスターの一人です。

2025年5月、尾上菊之助さんは歌舞伎座・團菊祭五月大歌舞伎(だんきくさい ごがつおおかぶき)で八代目・尾上菊五郎を襲名しました。また同年同月、息子の尾上丑之助さんも六代目・尾上菊之助を襲名。代々受け継がれる名跡が重なり合う中、当代の七代目・尾上菊五郎さんは今後もその名のまま舞台に立ち続けることが発表されました。

今回は、そんな尾上菊之助さんの家系図をたどりながら、そのルーツと現在の活動を深掘りしていきます。どうぞ最後までお付き合いください!

目次

【画像】尾上菊之助の家系図がすごい!

筆者作成

尾上菊之助さんは、1977年8月1日生まれ。父は人間国宝の七代目・尾上菊五郎さん、母は女優の富司 純子さん、姉は女優の寺島しのぶさんという、まさに歌舞伎界・芸能界の名家に生まれました。

さらに、義理の父には二代目 中村吉右衛門さんが名を連ねており、まさに名門の血を受け継ぐ存在として幼い頃から舞台の世界に自然と親しみながら育ちました。

また、尾上菊之助さんは、立役(たちやく)と女方(おんながた)の両方を演じ分けられる実力派俳優です。気品ある美しい容姿と、深みのある通る声を活かし情感豊かな演技で多くの観客を魅了しています。

そして、2025年5月には、歌舞伎座で開催された「團菊祭五月大歌舞伎(だんきくさい ごがつおおかぶき)」において、八代目 尾上菊五郎を襲名し、大きな注目を集めました。

今回は、そんな尾上菊之助さんの家系図に焦点を当て、その華やかなルーツと現在に至るまでの歩みについて詳しく見ていきたいと思います!

尾上菊之助の<家族構成・家系図>

父:七代目 尾上菊五郎

引用元:SPICE

歌舞伎役者・七代目 尾上菊五郎(しちだいめ おのえ きくごろう)さんは1942年10月2日東京都生まれ、82歳(2025年6月現在)、本名は寺嶋 秀幸(てらじま ひでゆき)。尾上菊之助さんのにあたります。

歌舞伎界を代表する名優、七代目 尾上菊五郎さんは、まさに昭和の時代を象徴する存在です。端正な顔立ちと凛とした佇まいで、20代の頃には昭和の『三之助』の一人として一大ブームを巻き起こし、歌舞伎の世界に新たな風を吹き込みました。

その人気は舞台を超えて広がり、NHK大河ドラマ『源義経』では、大河ドラマ史上最年少で主演を務めたことでも話題に。お茶の間でも親しまれ、広く名を知られる存在となりました。

また、2003年には重要無形文化財『人間国宝』に認定され、2015年には『文化功労者』、そして2021年には『文化勲章』を受章。まさに日本を代表する歌舞伎俳優として、その地位を不動のものとしました。

そして、2025年4月、大阪で開催された『七月大歌舞伎』のインタビューで、尾上菊之助さんが『八代目 尾上菊五郎』を襲名することについて語り、父・七代目 尾上菊五郎さんとのエピソードが大きな注目を集めました。

尾上菊之助さんは、「2年ほど前に父・七代目 尾上菊五郎から『おめえ継げよ』と言われました」と当時を振り返りながら、「父が健在でございますし、菊之助の名跡を守らせていただこうと思っていたところにそういうお話が入ってきて驚いたんですけど、」と率直な心境を明かしています。

また、尾上菊之助さんが「お名前どうされるんですか」と尋ねたところ、七代目 尾上菊五郎さんは「おれはこのままでいく」と一言。前代未聞の襲名スタイルに対し、尾上菊之助さん自身も驚きを隠せなかったと語っていました。

親子二代が同時に“尾上菊五郎”の名を名乗るという、歌舞伎界でも極めて異例の名跡継承。その斬新な試みに世間からは大きな関心が寄せられ、今後の活躍への期待がいっそう高まっています。

母:富司 純子

引用元:HALMEK up

女優・司会者・富司 純子(ふじ すみこ)さんは1945年12月1日和歌山県生まれ、79歳(2025年6月現在)、本名は寺嶋 純子(てらじま じゅんこ)。尾上菊之助さんのにあたります。

富司純子さんは、戦後の混乱期に和歌山県御坊市で生まれ、5歳のときに大阪市東成区へ移り住みました。7歳の幼少期から日本舞踊を習ったといいますが、家庭環境は決して恵まれていたわけではなかっといいます。

そんな逆境のなかでも、富司純子さんは夢を追い続け、1963年に映画『八州遊侠伝・男の盃』でデビューを果たします。代表作『映画『緋牡丹(ひぼたん)博徒』では主演を務め、主題歌も担当。その美しさと気品に満ちた存在感で観客を魅了し、シリーズ化されるほどの人気を博しました。

また、2006年、映画『犬神家の一族』で尾上菊之助さんと富司純子さんは母子共演を果たしており、母は映画界、息子は歌舞伎界と、それぞれ異なる道を歩んできた二人にとってこの共演はまさに特別な出来事でした。

富司純子さんは尾上菊之助さんとの共演に「本当に幸せでした」と、喜びをにじませています。一方、尾上菊之助さんは「自分は家庭の母しか知りませんでしたので、とても勉強になりました。母と一緒に、それも実際にも親子役で映画に出演したという経験は何物にもかえられません。」と振り返り、実際の親子役を演じた経験がかけがえのないものだったと語っています。

その後、一時芸能界を離れるも、テレビ番組『3時のあなた』の司会として復帰。以後も映画『あ・うん』『フラガール』、NHK大河ドラマ『源義経』『天地人』、連続テレビ小説『てっぱん』など多彩な作品で活躍を続けています。

その功績は広く認められ、2007年には『紫綬褒章』、2016年には『旭日小綬章』を受章。品格と芯の強さを併せ持つ女優として、日本の芸能界に確かな足跡を今なお刻んでいます。

姉:寺島しのぶ

引用元:婦人画報

女優・寺島しのぶさんは1972年12月28日京都府京都市生まれ、52歳(2025年6月現在)、本名は寺嶋 グナシア 忍(てらじま グナシア しのぶ)旧姓名は寺嶋 忍(てらじま しのぶ)尾上菊之助さんのにあたります。

寺島しのぶさんは、独自の存在感を持つ、唯一無二の演技派女優です。寺島しのぶさんは渋谷区松濤幼稚園から青山学院初等部・中等部・高等部へと進学し、中等部ではバレーボール部、高等部ではハンドボール部でエースを務めるなど、文武両道の学生時代を過ごしました。

一方で、伝統的な男社会である歌舞伎の家系に生まれたことから、自身の存在に葛藤を抱えながら幼少期を過ごしたといいます。ドキュメンタリー番組『情熱大陸』では、「男に生まれていたら、歌舞伎役者になりたかった」と語り、幼い頃にはプロレスラーに憧れて、父親に挑戦しては負けて悔し泣きするほど負けず嫌いだったエピソードも紹介されています。

そんな負けず嫌いな寺島しのぶさんとの幼少期の思い出を、尾上菊之助さんはテレビ朝日系『徹子の部屋』に出演した際に次のように語っています。

「いじめられましたね、よく」「もうやっぱり5歳離れているので、全然最初の方は力も言葉もかなわないですし。口が達者で、しょっちゅう泣かされてました」

引用元:スポニチアネックス Sponichi Annex

と、5歳年上の寺島しのぶさんに口でも力でもかなわず、よく泣かされていたことを明かしています。そんな子ども時代を経て、現在では兄妹として互いに深い尊敬の念を抱く存在となったといいます。

ときにはメディアで互いについて語る姿も見られ、その言葉からは家族としてだけでなく、同じ表現者としての信頼と敬意が感じられます。これからも、それぞれの舞台で輝きを放ちながら、姉弟として、そして表現者として互いを高め合っていく姿に、ますます注目が集まります。

義理父:二代目中村 吉右衛門

引用元:女性自身

歌舞伎役者・二代目 中村吉右衛門さんは1944年5月22日東京都生まれ、本名は波野 辰次郎(なみの たつじろう)2021年11月28日に77歳で逝去されました。尾上菊之助さんの義理父にあたります。

二代目 中村吉右衛門さんは、圧倒的な演技力と豊かな人間味を併せ持つ、歌舞伎立役の第一人者として長年にわたり活躍した名優です。義太夫狂言、時代物、世話物から新作歌舞伎、喜劇に至るまで、あらゆるジャンルで高い評価を得ており、その存在は歌舞伎界においてまさに別格といえるものでした。

二代目 松本白鸚の次男として生まれた二代目 中村吉右衛門さんは、後に母方の祖父・初代中村吉右衛門の養子となり、1966年に二代目を襲名。以降、『熊谷陣屋』の熊谷や『俊寛』の俊寛僧都など、重厚で陰影に富んだ時代物の演技で観客を魅了し続けました。

その才能は舞台だけにとどまらず、テレビのクイズ番組などでも発揮され、TBS系クイズ教養番組『世界ふしぎ発見』ではトップ賞を獲得し博識ぶりでも注目を集めました。また、NHKの時代劇『武蔵坊弁慶』では弁慶役を務め、人気時代劇『鬼平犯科帳』では長谷川平蔵役としてお茶の間でも絶大な人気を誇りました。

その後、2011年には『人間国宝』に、2017年には『文化功労者』にも選ばれ、その功績と影響力は日本の伝統芸能を支える柱として語り継がれています。

また、2021年11月、二代目 中村吉右衛門さんが心不全で息を引き取られた際には、多くの人々がその死を惜しみました。義理の息子である尾上菊之助さんも、「もっともっと教えを請いたかった。それがかないませんでした」「尊敬する優しい父でした」と涙ながらにその大きな存在への思いを語りました。

このように、伝統芸能の粋を極めながらも常に伝統を守りつつも時代と調和し続けた中村吉右衛門さん。その生き方と芸の深さは今もなお多くの人の心に強く刻まれています。

甥:尾上 眞秀

引用元:ORICON NEWS

俳優・歌舞伎役者・尾上眞秀さんは2012年9月11日東京都生まれ、12歳(2025年6月現在)、本名は寺嶋眞秀(てらじま まほろ)。母は女優の寺島しのぶさん、父はフランス出身のアートディレクター、ローラン・グナシアさん。尾上菊之助さんのにあたります。

日本とフランス、二つの文化に育まれた尾上眞秀さんは、家庭内で父とはフランス語、母とは日本語、夫妻は英語で会話を交わすという、トライリンガルな環境で育ちました。その中で幼い頃から自然と国際的な感性を養ってきたといいます。

また、2023年2月、フランス大使公邸にて、『團菊祭五月大歌舞伎(だんきくさい ごがつ おおかぶき)』で初代「尾上眞秀」を名乗ることを発表。同年5月には、歌舞伎座にて上演された『岩見重太郎狒々退治』で主演・岩見重太郎役として初舞台を踏み、正式に歌舞伎役者としての一歩を踏み始めました。

さらに、記者会見の場では、叔父である尾上菊之助さんが「彼を支え、修行の手助けができればと思っておりますので、どうぞよろしくお願いします。」と語り、尾上菊之助さんの思いと家族の強い支えが、尾上眞秀さんの歩みを後押ししていることがうかがえました。

そんな国際的なバックグラウンドと日本の伝統芸能という異なる要素を併せ持つ尾上眞秀さん。今後どのように成長していくのか大きな期待が寄せられています。

尾上菊之助の学歴・経歴

尾上菊之助さんの幼少期は「小さいころは楽屋で水鉄砲をして遊んでいた」という微笑ましいエピソードがあり、父・七代目 尾上菊五郎さんも「本当に手のつけられない悪ガキだったんです」と語っています。

また、同じく歌舞伎の名門に生まれた十三代目 市川團十郎さんとは、幼いころから学校も一緒で、放課後には一緒に稽古に通い食事をともにするなど、公私にわたる盟友だったそうです。

尾上菊之助さん自身も「学校帰りに一緒に稽古に通ったり、食事をしたりした思い出がある」と語り、歌舞伎の世界に育まれた少年時代を懐かしそうに振り返っていたといいます。

  • 小学:青山学院初等部
  • 中学:青山学院中等部
  • 高校: 青山学院高等部
  • 大学: 青山学院大学文学部 中退

尾上菊之助さんは、生後わずか2か月で母・富司純子さんと共にテレビ朝日系『徹子の部屋』に出演。その後、2009年12月7日に単独で同番組に出演した際には「最年少ゲスト」として紹介され、話題を集めました。

このときの放送では、幼い頃の貴重な映像も紹介され、スタジオには和やかな笑いが広がりました。幼少期から芸能一家の中で育った尾上菊之助さんにとってテレビ出演もごく自然な環境の一部だったことがうかがえます。

その後も着実にキャリアを重ね、さまざまな作品で存在感を発揮。繊細な演技力と気品ある佇まいで多くの観客を魅了し、数々の賞を受賞するなど、若手ながら歌舞伎界を支える実力派としての地位を確立していきました。

  • 『京鹿子娘道成寺』で国立劇場特別賞(1985年)
  • 『実録先代萩』で国立劇場特別賞(1987年)
  • 歌舞伎座賞(1992年)
  • 『人情噺文七元結』で国立劇場奨励賞(1993年)
  • 浅草芸能大賞新人賞・十三夜会奨励賞(1996年)
  • 『仮名手本忠臣蔵』「大序」の足利直義で松竹会長賞(1998年)
  • 『春輿鏡獅子』で松竹会長賞(1999年)
  • 『弁天娘女男白浪』で松竹会長賞(2000年)
  • 第24回 松尾芸能賞演劇賞・新人賞(2003年)
  • 『京鹿子娘二人道成寺』『児雷也豪傑譚話』『助六由縁江戸桜』で読売演劇大賞・杉村春子賞(2005年)
  • 『NINAGAWA十二夜』など歌舞伎の可能性を広げる活動で朝日舞台芸術賞寺山修司賞(2005年)
  •  重要無形文化財(総合認定)に認定、伝統歌舞伎保存会会員となる(2005年)
  • 芸術選奨新人賞(2005年)
  • 『摂州合邦辻』で読売演劇大賞優秀男優賞(2011年)
  • 第46回 ベストドレッサー賞芸能部門(2017年)
  • 第44回 松尾芸能賞優秀賞(2023年)
  • 第73回 芸術選奨文部科学大臣賞(演劇部門)(2023年)

また、1996年5月、尾上菊之助さんは歌舞伎座『弁天娘女男白浪(べんてんむすめ めおのしらなみ)』にて弁天小僧ほかを演じ五代目 尾上菊之助襲名。その後、2000年には歌舞伎座『源氏物語』で紫の上を演じて大きな注目を集め、一躍人気俳優の仲間入りを果たします。

十三代目 市川團十郎さん、二代目 尾上辰之助さん(現・四代目 尾上松綠)とともに『平成の三之助』と呼ばれ、若手歌舞伎俳優として新たなブームを巻き起こしました。

名実ともに歌舞伎界を代表する存在となった尾上菊之助さんは、立役(たちやく)と女方(おんながた)の両方を演じ分ける幅広い表現力を武器に、古典の継承と新しい試みにも果敢に挑戦し続けています。その姿勢は、次代の歌舞伎界を牽引する中心的存在としても高く評価されています。

ギモンくん

稽古や舞台で多忙な尾上菊之助さん、家族との時間はどうやって過ごしているのかな?

カイケツさん

日々の稽古や舞台で忙しい生活を送る尾上菊之助さんだけど限られた時間の中でも、家族とのふれあいをとても大切にしているみたいだよ。公式SNSでは、子どもたちと一緒に夏休みにSUPに挑戦したり、家族でUSJを訪れる様子などプライベートを楽しむ姿が投稿されているね!舞台の厳しさとはまた違う父としてのやさしい表情や、家族との時間を心から楽しんでいる様子が伝わってくるよね!

【画像】尾上菊之助の息子は難病?妻との馴れ初めは?

尾上菊之助の息子は難病?

引用元:衛星劇場

歌舞伎役者・七代目 尾上丑之助さんは2013年11月28日東京都生まれ、11歳(2025年6月現在)、本名は寺嶋 和史(てらじま かずふみ)尾上菊之助さんの息子にあたります。

「尾上菊之助さんの息子は難病ではないか?」という噂が一部でささやかれていますが、これに関して公式な発表は一切なく、そのような事実も確認されていませんでした。これまでの報道やインタビューを見る限り、尾上丑之助さんは健康で元気に成長しており、舞台やテレビ番組などにも積極的に出演している様子が伺えます。

そして2025年5月、尾上丑之助さんは六代目 尾上菊之助襲名。この年は、一家にとってまさに大きな節目。父である尾上菊之助さんも、八代目 尾上菊五郎を襲名し、親子そろって名跡を受け継ぐという歴史的な瞬間を迎えました。

襲名の席では、幼いながらも尾上丑之助さんは「父と祖父が名のっておりました尾上菊之助の名跡を、六代目として襲名いたすことになりました。これからもよりいっそうの努力をして、名前に負けない役者を目指します」と力強く口上を述べ、その姿からは、将来を担う覚悟と凛とした気品が感じられました。

また、歌舞伎という特別な世界で生きる名門一家にとって、プライバシーの尊重は非常に大切にされており、家族に関する詳細な情報が多く語られないのも事実です。そうした背景もあり、現時点でわかっているのは、尾上丑之助さんが『六代目 尾上菊之助』として、次代の歌舞伎を背負う若き役者として着実に歩みを進めているということがわかります。

襲名披露で見せた堂々たる佇まいと真摯な言葉は、多くの観客の胸を打ちました。今後も数多くの舞台で経験を重ね、名跡にふさわしい実力と存在感を備えた歌舞伎俳優へと成長していくことでしょう。尾上丑之助さんのこれからの歩みに、温かな期待と大きな注目が集まっています。

尾上菊之助と妻の馴れ初めは?

引用元:文春オンライン

尾上菊之助さんの妻は二代目中村吉右衛門の四女・波野瓔子(なみの ようこ)さんになります。2013年2月、尾上菊之助さんと結婚し、同年11月28日に第1子、長男の七代目 尾上丑之助さんが誕生しました。その後、2015年7月14日には第2子(長女)、2017年9月4日には第3子(次女)が誕生しています。

尾上菊之助さんと妻の波野瓔子さんの結婚は、歌舞伎界の名門同士による格式あるご縁であると同時に、幼い頃からの交流を通じて自然と培われた信頼と愛情が、やがて夫婦という形に実を結んだものだと考えられます。

二人は幼い頃から顔見知りで同じ歌舞伎界という環境で育ちながらそれぞれの道を歩んでいました。しかし再び距離が縮まったのは会食がきっかけだったといいます。

馴初めについて尾上菊之助さんは、このようなことを話していました。

「同じ歌舞伎界で育っていましたので小さい頃から良く知ってました。2年前に会食の機会があり、それから会食などを重ねていましたけど本気で結婚とは考えていませんでした。それから月日が経ち、(中村)勘三郎の兄さんがお亡くなりになって、勘九郎さんや七之助さんの必死な姿を見て、私も早くしっかりとした家庭を持たなくてはと痛切に感じました。この人しかいないと思い、お会いしてから3回目となった昨年の12月末に結婚を申し込みました」

引用元:マイナビニュース

最初は結婚を意識していなかったという尾上菊之助さん。しかし中村勘三郎さんの急逝をきっかけに、中村勘九郎さんや中村七之助さんが懸命に家を支える姿を目の当たりにし、「自分も家庭を持たねば」と強く思うようになったと語っています。

尾上菊之助さんは波野瓔子さんの印象を「2年前にお会いしてから何度かお会いして、明るかったし和まされ、二人でいると楽しいです」と話し、波野瓔子さんも「とても温かく優しい空気をまとった方なので、一緒にいると羽毛布団に包まれたような温かくなるところが素晴らしいと思います」とその人柄に深い安心感を抱いていることが伺えます。

このように、互いの人柄に惹かれ合いながら、自然な形で関係を深めていった二人。格式ある家柄に生まれながらも、その歩みはどこか等身大で温かく、伝統に重きを置く歌舞伎界であっても、個人としての強い信頼と愛情がしっかりと育まれていたことが伝わってきます。

現在も、尾上菊之助さんは舞台で真摯に芸に向き合い、波野瓔子さんは家庭の中でその歩みを温かく支えています。そんな二人の姿は、まさに理想の夫婦像として多くの人々の共感を集めています。これからも、お互いを支え合いながら進んでいく二人の歩みに、ますます注目が集まります。

尾上菊之助のプロフィール・SNS

引用元:衛星劇場

プロフィール

  • 名前:五代目 尾上菊之助(ごだいめ おのえ きくのすけ)
  • 本名: 寺嶋 和康(てらしま かずやす)
  • 生年月日:1977年8月1日
  • 年齢:47歳(2025年6月現在)
  • 出身地:東京都
  • 血液型:B型
  • 趣味:読書
  • 屋号:音羽屋

SNS

ギモンくん

尾上菊之助さんって、ドラマにも出てたことあるって聞いたんだけど、どんな作品に出てたの?

カイケツさん

有名なのは『西郷どん』の月照役だったり、TBSの大人気ドラマ『下町ロケット2』にも出てたし『刑事アフター5』では主演で広橋航役もやってたみたいだよ!

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